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 くるりと振り返る。
 『何か御用でしょうか?』
 と、皮肉たっぷりにいってやろうかと思って。
 目の前に立つ男が白衣を着ているのを見て、考えを改めた。
 「……マスタング少佐と申します。失礼ですが、軍医でいらっしゃいますよね?」
 「くっくっく。何の意趣返しのつもしだ、そりゃ。戦場で白衣を着てたら軍医に決まってんだろ
  うが」
 「…閣下直属の研究員の方かも、しれませんから」
 戦局が激しくなるにつれ。
 重症患者が増えるにつけ。


 閣下は直属の研究員を大量に投入して寄越した。
 彼らは、白衣を着ていながらも、医者とは全く逆の治療とは言えない治療を施していると聞く。
 敵の捕虜を使ってあらゆる人体実験を行っていると、そんな噂があるのだ。
 もし、その噂が本当だとして。
 更には目の前の男が研究員だったとしたならば、私はみすみす部下を手渡したりしない。
 味方ですらも実験材料にすると、そんな噂すら真しやかにささやかれているの。
 「ああ、ちげぇよ。俺は、んなエリートさんじゃねぇ。しがない一軍医だ。テントもちっさいのし、
 満足な治療ができないかもしれんが、最低限の消毒は出来る」
 そう、その最低限の消毒が明暗を分けたりもするのだ。
 私とて、ささやかな治療の大事さを知っている。
 何よりも心が救われるからだ。
 これで、自分も助かるかもしれないと、思える。
 その力を与えてもらえるのも、治療の一つ。
 「ぜひ、お願いいたします」
 深々と頭を下げる私の隣、地面を睨みつけぜぃぜぃと荒い呼吸をしていた副官が、ふと、
顔を上げた。
 「も、しかして……ノックス医師、で…いらっしゃいますか」
 「ああ、そうだが?」
 「知り合いか」
 聞けば首が振られる。
 しかし、その声は先刻と打って変わって希望に満ちていた。
 「下士官の、間では有名な、お医者様で、いらっしゃいますよ?」
 「お医者様なんて、尻が痒くならぁな」
 けれど、信頼されている医者なのは、わかった。
 副官の声と。
 私の腕からやすやすと怪我をした副官を取り上げて、さっさと。
 しかも全く頓着なく進む様は、医者の鑑だろう。
 「私もお手伝いいたします!」
 「ここまで、連れて来るだけでも、そのちっさい身体じゃ大変だったろうから、いいさ。後ろから
 ついて来いよ」
 ちっさい!
 ちっさいって!
 口悪い!
 絶対口が悪い!
 副官が小さく、くすくすと笑っていなければ、あまりふさふさでない髪の毛を焦がすぐらいして
やっても良かったぞぅ。
 ぷりぷりと怒りながらも、一気に身体が楽になったのは認めつつ、複雑な心境のまま医師の
後ろにつき従う。
 テントは、五分も歩かない場所にあった。
 本来ならば、4,5人はぎゅうぎゅう詰めとなって寝転がる程度の代物。
 「……うぉーい。少し詰められるか?」
 テントを跳ね上げた医師に続こうとして、絶句する。
 そこには、十数人に上る患者が所狭しとひしめいていたのだ。
 「これじゃあ、部下の治療が満足にできません!」
 「でもなぁ。ここを追い出せるような患者はいやしねーぞ?」
 副官が軽傷に見えるほど、皆病んでいるのが人目でわかる。
 「では、せめて……テントを広くしましょう」
 「はぁ?」
 きょとんと、した顔をしている医師に、説明する時間は惜しいので、畳み掛けるように問う。
 「ここに山積みになっている、血だらけの包帯は使いませんよね?」
 「使いまわしたいトコだが、洗ってる暇も、乾く暇もねーからな。使えねーが正しい」
 「結構!新しいのを調達させるから、汚れたシーツを何枚か貰ってもいいだろうか?
 ……辛い所を申し訳ないんだが、協力を頼む」
 シーツを床に敷き込んで、座ったり寝転がったりしていた怪我人が、何が珍しいのだろうか。
 驚いた顔をしながらも、懸命に移動して、シーツを明け渡してくれた。

 私は皺の寄った発火布の、手首の辺りを噛んできゅっと、引っ張った。
 乾いた布がぴしりと肌に吸い付く、慣れた感触。
 砂漠地帯では、丁寧な手入れを怠らなくとも、発火布が常に乾燥してくれるのがありがたい。
 ジャングルなどの湿地帯や雨季での戦闘は、発火布の手入れも大変なのだ。

 発火布を擦り上げる。
 ちっつ、と小さな火花が飛ぶ。
 可愛らしい炎の花を見た周囲から歓声があがった。

 今回は炎の練成ではない。
 が、私は空気中の酸素濃度を微調整して炎を練成し、炎をエネルギーに転換して、他の練成
を行う。
 炎以外の練成が苦手なのは、練成が二段に渡るからだ。
 直にするのよりは、難しく制度も落ちる。
 無論。
 それを専門としているそんじゃそこらの錬金術師に、劣るつもりもないが。
 ぱあっつと、目の眩む閃光が狭いテントの中を満たす。
 次に身体の中を風が駆け抜ける感じ。
 ふわりと、乾いたテントの布が頬を滑ってゆく感触に、私は練成が成功したのを知る。
 光が落ち着いて、周囲の高速瞬きが終わる頃には、テント内がどよめきで溢れた。
 すんげー。
 マジ、広くなってんよ。
 俺、初めて見たぜ、錬金術!
 うわー。
 どひゃー。

 人間驚くと、案外間抜けた歓声が漏れる物だ。
 くるりと振り返れば、件の医師。
 ノックス、医師は。
 平静な面持ちのままで、煙草をふかしている。
 少しぐらい驚けばいいのにと、内心舌打ちすれば。
 煙草を支える指先が、気をつけて見なければ解らないほどに、震えている。
 なるほど。
 この人は、喫煙で落ち着きを取り戻す人なのか。
 私の目線に気が付いたらしい。




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