「…ん。ありがとう、紅葉。もう平気みたいだ」
「……草履の方を見せてもらうよ?」
確認を取られた瞬間、もう俺が履いていた草履は紅葉の手の中にあった。
「何かおかしいのか?」
「ん……もしかしたら鼻緒が緩いのかなと思って。草履ずれなんか起こしたら辛いからね」
どこがどーなったらおかしいのか、俺には全くわからないが紅葉には鼻緒の調節もできるらし
い。
「少しゆるかったみたいだね。調節しておいたから、もう大丈夫だと思うけれど」
履かせてもらって早速椅子から降りると、とんとんと爪先を地面につけて指の間に鼻緒をフィッ
トさせる。
豆でも出来てしまったのか水脹れが押されるような痛みが走ったが、、まー耐えられる。
さすがの俺でも境内までの砂利道を普通の足袋で歩く気にはなれなかった。
「龍麻?」
「確かに先刻よりは全然楽。助かったわ」
「僕の方こそ気がつかなくてすまなかった。自分が慣れてしまうと気づけないものなんだね」
紅葉に非なんてどこにもないのに。
時々紅葉はこんな風に、全ての非が自分にあるような物言いをする。
「そんな顔されると俺が困るってさ!……じゃお礼に金魚でもとってやるから、な?それとも。
亀にするか?」
自虐的な紅葉はかなり艶っぽくって好みだったりするんだが、紅葉はそれを厭うている。
「亀……って言われると、ついつい如月さんを思い出してしまうよね」
だからさりげなく話題のてんかんを計って、極力、紅葉の闇には触れないように気をつけた。
恋愛ってーのは本当、凄いもんだと思う。
俺にこんな遠まわしな気の使い方をさせてしまうくらいに。
「他の四神は格好良いんだけど、如月一人でギャグだからなー」
アランは瞳の色と相俟って美しくスカイブルーの鱗を輝かせる青龍。
マリィは屈託なく広げる巨大な炎をまとった翼を持つ朱雀。
醍醐は俊敏な巨躯で天空すら駆ける白も鮮やかな白虎。
そして、如月が蛇の尾を持つとはいえ、亀。
玄武。
『ギャグは失礼だよ』と咽をくつくつ鳴らしながら笑いを堪える紅葉の背中を、やわらかく促す。
「じゃ、やっぱし亀掬いだな!」
もう一度足の具合を確かめる為に地面を強く蹴ってから、先程よりも強く紅葉の指に自分の指
を絡めて促した。
「さて、と。これでもう気がすんだだろう?」
射的でとったのはご祝儀千円付の、少女の掌には余るだろう大きさの猫のぬいぐるみとチョコ
レート三個。
リンゴ飴とわたがしは仲良く二人で半分こして食べ尽くし、引いたおみくじは我ながら笑っちゃう
感じの大吉。
「あれほど、大物は嫌だと言ったのに……」
視線は明後日の方向に投げて首を振る紅葉の首根っこに、えいっとばかりに腕を回す。
「そんな顔顰めるなって!せっかくの美人さんなんだからさー。亀だってちゃんとに取ったぜ?」
「誰が頼んだかな!誰がっつ!」
ぐいっとばかりに紅葉の腕が俺の目の前に突き出される。
利き腕のちょうど肘を折り曲げた所に大きなヨーヨーの軽く三倍は有りそうなビニール袋がか
かっていた。
中身は言うまでもないが、亀。
お祭り特有の小さな緑亀。
自慢になるが、俺は数やった事もない癖に、この手のお遊びとなると、村雨に勝るとも劣らな
い強さを誇る。
縁日仕様のしなしな最中で巣食った亀の数はなんと五匹。
プラスチックに障子紙を貼った奴なら倍はいけたのだが、へたれた最中を刺し抜いていた金具
で一匹釣り上げた時点で親父に止められた。
「如月にやればきっと喜ぶよ?お仲間だもんなー」
「僕だって如月さんに上げるのは是非もないさ。でもこれを誰が持って帰るか知っているかな?
だーれーがっつ!」
ずずずいっと滅多にない勢いで食ってかかる紅葉の前に俺は、背負わんばかりにして持って
いた熊手を差し出した。
酉の市で販売される限定モノのあれだ。
商売繁盛を願って、縁起の良い物を飾った熊出。
「ほら!俺にはこれがあるからさ!」
「……熊出……その大きさは普通商売をする方が買う大きさだよ?これだけの大荷物を持たさ
れて、尚且!縁起物の値切り倒しに付き合わされた僕の身にもなって欲しいねっ!」
「えーだってさー。大きい方が得した気分になるじゃん。何事も……さ?」
商売繁盛をメインにあらゆる幸運を呼び込むといわれている熊出を、白髪混じりの気風の良
いおやっさんが、小気味の良い合いの手を入れながら売っていたのに釣られて、ついふらふら
と漂って屋台の前に立ってしまったのが運の尽き。
『駄目だね、少年!縁起物はさー。値切っちゃいけないやな?』
『そうは言うけど親っさん。んなこと言っていいんですかね。もう時機今年も終わりますよ?
やっぱ今年中に全部景気良く売り尽くして、来年の運を呼び込まないとまずいっしょ!』
……ってな具合に戦った時間は十五分強。
あれよあれよという間に膨れ上がってしまった観客の喚声に応えようと、頑張った俺の手の中
には三千円で手に入れた通常五万円は硬い、おかめの顔も自分の顔ぐらいあるゴージャスな
熊出。
まあ、この手の商品の原価なんてたかが知れてるけど。
これだけまけさせると、原価ぎりぎりかなーとも思う。
「何事にも限度ってものがあるだろう、龍麻?限度というものが!」
「そーんなに、めくじら立てるなってばさ。皺皺になっちまうぞ?やめとけって」
空いている方の手で紅葉の目尻にできてしまった皺を伸ばしてやる。
中指の腹を使ってゆっくりとほぐせば、苦笑が極々淡く、口の端に上った。
「それでは、もう帰路についていいんだね?」
「えーそれは嫌だ!紅葉と一緒にカウントダウンするんだからさ……後三十分ぐらいだろう?」
「ということは……まだ何か見て回る気だな」
「俺的には物足りないけど紅葉は嫌なんだろうーし?とりあえず荷物を置きに行くか」
目を閉じて頭の中で空いてそうなコインロッカーの場所をシュミレートしてみる。
いつもなら絶対空いている、本堂境内の裏手にあったロッカーも多分埋まっているだろうしな
あ……。
「龍麻……コインロッカーはこの時間では、無理だと思うよ」
紅葉も同じシュミレート結果だったらしい。
「だな……ってーと……ああ!良い所あったわ。あそこなら絶対平気だ。ちょっと歩くけど、
良い?」
「この荷物を一端でも置けるなら、どこへでも。お供させて頂くよ」
腕に亀の入ったビニール袋を掛け直して、ぬいぐるみの入った手提げ袋を持ち替えた紅葉の
気合が入った姿に思わず笑んでから、俺は目的地へと紅葉の手を引いた。
「随分と静かな所だね。同じ敷地内とは思えないよ。こんな場所があるとは……知らなかったな」
「ま、マニアックポイントって奴ですか?」
氷川神社の敷地内でも北東……つまりは艮の方向に位置する場所には不思議と人がいない。