果たせなかった約束の代わりに、ようやっと龍麻のた
めに時間を作ることができた。
 満足そうな龍麻の顔を見て、悟られないように小さく
安堵の溜め息をつく。

 あの時は最後の一戦が中途半端な形で終わったために、
激しい性行為の後に覚える異様な気怠さに支配されるこ
とはなかった。
 おかげで体的には暗殺に何の不自由もなかったのだが、
代わりに体の奥から沸き上がる飢えと、熱に泣かされた。
 体が壊れるよりもずっと悍ましい感覚は、記憶の隅を
未だにじんわりと浸食しているほどだ。
 人を殺すと奇妙なくらいに人肌が欲しくなる時がある
が、少しだけそれに似ているかもしれない。
 欲しいけれど、欲しがるわけにはいかない、自分の熱
を持て余すだけの、あの背筋がおぞけ立つ感覚に……。
 僕は仕事の最中は、思考を一切停止させる。
 感情は抱かない。
 ただ標的のその場の状況に準じて、もろい肉体を殺め
たり、弱々しい精神を犯したりして、最終的な依頼主の
希望に応じた方法で依頼を果たす。
 今回の標的はちょうど一回り年上の薬屋。
 彼の手から薬物を入手し立派な中毒患者となって、そ
の薬代を得るために売春婦に身を堕落した娘の母親と、
薬を打った高揚感のままに実の両親を刺殺した男の弟が
依頼主だった。
 『兄ちゃんが弱くて…薬に手をだしたのは…兄ちゃん
  が悪いと思う。だから、兄ちゃんが死んでしまった
  のは自業自得と言えるでしょう?お父さんやお母さ
  んだって、親だったから、自分の息子を止められな
  かった責任を負わないといけなかったのかもしれな
  い……』
 まだ拙いともいえる言葉を懸命に使って訴えかける様
が延々と、館長から手渡されて見た依頼主からのビデオ
には映っている。
 『でもさ、お母さんのおなかの中には妹がいたんだ。
  ……妹は何一つ悪い事をしてなかったのに殺された。
  僕は、それがどうしても許せない』
 死んだ両親の保険金……それは実際数千万円という結
構な額であったようだ……を全て引き下ろして、どんな
つてを使ったのか館長に正式な依頼をたてた、両親刺殺
を行って自らの命も断ち切った犯人の弟は、あどけない
風情すら残る小学生。
 まだ、十歳にもなっていない少年だった。
 素性が割れてしまう恐れがあるため依頼主から直接依
頼を受けることはなく、ビデオなども通した上で館長か
ら僕に下される依頼の数々の中では、今回のような陰惨
な話は少なくもない。 
 いや、陰惨であるけれど善悪がはっきりしている今回
のケースはむしろ仕事としてはやりやすい部類に入る。
 極端な話。
 冤罪めいたものも少なくないのだ。
 僕は何も考えず、考えることをしようとせずに館長か
らの命令に従うだけだけれども『これが正しいのかと、
殺してもいいのかと』深みに嵌まってしまうことも多か
った。
 『肉体的な痛みは無論。精神的にも私の娘が受けた痛
  みと同じものを与えて下さい』
 きつく握り締めて白くなった指先よりも、尚白い顔色
の女性は唇を噛み締めた後に、きっぱりとそう言い切っ
た。
 薬屋への同情は微塵もないだろう。
 えてして傷を負った善良な小市民は"殺し"を望まない
場合が多い。
 自分が受けた痛みほど酷い痛みはないと嘆く彼等は、
生かしたままで葬り去る方法を望む。
 それは時にさっさと殺してしまうよりも残酷な復讐で
あることを本能が知らしめるせいなのか、素人からの殺
しは極端に少なかった。
 依頼主の言葉は館長の言葉に匹敵する。
 僕にとってそれがどんなにか意にそぐわない事であっ
ても絶対服従をするしかない。
 意識が失せない程度に調節した麻薬を男の体に打った。
 呂律も回らないくらいに悪酔いした口から呻くような
悲鳴が零れたのは、僕の足が彼の力なく投げ出された足
の小指の骨を踏み砕いたから。
 依頼主と交わした約束通りに小さな苦痛を際限なく与
える復讐は、代わって遂行する僕の中に二つの感情を植
え付ける。

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