AYUCA・金井優子の現地報告日記6

 現地で活動している当会・金井優子の報告です('99年7月23日〜8月10日)。


7月23日(金)

 今日は、ヒッチハイクのとき知り合った人の話から、「25 de abril」と言う地域の調査に行く。
 朝、お母さんに「25 de abril」に行く、と言うと、一人で絶対行っては行けないと言われた。と言うのも、昨日ミラモンテに行く道の途中にあるラプランチャと言う所で、ジュースを運んでいた車が銃で襲われたからだ。彼らは、幸い逃げる事ができ、助かったらしい。
 とにかく、この事件でまた、お母さんは私のことがさらに心配になったようで、一人で行くのなら、絶対行っちゃ行けない、ときつく言われた。
 幸い、うまく一緒にヒッチハイクする人達がいたから、一人でヒッチハイクをせずに済んだ。
 この地域は、結構大きい所で、一見見ると新しいトタン板がのった家もあって、援助は必要無いように思えた。しかし、案内されて連れて行かれる家は、ひどい状態だった。
 この地域の教会の牧師達に案内されていたんだけど、みんななんとか援助を得たいということで、私に至れり尽せりしてくれて、すごく居心地が悪かった。
 もう少し調査して、本当に援助が必要なら援助してあげたい。

 今日は、いつもトタン板を買っているところのduenoのホルヘに夕食に招待された。(無理やり招待させた、とも言えるかも・・・)久しぶりの、レストランでの食事。数少ない服の中から一番良さそうな物を選んで、ちょっとした気分転換ができた。
 たまには、こういう楽しみもなくっちゃね。


7月26日(月)

 今日はミラモンテで集会を開く事になっていた。でも、いざ行ってみるとほとんどみんな集まっていなかった。1ヶ月以上、私がいなかった間にカウンターパートとして頼んでいたヴィクトルが、活動を停止していた為、全く協力的じゃなくなったようだ。なんだか悲しい。
 最近、いつも来ても、ほとんどみんな集まってくれない。haguanに仮住まいを持っている人達は、ここに来るバス代が払えない、と言っていたけど、本当に必要だったら、ヒッチハイクをすればやって来れるはず。最近、いつも私が来るという事を知るとやって来る、女性がいる。彼女はここには住んでいないけど、わざわざ少し離れた村からやって来る。もちろん援助が欲しいから。でも、彼女からは、本当に援助が必要だ、と言う切迫感が伝わってくる。本当に援助が必要な人っていうのはこう言う人なのかもしれない。
 明日、ミラモンテにトタン板を運ぶ予定。その為に、最後の確認をする為に、みんなと話しをする為にやって来たけど、話ができたのは、ほんの数人。この状態だと、チェックした家で、渡せる状態の人達すべてに物資を渡すのは無理かも。というのも、来なければ渡せないから。
 なんだか、さびしい。


7月27日(火)

 今日はミラモンテにトタン板を運ぶ日。初めは200枚持っていこうと思ったけど、今までのみんなの集まりを見ていると、どれだけの人が来るのか・・・ 150枚に減らした。
 いざ、ミラモンテに着くと、見たことのない人まで来ていた。今まで1度も家のチェックをした事のない人までやって来た。また、家をチェックしたけれど、まだ不充分で、渡す事ができない、と言った人もやって来た。
 まずは、今回トタン板を渡す人達(チェックをした上で、決まった人達)を優先にラミナを渡した。しかし、思っていたよりも多くの人達がやって来たので、その人達全員にさえ渡す事ができなかった。そんな状態で、他の人達が、自分のトタン板はいつくれるんだ、なぜ今日くれないんだ、と勝手な事を言い始めた。
 彼らは、私がチェックにやって来たときには全く協力的ではなく、来るのが大変だからと言っては来なかったのに、いざトタン板を持ってやって来ると分かれば朝早くからやって来て、私を待っている。彼らには援助が必要なのかもしれないけれど、あまりにも自分勝手過ぎるような気がする。
 ブエルタグランデのように、家がなくなっても同じ地域で、助け合って暮らしているのではなく、大半の人達が、別の地で住んでいて、そこからここに通っている状態だから、全体的にまとまりがなく、自己中心的な人達が多いいのかもしれない。
 今日は、本当に怒りたくなった瞬間があったけど、なんとか我慢をした。
 明日、またミラモンテに行くけど、今日実際に私がトタン板を持って行った事を知った人達が、これからどのように私に接してくるのかが楽しみだ。これで、ミラモンテの人達がどういう人達なのかが、よく分かると思う。その時、これからの彼らに対する対処の仕方、これからのここでの活動のやり方が、さらに見えてくるような気がする。
 今日は、とっても暑い1日だった。


7月28日(水)

 ミラモンテに行くけど、家を新たにチェックできたのは3件だけ。
「苦しい状況にいるのはよく分かっているけど、何にも協力しないで物が貰えると考えているのなら、それは違う。何か必要な時は、それを得る為に、あなた達も動かなくてはいけない。何もせず、ただ座っているだけでは、何も得る事なんてできない。これからは、そういう考えでいる人達には、何も私は援助する事ができない。」というメッセージを残して、ここを去った。
 ひとまず、ここに来る回数を減らすつもりだ。本当に援助を必要としているのなら、私の事を探すだろう。
 このやり方は間違っているのかもしれない。でも、今はこれ以外に、彼らに私の思いを分かってもらう方法が見つからない。
 今日も、新たに別の村に住む、という2人が、私の所に援助を求めにやって来た。彼らの言っている事が本当かどうかはまだ分からない。だから、彼らの今の状況を見る為に、彼らの家に行くつもりだ。
 これまで、私は、ある地域を援助するなら、その地域すべての人達を援助するべきだ、という考えでいた。というのも、もし、一部の人達だけを援助して、その地域内で、援助を受ける事のできなかった人達との間に問題が起きた時、その原因を作ったのは、私になるからだ。援助によって、彼らのこれまでの関係を壊す権利は、私にはなく、絶対そんな事をしてはいけない、と思っていた。
 この考え方が間違っているとは思わない。でも今はmitchが来てから9ヶ月が経ち、同じ地域内に住んでる人達の間に、回復(mitchの被害からの)の差が生まれている。そんな状態の中では、もうこれまでの私の考え方は通用しない。
 今回の事も含めて、これからは、各個人個人(場所とか関係なく)の状態を見て、援助が本当に必要と思われる人には、援助をしていこうと思う。たとえ彼らが、援助がたくさん入っている大きな村に住んでいたとしても、彼らの元に何の援助も届いていないと言う事がはっきり分かれば、彼らを援助したいと思う。 


7月31日(土)

 今日、トルヒーヨで初めての銀行強盗があった。a.m.11:00頃にそれは起こった。襲われたのは、banco atrantida(アトランティダ銀行)で、犯人達は、現金を盗んで、逃走した。
 彼らは、銀行を襲う前のa.m.10:30頃、haguan行きのバスを、ちょうどシリンを過ぎた所辺りで襲い、警察の目をその事件に向けさせた隙に、銀行を襲った。その為、襲われた銀行から10mほどの距離にあった警察署には、犯行当事、ほとんど警察官がいない状態だった。
 彼らは、バスを襲った時、ただむやみやたらに銃を撃ち話したらしく、それによって、1人が死亡し、3人が重態となった。また、銀行を襲った時、逃げる時もずっとむやみやたらに銃を撃ち放っていたらしい。幸い、銀行では死者は出なかったが、警官が1人重態となった。
 この事件によって、町中が緊迫したムードになり、恐怖を感じた。
 ハリケーンによって、多くの人達が仕事、今までの生活を失い、今飢えに苦しんでいる。この事件は、このハリケーンがもたらした物だと、私達は考えている。
 まだ、詳しい事はよく分からないが、もし本当にハリケーンによって、この事件が起こったのなら、これからもっとこういう事件が起こる可能性があると思う。
 もし、この国が、もう少しきちっとした対応のできる政府を持っていたなら、ここまでにはならなかったと思う。しかし、これが発展途上国の典型的な歩む道なのかな。


8月2日(月)

 a.m.11:20、大森さん(注:8月中滞在予定の当会の大森)がs.p.s.に到着した。なかなか、出てこないから、どうしたのかな、と少し心配になったけど、無事到着。今日は、s.p.sで一泊。しばらくは、一緒に行動してくれる人ができたから、よかった。


8月4日(水)

 今日、はじめて大森さんと一緒に、活動地域に足を運んだ。
 始めにfrenakainに行き、その後vuerta grandeの学校まで行く。今日は、学校も幼稚園も授業がなく、先生達とは会えなかった。
 野菜を一番よく栽培していた牧師の畑に行くと、もうトマトは終わって、全く無かったけど、ピーマンがいっぱいなっていた。また、そのピーマンを袋にいっぱいくれた。とってもおいしかった。今彼は、自分達でなんとか手に入れた、とうもろこし、ユカ(サツマイモの甘くないもの)、インゲンなどの種を育てていた。彼らはハリケーン前は全く野菜などを栽培した事がなかったが、私達があげた野菜の種をきっかけに、野菜の栽培が、今では彼らの生活に大きな影響をあたえるまでになっている。彼らは、「あなた達が私達に、野菜作りに対するやる気を与えてくれた。」と言ってくれた。それがとてもうれしかった。

 今日乗ったバスに、手錠をかけた護送中の犯人が乗っていた。ちょうど私達の1つ前の席に座っていた。まさか、犯人を普通の民間人が使うバスに乗せて護送するなんて・・・思わず写真を撮ってしまった。


8月5日(木)

 今日は、ミラモンテとフレナカインにトタン板を配りに行った。ミラモンテでは、やっぱり以前トタン板を運んだ時と同じよう、まだ家を一度もチェックしてない人まで来ていて、私にラミナを要求した。でも、彼らには再びはっきり、私の意思を伝えて、とにかくこれからは、私がここに来る時は、あなた達が私のことを探して、私のところまで来ない限り、家をチェックする事もできなければ、当然トタン板を上げることもできない、と言った。これで、私の所に来ないなら、もうここでの援助は終わりにしてもいいとさえ思う。
 でも、今日トタン板を渡した家の中には、すぐにそのトタン板を屋根に載せ、釘で打ち始める者もあった。その釘の音を聞いた時は、本当にうれしかった。
 まだ、この家のように援助を必要としている家があるかもしれない(ミラモンテで)。でも、そういう人達を見分けるには、本当に時間がかかる。それでも、そういう人達がいる限りは、やはり今の活動をミラモンテでも続けていかなければいけないんだろうな。
 今日は、久しぶりにビールを3本も飲んだ。とってもおいしかった。


8月9日(月)

 今日は本当は、cuacuに行く予定だったけど、インターネットの調子が悪く、それを直す為にla ceibaから技術士がやって来る為、行けなかった。
 でも、frenacainまで行って、ここでとたん板を配った3件の家を見に行った。 なかなか家を作る工事が思ったようにはかどらなく、まだ1件の家しかトタン板を載せていなかった。
 今日は朝6時30分のバスに乗って、11時にはトルヒーヨに戻った。技術士が11時にトルヒーヨに来ると言ったから。でも、来なかった。
 私達の援助を待っている人達がいて、その人達との時間をさいて、早く戻ってきたのに、彼は来なかった。すごく腹が立ったから、思わず電話で怒ってしまった。 でも、夜なぜかインターネットが使えるようになった。よかった。
 これで、私が怒った技術士と会わずに済む。

 今日は、frenacainで今建設中の水のタンク(高さ約30mくらい)に上った。
 ちょっと高かったので、上るのにすごく体力を使って、しんどかったけど、とっても景色がよかった。また、今度上りたいな。


8月10日(火)

 今日はまたまた、朝6時30分のバスで、cuacuに向かった。
 cuacuに行くには、自転車、馬、もしくはヒッチハイクという方法しかないんだけど、今日は運良く車が通った為、入り口付近まではヒッチハイクで行けた。
 そこから奥へは、川をカヌーで進んでいった。その川の景色がとってもよかった。まるでジャングルの中を進んでいるような感じで、大きな木の上には、いろいろな鳥や、猿がいて、とっても楽しかった。
 そうこうしている内に、彼らの家に着いた。
 彼らの住んでいる所は、本当に入組んだ所で、また、1件1件の家がとても離れた位置にあるため、全く援助が届いていなかった。
 でも、来ないのもしょうがないような所に住んでいる。
 だから彼らに、この地域に住む人達みんなで集まって、誰が住んでいるかというリストを作って、役所に届けて、この地域を1つのコミュニティーとして扱ってもらえるよう、何とかしたらどうか、という事を持ちかけた。
 彼らはとてもやる気になっているように見えたけど、どこまでの事ができるのか今は分からない。でも、本当に彼らがこの事を彼らだけでできる日が来ればいいなと思う。
 このcuacuの人達は、本当に援助が必要だと、今日1件ずつ家を見て、話して実感した。できるだけ早く何とかしてあげたいな。
 帰り道は、馬に乗って帰ってきた。


 ←前の日記を読む | 次の日記を読む→


メイン現地日記 現地からの報告 日本での活動 AYUCAについて 義援金受付 送ってください! 会員募集 ホンジュラスについて 活動地域地図 関連リンク 事業報告 AYUCA連絡先

AYUCA - ayuca@home.email.ne.jp