慣れ切った体ですら心地良いと微塵も、思えなくて。
抱かれるたびに、何もかもを少しづつ、少しづつ喪失してゆく。
掌に掬い取った砂が、指の隙間からさらさら、さらさらと零れてゆくように
失われてゆく、生きるために最低限必要なはずの自己防衛本能。
情けないけれど僕は、己の限界を理解しないわけにはいかなかった。
「これはどういうことだか、わかるか壬生?」
彼らしくもなく慎重な物言いは、このふざけた状況に怒り心頭だったのだろう。
ともすれば、暴れてしまいそうな自分を押さえに押さえての声音。
蓬莱寺さんの四肢は重々しい鎖で拘束されていたが、正面に対する僕は何
の拘束も受けていない。
実際その通りなのだが、これじゃあどうやっても、僕が蓬莱寺さんを連れこん
で軟禁しているとしか思えないだろう。
相手が僕でなければ、蓬莱寺さんも自分が誘拐されたなどと考えもしなかっ
ただろうが、僕は卒業してもまだ公式的に拳武を名乗る事がある。
拳武のためなら、共に戦った仲間でもたやすく売れる性分であることを、蓬
莱寺さんはきっと、龍麻から聞いてよく知っているはずだ。
「今からご説明いたしますよ」
「一つ、俺が納得いくように頼むぜ」
「ええ」
拳武館の地下三階。
知る人間の少ない地下牢とも言えるこの場所だったが、この部屋だけは他よ
り幾分かましな造りになっている。
他でもないこの僕が、蓬莱寺さんを捕らえておくために設えた部屋だからだ。
「人殺しを生業とする僕が、どうやって正気を保っているか、龍麻に聞いた事
がありますか?」
「へ?」
説明を期待していたにも関わらず、一見して何の関係もない質問を投げられ
て一瞬蓬莱寺さんの表情が呆けたものになる。
「聞いたことがありますか?」
「いや、ねーよ。壬生のプライベートは壬生のもんだからって。その手のこ
とは聞いた所で教えてもくれねーだろうさ」
人殺しが日常の僕に、知られたくないプライベートな部分などありやしない。
ましてや、蓬莱寺さんの身代りにと僕を犯しつづける龍麻に対して隠せること
なんて、僅かに胸の内ぐらいだ。
それを、どの面下げて、僕のモノなのだと言えるのか。
彼の神経の図太さにはほとほと感心する。
そのほとんどが、蓬莱寺さんを傷つけない、ということに起因している事に、
何よりも。
「……男にね、抱かれるんだ。痛みでしか自分の存在を自覚できえないので。
定期的に。特定の人間が作れるといいけれど。だいたいの相手が持たない
から。長続きしない」
「相手が持たない?」
突っ込み所が蓬莱寺さんらしくて失笑しながら、僕は自分の頭をとんとん、と
叩いて見せる。
「精神が、持たないんだ。好きでもない相手を満足させるためだけに抱くから。
心が壊れてしまう」
もう幾人の男を潰してきたか。
ぎしぎしと激しい腰の動きにつられてうるさく軋むベッドの音と相手の興奮しき
った荒い息だけが、白々と部屋中に木霊する。
初めから身体だけしか望まず、否、望めない僕との爛れた関係を承知で契約
を結ぶはずなのに。
罵るのだ。
身体だけは人一倍反応する癖に、心がどこにもないと。
何故、愛してくれないのだと。
首を締めながら、気絶するまで抱いて、泣き濡れるままに、狂ってゆく。
皮肉にも現在、体の欲求を満たしてくれるのは龍麻だけだ。
そう、僕を愛してはない。
愛する事は決してない、龍麻だけが僕を満たす。
ただし、体だけ。
「だから、ね。僕も何人もの男を相手にするのは厳しいし。誰か一人。僕の
体と心を補完してくれる人が欲しい」
「で、何でそれが俺なんだ?」
こんな時に彼の頭の回転が異様に早いのは、僕でも知っている。
人の良い蓬莱寺さんは、誰かを助ける時だけ感が鋭くなる。
自分の痛みには鈍い癖に、人の痛みには敏感なのだ。
「一番良いのは、双龍でもある龍麻なんだろうけれど。龍麻には心に決めた
相手がいるから」
「!……知らねーよ!俺は聞いてねー!」
「その人を壊してしまうだろうから、一生告白もできないって。言っていたよ?
そんな情けない部分を蓬莱寺さんには知られたくなかったんだろう」
「ひーちゃんに告白されて壊れるって?……どんな相手なんだそりゃ」
真摯に驚く蓬莱寺さんに、まさか『君のことだけど』とは口が裂けても言え
ずに。
曖昧な微笑を浮かべてみせる。
「で、ひーちゃんが駄目だから、俺なわけ?」
「他にも色々と考えたんだけど。意外に純愛を貫いている人達が多いし。遊
びに手馴れていない人に無理じいしても、まずいかと思ってね」
「男には慣れてねーよ」
「抱けないわけじゃあ、ないだろう?」
好奇心が旺盛な蓬莱寺さんの事。
後腐れがなければ、それもまた良しと受け入れるだけの懐の深さと広さぐら
いはあるはずだ。
そうでなければ、龍麻の親友なぞ、やっていられるはずもない。
「まーそうだけどよ。俺、壬生を満足させる自信なんざ、微塵もねーって」
大きく肩を落としながら息を吐いて天井を仰ぐ。
「壊れなければ、それで良い。僕も多くは望まないさ」
自分でもあんまりだと、思う物言いにも。
蓬莱寺さんは不思議と怒る事もなく、穏やかな風情だった。
繋いだ鎖を指先でなぞりながら、蓬莱寺さんの額に唇を寄せて尋ねる。
「気持ち悪い?」
同性に触れる嫌悪感を覚えるタイプならば、これだけでもお手上げだろうが。
「いんや」
鎖をなぞる指先が拾われて、唇に含まれた。
「ひーちゃんが駄目だから俺ってーのは、ちっと寂しいけどな」
「良く言う。ただの同情の癖に」
男に抱かれることでしか安定できない自分への、哀れみを含んだまなざしに
僕が気づかないとでも思っているのか。
「友人の一線を超えるには十分な理由だと思うぜ」
数をこなせばナンパも幾度かは成功するのだろう。