前のページへメニューに戻る次のページへ




 アランは紅葉が苦手だ。
 ノリが悪い!と言って憚らない。
 村雨が犬になるのは、マサキちゃん相手にだけ。
 紅葉を相手にしたのならば、逆に。
 犬にしたがるだろう。
 俺が、つい先日までしていたように。
 や、俺よりはずうっと優しく、紅葉を犬扱いする。
 アレは、そういう男。
 「蓬莱寺さんは、中型だけど。忠義が絶対だからね。求められて、縋られるのは、思っていた
  以上に心地良いよ。そうだね。今風に言えば、癒されるっていうのかな?」
 「紅葉……」
 「だからね、緋勇。君にペットとの楽しい時間を邪魔されたくない。さっさと、消えてくれ」
 「嫌だっつ!」
 反射的に答えた。
 ゆっくりと身体を起こして、結跏趺坐を使う。
 その間も、紅葉の瞳は実に冷ややかだった。
 暗殺対象を見やる眼差しと、そっくりだ。
 京一の手によって、意識を失うまで殴られた身体は、僅か数分で元通りになる。
 実に、立派なバケモノ具合だ。
 こんな、俺を。
 紅葉と京一以外の誰が。
 愛してくれるというのか。
 「……消える気がないのなら、別に構わない。僕にとって君は、もぉ。気をかけるほどの存在
  でもないからね」
 「ここに、居て。いいんだな」
 「勝手に、すれば?僕に関わらなければ、それで良い。どうせ、君は僕の言う事なんて、何
  一つ聞かないんだろうし」
 諦めきった瞳は、実に慣れた色をしていた。
 ここで、紅葉の言うとおり帰宅なぞしてしまったら、最後。
 紅葉は、俺の双龍である縁さえ断ち切りそうだ。
 更に嫌われてしまったのだとしても、今、引く訳にはいかない。
 「聞く耳持たない耳なんてさ。切って落せばいいんじゃねーの?」
 背中から右の耳朶の上、ひたりと冷たい物があたる。
 何時の間にか、京一が背後に立っている。
 あたった物は阿修羅の切っ先だと思ったが、切られる悪寒はしなかった。
 今の京一なら、俺を切るのに躊躇いはない。
 けれど、決して。
 紅葉の許しがなければ、何一つ傷つけないのを俺は既に理解していた。
 俺を打ちのめした時の、狂気の気配は既に去ってもいる。
 「……これ以上、君の手を緋勇の血でなんか汚したくないよ。せっかくシャワーを浴びて、
  さっぱりしてきたのに。おいで。髪の毛を拭いてあげるから」
 まだ。
 抱き合う前。
 紅葉が俺にしか、心を開いていなかった、昔。
 風呂上り、髪の毛を乾かそうとしない俺を心配して。
 丁寧に梳きながらよく、乾かしてくれた。
 ちょうど、今。
 京一がして貰っている風に。
 耳は切り落とされなかったが、髪の毛が一房、床の上に落ちる。
 紅葉の言う事を利かなかった意趣返しなのだろう。
 トランクス姿で、すたすたと紅葉の座るソファの下に、真っ向から俺を睨みつけながら胡坐を
かいた。

 「……蓬莱寺さん……耳の裏に泡が残ってますよ」
 「げ!」
 「だから、焦るなと言ったのに。本当、君は困った人ですよね」
 「ごめん!」
 ぱしん! と良い音をさせて拍手を打つ京一を、おっとりと見詰めながらその髪の毛を優しい
手付きで、乾かしている姿は郷愁を誘った。
 京一が行方をくらます前には時折、見られた光景だったのだ。
 髪の毛を拭くなんて、突っ込んだ事はしなかった紅葉だったが、概ね京一は紅葉に甘えてい
たし、紅葉もまた紅葉で京一を甘やかすのを厭わなかった。
 俺の対だから。
 俺の親友だから。
 しかし、今目の前にいる二人は、俺という存在を介入させない。
 広がる光景は、恋人同士に限りなく近い二人の世界。
 「紅葉―これ、どうすんの?」
 コレ、が俺を差しての事なのだと、憎々しげに凝視されなければ、わからなかった。
 出会いの場面から、比較的友好的な態度であった京一には、怒った時にですら、そんな酷い
言葉を投げつけられた事はなかったので。
 「帰れ、と言ったんだけど。嫌なんだそうだ」
 「じゃあ! 力ずくで」
 髪の毛を掻き混ぜる紅葉の手を恭しく取って、外し。
 すっくと立ち上がった手には既に、阿修羅が握り締められていた。
 「……蓬莱寺さん?」
 「止めるなよ」
 「違います……阿修羅。持てるようになったんですね」
 紅葉の手による監禁で、一時期は剣聖としての覇気を寂しいくらいに失ってしまった京一だっ
た。
 他の仲間達は心配し、それと同時に、京一が残念ながら元に戻る事はないと思ったものだが。
 「紅葉の側に居て、紅葉を守る為には必要だろうと思ったから。鍛錬を積んだ」
 「私が驚くほどの、鍛錬だったんでしょうね?」
 「でもねーよ。俺、割と集中すると結構時間忘れちまうし……お前の目から見ても、阿修羅を
  持つのに相応しい存在に戻れたと思うか?」
 「ええ! 正直驚きました。やっぱり貴方はそうやって、剣を持つ姿が良く似合う」
 俺に向ける殺気は微塵も収めようとはせず、しかし、穏やかに紅葉の髪の毛に顔を埋め、
その漆黒で癖のない髪に口付けている。
 「紅葉にそー言われるのが、いっちゃん嬉しい」
 「ならば、蓬莱寺さん。私が大好きな貴方の技を、そんな物に使おうとしないで下さい」
 「でもよ?」
 「お願いします。京一」
 「それ、反則!」
 阿修羅を転がして、きゅうと紅葉の身体を抱き締める。
 それだけ、蕩けるように甘いオネダリだった。
 京一と、ただ下の名前を呼んだだけなのに、それがこっちにまで伝わってくる。
 「……居るだけなんですから、私達が無視すればいいだけの話です」
 「……わかった。紅葉の言うとおりにする」
 「良い子ですね」
 抱き締められた紅葉は、京一の額に口付けを落とす。
 何故か、聖母マリアの像を思い出した。
 肉の色のない、母親が子供にするキスにとてもよく似ていた。



                                         前のページへメニューに戻る次のページへ
                                             
                                             ホームに戻る