メニューに戻る次のページへ




 戦火


 どごおぉん。

 潜んでいた塹壕の一部が、爆撃で砕け散る音。
 もう、何度、何十回、何百も、聞いた。
 慣れたくなはいけれど、慣れてしまった破壊の響き。
 
 不思議な静寂があたりを支配するのは、息をする間もない一瞬だけ。
 後には、人々の怒号が飛び交う。
 一番多いのは、爆撃の被害を被ってしまった人間の絶叫。
 もう、何人目かわからない副官が、私の数メートル横で助けを呼ぶ声を聞いて、自分が無事
なのをようやっと理解する。
 最近どうにも、己の体が、自分では制御しきれないような気がして、何とも嫌な気分を味わい
続けていた。
 今も、また。
 この体が微塵に砕け散ったとしても、気が付かないのではないだろうかとか、そんな風に。
 しかし、長い時間思考に囚われている状況ではない。
 副官は寄りにもよって利き腕を根元から持っていかれている。
 熟した柘榴のように爆ぜて、剥き出しになった赤い肉と真白い骨。
 痛みよりも恐怖で上げ続ける叫び声は、たぶん、助けて助けての繰り返しなのだと思うが、あ
まりにも高い声なので、完全には聞き取れない。
 携帯ポケットから薄汚れた包帯を取り出して、取り合えず肩を縛り上げる。
 怪我を負った時は、より心臓に近い位置で血止めを図るのが定番だ。
 動脈を切ったのだろうか、まるでシャワーのように噴出していた血が、幾らかは落ち着いた。
 もう、出るべき血は全て出てしまったのではないかという危惧もあったが、この程度の怪我な
らば、命には別状ない。
 最も感染症などにかかってしまえば別。
 心臓が弱ければ別。
 心が挫ければ……別。
 「マスタ……ますたんぐ、しょーさ」
 「……大丈夫だ。出血も随分落ち着いた。すぐに衛生兵を呼ぶからな」
 決して死亡率が低くはない衛生兵は、そもそもの数が貴重だ。
 この程度の怪我で、呼び寄せられればいいが。
 「衛生兵っつ!!」
 辺りをぐるりと見回しながら、大声を上げる。
 雑音が飛び交う中でも、不思議と私の声はよく響くようだ。
 視界の端、腰を屈めていた兵士の一人がすっくと立ち上がり、私達の方に向き直る。
 ぴしっと敬礼を決める手は血に塗れていた。
 「マスタング少佐!聞こえますかっつ!」
 名も知らぬ兵士は、確か衛生兵ではなかったはず。
 彼らが付けている共通の、白地に赤い十字架を染め上げた腕章がない。
 「ああ、届く!」
 「先の爆撃で『将』クラスの上官がいらっしゃるテントが、もろに爆撃を喰らいました!衛生兵
  は皆そちらへ向かっております!」
 「ありがとう!わかったっつ!」
 さて、その将達が一体どれ程の怪我だというのか。
 私の副官よりも、軽傷だったら、この手で首を挿げ替えてやるっつ!
 「ますた…しょーさ?」
 「無事なの方の肩で私に掴まれ。医療班のテントまで連れて行く」
 「……テント?」
 「ああ。破壊されていなければ、ここから百メートル程度の場所にある。破壊されていても、
  その範囲内には復活させているだろう」
 「あるけ…ない…」
 「頑張れ。死にたくないだろう?この怪我ならば、前線から退ける。少なくとも、死なずにすむ」
 「このまま…死んだ、ほーが…」
 いい、と言いたがる額に、ごつんと!頭突き。
 突拍子もない行動に副官は、目を白黒させた。

 「死んだ方がいいとか、ぬかすな、馬鹿!腕の一本ぐらいで情けない声を出すなっつ」
 そのまま、副官の額に己の額をあてて。
 「もう、私の前で。死ぬなんて、言うな」
 そんな、甘い言葉を。
 逃げる、言葉を。
 頼むから言わないで欲しい。
 私まで引きずられてしまう。
 ぎりぎり、我慢している。
 懸命に己を保つようにはしている、けれど。
 化け物と呼ばれる国家錬金術師でも。
 焔の魔人と嫌悪される存在でも。
 正直、揺れる。

 ここは、死んだ方がずっと楽な地獄すら生温い戦場なのだ。

 「……すみませ、ん……貴方に、そんな顔、させたなんてバレたら……隊の皆に、一生恨ま
  れて、しまいますねぇ……」
 私より十は上の副官は、場違いにも、はんなりと笑った。
 肩に縋る弱さで回されていた片方しかない腕に、力が篭る。
 「上官とはいえ、十も年下の貴方に縋るのは、軍人の恥、ですね」
 「……恥ではないさ」
 己の体が一部分。
 しかも目に見える場所が欠損するのは、衝撃的な状態だ。
 普通に生活していたのならば、大半の人間が一生涯経験しなくてもいい悪夢といえよう。
 「……歩くぞ」
 「は、い」
 バランスが取りにくいのもあるだろうし、未だショックから抜け切れていないというのもあるだろ
う。
 私の身体よりは軽く一回りは大きい身体の、ほぼ全体重をかけられてしまっては、必然歩み
も遅くなる。
 副官に悟られないよう、口の中を噛み締めて漏れそうになる辛さを殺した。
 ぎしぎしと骨が悲鳴を上げる。
 目的のテントまで、後どれぐらいあるだろう。
 溜息をつきそうになって、慌てて堪えた。
 その時。
 「おい、ボウズ!」
 背中から声がした。
 が、まさか自分が呼ばれているとは思わなかった。
 この年上の副官ですら、私を階級で呼ぶ。
 「うおーい!後ろだってば。わからんのか?」
 一応左右を確認してみる。
 が、あいにくと私が一番若そうだった。
 「聞こえないのか?んーと。ぬぁ?ボウズ、お前少佐なんかよ!」
 ……間違いない。
 これは、私の事だ。




                                             メニューに戻る次のページへ
                                             
                                             ホームに戻る