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 『もう、しない、の?』
 『ああ?こんな状態でできるわけねーだろうが!俺がやりたいのは強姦じゃねーんだから』
 『……そう。しないなら、帰らないといけないね』
 俺の手首を掴んでそっと引けば、血に塗れた指先がずるりと抜け落ちる。
 『帰らないとって?え?何を言ってるんだ。血が止まってちゃんと治療ができるまでは、ここにいろよ』
 『……だって。僕がここにいるのはSEXの為だけだろう?使い物にならないんじゃあ。他の人を呼ばない
  と。僕は、邪魔だよね?』
 『紅葉……何を言っているんだ』
 止めようとする俺の指先から逃げるように、ベッドを降りた紅葉は、まだ出血が止まらないにもかかわら
ず下着を着け始めた。
 『せっかく時間を作って貰っているのに、役に立たなくてすまないね』
 震える指先に深い溜息をつきながらも、ワイシャツのボタンがとめられてゆく。
 『おい!ちょっと待て!俺はお前とやりたいだけで一緒にいるわけじゃねーよ!!』
 『じゃあ、どうして?』
 『だって恋人同士だろうが俺達は!恋人ってもんは普通できる限り一緒にいたいもんだろう』
 『恋、人?』
 靴下を履き、ズボンを持ち上げて、ベルトを締めた紅葉が不思議そうに首を傾げる。
 『恋人、だろう?俺達は』
 お前が好きだと告げて。
 僕も好きだよと答えてくれて。
 こうやって時間の許す限り付き合っているというのに、何を今更。
 『知らなかった……』
 『知らなかったって、紅葉…』
 『僕と抱き合っても、君は他の人とも一緒にいたし、ね。僕は愛人の一人として、君に抱かれているんだ
  ろう?恋愛に、普通なんてないけれど。この状況は、恋人じゃなくて、愛人だよね?』
 瞳を空に漂わせたまま、紅葉が囁く。
 その口調はどこまでも静かで。
 尋ねるというよりは自分に言い聞かせているようで。
 無論俺を責める色合いなど微塵もなく。
 だからこそ、余計に。
 壊れ、を感じさせた。
 
 何とかしないとやばい!と焦りだした矢先に、紅葉に連絡がつかなくなった。
 俺の電話番号は登録されているはずだから、1日10件以上の留守禄への吹き込みは全て、無視された
のだろう。
 拳武館に張り込みもしてみたし、鳴滝の元へ怒鳴り込んでもみたが、結果は同じ。
 鳴滝とは会っているし、連絡を取り合っているので、失踪とか、そんなわけではないのもわかって、安堵
しながらも不安でしかたなかった。
 俺だけが徹底して、排除されているのだから。
 精神的に余裕がなくなったせいか、他の人間へ手を出す気力もなく、不思議なくらいに欲がわかない健
全な日々。
 こんな時に相談できる相手はといえば、それこそ愛人という形容が相応しい如月だけ。
 SEX以外の用件で、如月宅を一人で訪れるのはもしかしたら初めてじゃなかっただろうか?
 営業時間にもかかわらず、かかっている支度中の札を指で弾き、勝手に入り込む。
 外出しているのなら、茶でもしばきながら待てばいいやと、足を踏み入れた居間。
 の、廊下を隔てた寝室から、微かに声が聞こえてきた。
 『へぇー?如月も朝っぱらからやるなー』
 途切れ途切れに聞こえてくる声は、ある種の艶を帯びていた。
 如月が俺にだけ受身なのは知ってたし、無論俺以外に相手がいるのは百も承知していたが、興味がな
かったので詮索したことはなかった。
 伝え聞いた噂によれば同じ学校の眼鏡な美女が、如月にベタぼれだとか、如月も悪い気はしないだと
か?
 どんな女を抱いているのかと、食指が動いて廊下に忍び耳を欹てる。
 『……嘘……だろ?』
 よく知っている、声だった。
 俺しか聞けないはずのか細くあえやかな囁き。

 『…ね?……もっと……してぇ……』
 俺は一度たりとも、ねだられたことなんかなかった。
 初めの頃は恥ずかしがって、喘ぎすら殺していたし。
 最近は、苦痛を堪える吐息しか聞こえなかった。

 『して、欲しいなら、どうして欲しいか教えてくれないと?ほら自分の好きなように、動いてごらん
 僅かな隙間から覗き見れば、受身が主導権を握れる騎上位で、跳ねる体が綺麗な弧を描いて仰け
反った。
 『こうやって、奥を、ついて?』
 自分から腰を振るなんて淫蕩なしぐさ見た事もない。
 
 そして何より、俺を絶望の淵に叩き込んだのは。

 『翡翠つ……』
 甘ったるい声音で囁かれる、如月の名前。
 そういえば紅葉は一度も、一度たりとも俺を『龍麻』と。
 ……呼ばない。

 『や!翡翠!抜かないでっ……』
 『少しだけ良い子にしておいで、すぐに戻るから』
 『……わかりました』
 『良い子だ』
 頭を撫ぜながら、紅葉の瞼に口付けを落とした如月が、すたすたとこちらへ歩いてくる。
 唇の動きが。
 『後一時間はかかるけど』
 と、やわらかく。
 俺に睦言を囁く艶かしさで動いた。

 ああ、そうか。

 如月は、紅葉を抱く為に、俺に抱かれていたのだと、唐突に思い至る。

 頷けば、如月は細く障子を開けたまま蒲団へ取って返し、再び紅葉の身体を貪り始めた。

 『いつからだ、如月っつ』
 紅葉と如月の仲の良い恋人同士にしか見えない、痴態をさんざんに見せ付けられて、怒りで目が眩ん
だまま、俺は如月のきっちりと整えられた襟元を掴
み上げた。
 はだけた隙間から、鎖骨の辺りに、赤い痕が現われる。
 紅葉がつけたキスマークだ。
 俺が無理やりつけても、紅葉が積極的につけてよこすなんて、一度だってない。
 如月は、本当に俺が知らない紅葉を知り尽くしている。
 『僕が君と寝る前から』



                    
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