空を見つめる瞳から、赤い涙が一筋伝う。
 手入れをしたわけでもないが、きちんと切りそろえられた爪がべりべりと剥
がれる。
 幾多の悪人を瞬殺してきた右足が、ぎょくっと奇怪な音をたててあらぬ方向
に捻じ曲がった。
 陰の器が黄龍を受け入れる事は、そのまま器たる身体の崩壊を意味する
という伝承を、目の当たりにする。
 この期に及んでようやっと、話が違う事に気が付いたのか、どうしようもない
下衆達が声も高くなにやら叫びあっているが、そんな無駄な声は俺の耳には
届かない。
 うろたえながらも、紅葉の身体の崩壊を留めようと一体化したはずの黄龍
の指先が、紅葉の壊れた身体を這い回る。
 黄龍の力をもってしても綻びがとどまることはなく。
 癒す先から紅葉の身体が崩れてゆく。
 紅葉の見えない瞳が、俺を探す。
 賢明に探して、死んだ方がましだという激痛の最中、紅葉の真っ赤に染まっ
た両腕が俺に向かって伸ばされる。
 「龍…麻あ……っ!」
 黄龍と共にではなく、俺、だけを。
 呼ぶ声音と共に。
 「紅葉っつ!!」
 両目が金色に輝くのと、全ての戒めが弾け飛んだ瞬間。
 俺の視界は真っ白に染まった。
 黄龍の力が無くとも、黄龍と同じ力を持つ化け物と化した俺が最後に見たも 
のは。
 涙を浮かべて俺を呼ぶ紅葉と、途方に暮れながら紅葉の身体をあやすよう
に抱き締める黄龍の姿だった。

 目が覚めた時、俺は病院にいた。
 以前も見たことがある天井で、俺はそこが桜ヶ丘であることを知った。
 意識を取り戻りした俺に、事の経過を、何故か御門が話してくれた。
 高城学園の桐ノ院が、俺と紅葉の身が危険であると教えてくれたこと。
 取るものも取らず、桐ノ院が教えてくれるままに現場にたどり着けば金色の
光に包まれた俺が、紅葉を抱えて呆然としていたこと。
 建物は全て全壊し、俺と紅葉以外の人間は皆正気を失っていたこと。
 全ての後始末を桐ノ院が引き受けてくれたので、俺達を桜ヶ丘へ運んだこ
と。
 「紅葉の怪我は!」
 そこまで聞いて、俺は叫ぶ。
 紅葉の怪我は尋常ではなかったはずだ。
 「酷いものでしたが完治は致しますよ。跡も残らないでしょう。その点は大丈
  夫です」
 生きてあることに安堵し、怪我も完治することに胸を撫ぜ下ろす。
 「ただ、幾つか。問題が。落ち着いて聞いてくださいね」
 「紅葉が生きてあるんだ。他に問題はない。まさか、ショックで記憶喪質でも
  起こしてるのか?」
 ありえない話じゃない。
 それぐらい衝撃的なことだったのだから。
 「私も…詳しく事情を存じ上げないので因果関係まではわからないのですが。
  紅葉さんは『龍』という言葉に関われなくなりました」
 「は?」
 御門の云わんとしている内容が理解できずに、首を傾げる。
 「具体例を上げれば紅葉さんが使う技の中で『龍』とつく技が一切使えなくな
  った」
 「何だって!」
 「貴方と打てるはずの方陣技も使えないでしょう。発動しないんです」
 「馬鹿な……」
 そんなことが起こりえるものなのか……。
 「そして……」
 御門が辛そうに目線を外す。
 「貴方を『龍麻』と呼べない」
 言われた内容を咀嚼するまでに、時間を要した。
 御門は一体何を言っているんだと、理解した瞬間。
 俺は御門の止める手を振り切って部屋を飛び出した。
 聞かなくたってわかる。どこにいたって感じる。
 こんなにも紅葉の存在だけは。
 階を降りて端から三つ目の扉を息せき切って開ける。
 俺がいた病棟はいわゆる普通の病院の外科って奴だが、紅葉がいるこの
場所は確か精神科だったはず。
 「ひーちゃん?」
 ぎょっととした風情で京一が振り返る。
 包帯だらけの人間が形相を変えて飛びこんでくれば誰だった驚くだろうが、
それどころじゃない。
 ベッドに起きていた紅葉の顔色は、何時にも増して白かったけれど京一に
向けて浮かべていた笑顔は穏やかなものだった。
 「紅葉……?」
 呼びかける俺に、紅葉はいつもと変わらないやわらかな微笑を含んだ声で
俺を呼ぶ。
 「……緋勇」
 と。
 「蓬莱時さん。申し訳ないけれど」
 「ああ、外す。しばらくは誰も来るなって言っとく……ひーちゃん?無理はす
  んなよ」
 京一の戒めの声が、なかったら俺はこの場で紅葉を犯していたかもしれな
い。
 この胸を突き上げる絶望的な衝動をどうにかしたくて。
 「紅葉……紅葉っつ!」
 ぎしっとベッドに乗り上げて、紅葉の身体を抱き締める。
 俺は一体どれだけの間眠っていたのだろう。随分と痩せてしまった体が物
悲しい。
 「すまない、緋勇」
 薄く包帯の巻かれた紅葉の掌が、俺の髪の毛を労わるように撫ぜる。
 幾度も幾度も。
 俺の存在を確かめでもしているように。
 「僕は、もう。君の名と。もう一人の君の名を。呼んで上げられないんだ」
 包帯越しでも手が震えているのがわかる。
 「君の、双龍の資格を、失ってしまったんだよ」
 頬に濡れた感触を覚えて、紅葉の顔を上げさせれば、紅葉の瞳からは透明
な雫が滴っていた。
 「側に、いられないんだ」




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