俺の半身である紅葉を連れてきた、ということは。
 かなり下調べをしたか、俺と紅葉の親しい知り合いの中で裏切りが出たか。
 どうやら金に物を言わせるタイプのようだから、前者に決まっているだろう
が、それにしても手際がいい。
 その完璧すぎる要領の良さは、まるで紅葉を敵に回しているかのようだ。
 「黄龍の器よ。不自由をかけてすまなんだが。いましばし辛抱されよ」
 先程お偉いさん達を静か過ぎる声音で制した老人が、俺の手の届くところ
まで来て、ひそりと囁く。
 あいかわらず大音声とも言える呪言が放たれているというのに。
 老人の言葉は俺の耳によく届いた。
 いわゆる生え抜きの術者なのだろう。
 「……紅葉は、無事か……」
 「己の身よりも半身の心配か。未だかつてないほどの度量を持つ黄龍の器
  よ…の…心配致すな、命には別状はない」
 すっと老人の目線が自分の後ろに向けられる。
 俺の手前、老人の背中の向こう。
 距離にして数メートルの位置に、紅葉の姿はあった。
 天井に幾本も交差する梁から垂れ下がった荒縄に、両手首を戒められて
いる。
 荒縄にはここ最近符術も操るようになった紅葉の、技を封じるためか意識
を縛するためか、見たこともないほど鮮やかな色とりどりの呪符が貼り付け
られていた。
 「紅葉!」
 呼べば深く垂れた頭が、ゆっくりと重たげに持ち上げられて反応を返してく
るが。
 「龍麻、ど…こ?」
 薄く開かれている瞳の、視点がおかしい。
 「見えない…無事?……龍麻……」
 掠れ切った、声音。
 俺の声がする方に賢明に指先を伸ばすが、荒縄によって硬く封じられた手
首からその身体全体がゆらゆら、ゆらゆらと揺れるだけだ。
 「紅葉に、何をした?」
 「符を操る人間に符術の戒めをかけようとするならば、まずは光を封じるの
  が定石じゃて」
 「貴様……」
 殴りかかろうとして、自分の手が思うように動かせない事にようやっと気が
付く。
 俺は紅葉より手酷い拘束を受けていた。
 手枷足枷が嵌められて、じゃらじゃらと野太い鎖が四方にうねっている。
 四隅には見るからにできそうな坊主が、全て違う呪印を結び、俺の行動を
制限しているようだ。
 『あ、め、た、り、い、た、り、お、し、た、り』
 何を言っているのか。
 何らかの意味を成すのだろうが、今の俺に呪文の意味を考える思考能力
は残されていない。
 「これが邪道とは百も承知。わしはただ。わしの力継ぐものが欲しかった。
  貴殿の体より黄龍を追い落として、陽の器たる貴殿にこの力、受け渡す」
 優れた術者ほど、その能力を残したがる傾向にある。
 そしてだいたいは手段を選ばない。
 ずば抜けた術の全てを継がせるためには、少なくとも自分より才能のある
ものでなければ意味がない故に。
 「陽の器から落とした黄龍は、陰の器に封じる」
 「馬鹿な!」
 瞬間で激昂する俺の耳元で。
 鎖が、派手な音を立てる。
 呪文が、一層畳かけてくる。
 『だ、な、す、る、あ、め、た、り、い、ま、あ、く、お、し、た、り』
 「陰の器に、黄龍が入ったら」
 紅葉が、壊れる。
 「器が壊れてしまう」
 『だ、な、す、る、あ、め、た、り、い、ま、あ、く、お、し、た、り、く、お、お、し、
  い、く』
 自我が、崩壊する。
 『堕落するならばの、理(ことわり)。殺めたり、忌まわしく、犯した り、狂お
  しく』
 背筋がおぞけだつほどの恐怖と共に、今まで意味をなさなかった呪文がそ
の意味をなす。
 繰り返し、繰り返し俺と同一のはずの黄龍の、自我を揺り起こそうと呪言が
絶え間なく紡がれた。
 己の欲望のままに生きよ、と。
 「わしは、別にかまわんのじゃよ。己の力さえ紡げるならば、黄龍や器がど
  うなろうとも」
 何も知らず、黄龍の力が己のモノになると信じて疑わない可愛そうな男達を
幼子に見せるほどの狂気が、老人には宿っていた。
 「さあ、目覚めよ。黄龍よ。お主の半身の体内はきっと心地良いぞ?」
 その言葉を聞いた黄龍が、俺の体の中でゆったりと頭を擡げる。
 「止せ、黄龍!聞くなっ!」
 黄龍の紅葉への執着は、俺の紅葉への執着の比ではない。
 器を変えながら幾千年と生きてきた黄龍が、本当の意味で受け入れられた
のは今回が初めてなのだと、紅葉と抱き合うようになってから嬉しそうに囁い
た。
 器が愛される事はあっても、自分の存在は無視されていたから、誰かに慈
しんで貰う事など一度もなかったと、寂しそうに黄龍は言った。
 俺に抱かれる紅葉は、何の苦も無く黄龍をも包み込んだ。
 怖くないのかと問えば、『だってその存在も龍麻なんだろう?』と静かに笑っ
て、器の俺と黄龍に分け隔てない慈しみをくれる。
 人肌に包み込まれるのが、どのほどのものか。
 俺が大切にする以上に、黄龍は紅葉を甘やかした。
 俺の意識があるうちに表に出れば負担が大きいのを百も承知しているので、
俺が眠って意識を手放した後でそおっと俺の身体を使って。
 眠る紅葉の額に唇を寄せたり、魘される紅葉の身体を寝息が安らぐまで摩
ってやったり。
 皆、俺がやろうと思っていることだったので、別段嫌な思いをすることもなく、
俺はそれを許容した。
 なにせ、黄龍はもう一人の俺。
 忙しい時にもう一人自分がいればいいとよく称されるが、まさにそれが言い
得て妙という奴だろう。
 俺という器から出てしまえば、その強大すぎる力故、紅葉に触れることがで
きないという、不憫なところもあるかもしれない。



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