人が人をさばくことへの嫌悪を、正義に殉ずる陶酔に
良く似た悦楽。
何も考えずに一本、一本男の指という指を踏み砕きな
がら、僕は込み上げてくる熱に身を震わせた。
「……そうだね、一本しかないとはいえ、こんなに豪
奢な桜の下に花見客が集わないというのは、滅多に
ないことだよね…。これもまた"黄龍の力"って奴か
い?」
今日も今日とて血に塗れた自分をふとした拍子に思い
出してしまったのを悟られないように、微笑んでみせれ
ば。
「それが今回に限ってはそーじゃないんだわ。まぁ、
見てみろよ」
騙しおおせたのか、僕の感情の揺れに気付かない風に
会話を進める龍麻の腕に絡め取られた体制で、その指先
が示すものを負う。
枝垂れ桜の枝が目線どころか足元までもったりと下が
っていて、まるで桜の折にでも捕らわれたようだ。
「え……あれは?」
桜のカーテンの向こうに少女が立っていた。
透き通るように白い……どころかその体は透けていて、
対面に位置するベンチは少女の姿に重なっている。
「そ、世に言う所の幽霊さんって奴。紅葉は、こんな
ん初めて見る?」
「異形は、さんざん見たけれど、幽霊というは初めて
かもしれない」
「まー普通は一生縁が無いもんだからな」
「そうか……彼女が出るせいで、人がいないんだね」
「出るだけなら、物珍しがって来る奴も多いんだろう
けどな。ここに人が来ない理由は、それだけじゃな
い」
意味深に言葉を切って、僕の反応を伺ってくるので。
「祟りでもあるというのかい?」
実にありがちな話を振ってみる。
もともと真っ白だったはずの桜の花びらが淡い桃色に
染まっているのは、桜の根元に姿態が埋まっているせい
だとか。
遥か昔から桜には"死"にまつわる逸話が多い。
暗殺業についているからというわけでもないが、怪異
と桜は古来より密接な関係にあるという話を迷信深い人
間から聞く機会もあった。
「……カップル限定だけどな」
龍麻は低く喉を鳴らしながら笑う。
飽食した猫にも似た気紛れ加減は、次の行動を、これ
だけ側にいる僕にですら読ませない。
「カップルでこなきゃ、姿は見せな。姿を見せれば祟
るって奴さ」
「ありがちに、別れる、とか?」
嫌な予感が頭の中を瞬時に走った。
「別れるだけなら……まぁ……な」
少女が現われたということは、僕と龍麻をカップルに
見立てたのだろう。
だと、したら?
「今まで起きた話によると、どっちかを殺すらしいぜ。
少女に操られて、どちらかが殺されるって言った方
が正確かな」
龍麻の言葉が届いたのか、少女がゆっくりと近付いて
くる。
歩みが進むにつれてこめかみが掻き回されるように痛
んだ。
「そーゆーの聞くとさ……」
一歩一歩と確かな歩みで距離を縮める少女を盗み見た
龍麻は、僕の頭痛など気付きもせずに。
「興奮しねぇ?紅葉」
破顔した。
無表情だった少女の顔が、奇妙な表情を浮かべてぴた
りと止まる。
普通幽霊が歩み寄ってくれば驚き腰を抜かすか、その
場から慌てて逃げ出すのかどちらかなのだろうが、僕は
痛みに顔色を変えることはなかったし、龍麻に至っては。
「俺たちにはてめーの力が通じねぇってコト。教えて
やろうぜ」
笑いながら挑発を始める。
ズボンのジッパーに手をかけて殊更少女に見せつける
ように、ゆったりとした動きで下ろすのを視界の端で捕
らえながら、龍麻に抱き抱えられるようにして座ってい
たベンチから降りて、目の前に正座をした。
ついた膝は敷き詰められたような桜の花びらの残骸に、
しっとりと包まれる。