驚く紅葉の目の前で、噴水から溢れ出した大量の水が血痕を跡形もなく洗
い流してゆく。
 僕が手を下ろしたのと同時に水はひんやりとした冷気だけを残して引いた。
 無論、血の一滴すらも落ちてはいない。
 「……ありがとう」
 「これぐらい、どうということもないさ」
 「にしても…こんな所で、何を?ここは公園内でも一番人が寄り付かないとこ
  ろだというのに」
 「や、ちょっと買い出しにいったら買い込みすぎてしまってね。たいやきを餌に
  休憩していたところだったのさ。あ、まだ残ってるから紅葉も食べれば良い。
  餡は駄目だったけかな?」
 「いや、嫌いじゃない」
 甘い物など嫌いそうに見える紅葉だが、宿星の仲間達は彼の趣味が手芸全
般と料理にあることを知っている。
 手芸の方は、龍麻にねだられて冬の格好を全身手作りグッズでコーディネー
トできるくらいの腕前だし。
 料理は一人暮らしの人間が困らない程度にこなすし、お菓子作りがこれまた
凄い。
 甘い物があまり得意ではない蓬莱寺君すら絶賛したし、僕が時折主人として
茶会をする時の和菓子は、時間さえあえば紅葉に作ってもらう。
 甘みを押さえた上での繊細な細工が施された和菓子はお客にも大好評だ。
 お菓子作りのかかせない過程の一つに、味見がある以上餡が嫌いというこ
とはなさそうだ。
 「……粒餡か……きちっと仕上がってる」
 「そうだろ?蓬莱寺君に教わってから、お気に入りなんだ。餡が尻尾まで入
  っていて美味しくて……」
 うっとりとした顔で紅葉の顔を横目で見やって、続きを促せば、そこは一人
暮らし仲間。
 「安い?」
 と、間髪入れずに合いの手が入る。
 「そう、それが一番だ」
 口の悪い村雨あたりには"守銭奴めー"と言われてしまうが、こればかりは
仕方ない。
 如月骨董店の店主として生きていくのならば、尚の事守銭奴になる必要が
ある。
 人の世を惑わす危険な宝物が金で取引できるのなら、安いものだ。
 僕は人様がいうところの変わった骨董を入手するために、常に節約を続け
なければならないのだ。

 「そうだ、紅葉。近々……仕事を一件入れる気はないか?」
 もしょりもしょりと男二人たいやきを食べながらする会話ではないのだが、
僕は一つ思い出したことがあって口の中に入っていた餡を咀嚼すると、紅葉
に話を振った。
 「何か依頼でも……」
 「ああ、護衛者を頼みたい」
 「…それはまた、珍しいことで」
 「まあね」
 ヨーロッパにある小国、シュベルトブルグに住まうとある伯爵が寄越した手
紙には大変興味深い事柄が綴られていた。
 「征服者の剣……を知っているかい」
 「…僕の記憶が正しければ聖騎士団が壊滅した後、最  後であった大総
  長ジャック・ド・モレーが部下に命じて隠させたために現在は行方が知れ
  なかったはずだが?」
 さすがは紅葉。
 澱みなく語られる内容は僕の持つ知識と何等違えることなく合致する。
 拝み屋に転じてからこの手の知識を学んだというが、どうしてどうして。
 こういった知識は学ぼうとして学べるものでもない。
 拳武館の情報を駆使してのことだろうが、紅葉自身も図書館にこもったりネ
ットで検索をかけまくったりした結果に違いない。
 生半可な勉強量では得られる知識ではないのだ。
紅葉の知識が正しいことを肯定する意味で頷くと。
 僕は紅葉に依頼に至るまでの細かい所を話し始める。
 「多少なりとも骨董の知識のある、ヨーロッパにある  小国シュベルトブル
  グに在住している伯爵から来た手紙にその剣を保持していると書かれて 
  いたのだがどうにもうさん臭くてね」
 もともとその伯爵とやらの骨董屋としての評価は低い。
 頭の悪そうなかなり手酷い商売をしているのは既にほどなく広まっており、
真っ当な骨董屋は誰一人相手にしないという状況だ。
 今回僕の元に招待状が舞い込んだのはヨーロッパ界隈の骨董屋を営む人
々に相手にされなかったせいだろう。
 僕が、いわゆる怪異を呼ぶ商品を手広く集めていることも随分広まってきた。
 誰から聞いたのかは知らないが、東洋の若主人相手なら値もつりあげられ
ると思っての手紙だというのは、内容の慇懃無礼さ加減からも十分読み取れ
る。
 それに。
 「征服者の剣は、魔剣だからな」
 「素人が扱えるものではないと?」
 「そうなるね。特にあの剣は持ち主を選ぶというし。生半可な器量で扱えるも
  のではないだろうよ。まー伯爵なんてご身分でいらっしゃるなら、入手自体
  は可能だと思うが」
 極々一握りの貴族と呼ばれる人種の中で、受け継がれてきた家名を誇りに
思わず、高い地位のみを利用して悪行に手を染める輩も、更に低い確率では
あったが存在するのだ。
 「話を聞く限り、伯爵は洗練潔白な質ではなさそうだったな」
 「まず性悪って奴だろうよ。だからこそ護衛を頼みたいんだ」
 「如月さんの器量でしたら、僕の手はいらないだろうに」
 「……征服者の剣を持ち帰る際に、剣に取り込まれたら解放してくれるのは
  紅葉ぐらいのものだろうさ。後はまー、城全体が異端の配下に堕落してい
  るのだとしたら数が多いからね。僕だけでは完璧を求めるのは難しい……
  安全パイだと思ってくれればいい」
 念には念を入れて。
 もし征服者の剣が真作だとしたら、何がなんでも入手せねばなるまい。
 「僕に向かって”安全パイ”なんて言葉を使うのは如月さんくらいですよ……
  それで、何時ぐらいからになるんですか?」
 苦笑する紅葉は、それでも引き受けてくれるようだ。
 「一ケ月後ってところだな。少し取引を焦っているように見受けられるから早
  い方がいいだろう」
 「一週間後だったら、長期の依頼を受けても大丈夫だが」
 ふっと目を瞑った紅葉が、頭の中にあるスケジュール表でも捲ったのか首を
傾げながら言った。


 

 

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