メニューに戻る次のページへ




 「僕が母のために殺人を繰り返すのは事実だ。…後悔していない事実を他
  人に言われたぐらいで腹をたてるほど、僕は心の狭い人間じゃないよ…
  酷い話だね」 
 言っている側からその瞳が透き通ってゆく。
 "後悔していない。悔いは微塵もない。これは僕が僕自身のために決めた
道、選んだ現在"
 凄まじい精神の葛藤を一人で抱え込んで、一切外へはもらさない代償にと綺
麗に澄んで、誰も映さなくなってしまう瞳。
 「俺は!酷いことを言ったんだ!だからっ紅葉は俺を責める権利があるし!
  俺は謝り続ける義務があるんだよ!何より俺が俺を…許せないからっ…」
 「蓬莱寺君」
 悔し涙が頬を滑った。
 こんな馬鹿げたことで、どうして俺達が擦れ違わねばならないのか…。
 俺の派手な叫び声を聞きつけた異形どもがじりじりと距離を縮める最中。
 紅葉がすっと身をひいた。
 頬にあてていた俺の手は、支えるものを失って手持ちぶさたげに空を切る。
 「君がこだわることなんか、何一つないのにね」
 空を仰ぎながら足の爪先を地面でとんとんと交互に叩いて、足先を靴になじ
ませての戦闘態勢。
 「いつでも不遜なくらい元気な方が…君らしいよ」
 毒の熱に全身を支配された体で、紅葉は俺に背を向けた。
 敵と戦うために。
 ……俺と一緒に戦うために。
 「僕が許せば、いつもの君に戻るというのなら…。存在しない罪の許しを請う
  のなら…僕は君を許すよ…」 
 ひーちゃんが言っていた見解は、間違いないものだったはずだ。
 紅葉は俺を許さないという現実をきっかけに、他人と関わるのを控えてようと
していると。
 たぶんここに他の誰かが一人でもいたら、紅葉は俺を許さなかったかもしれ
ない。
 誰もいないから、俺しかいないから…俺らしくない俺を悲しんでくれた上で許
してくれ、た。
 胸のつかえがとれ、信じられないくらいに晴れ晴れと広がるあたたかいもの
に気が付いて、俺は呆然とする。
 そんなに俺は、紅葉に嫌われたくなかったのか…と。
 「え?」
 嫌われたく、なかった?
 心の中で何か奇異な物を認めた時独特の、不思議な感情が俺の知らない
部分でじんわりと生み出された。
 「…蓬莱寺君………来るよ」
 ふらつく足がくらりと大きく揺れて、紅葉の背中が俺の背中に触れた。
 ジャンパー越しでもわかる熱い、体。
 俺は?……俺は………本当は、何を思って紅葉に許しを請うたんだ?
 あまりにも唐突に訪れた感情に、頭がパニックをおこしかけたところに敵が
四方から躍りかかって来た。
 「うるあッ」
 頭でなく体で動く程度には鍛練を重ねている俺の体は、今だパニック状態で
あるにも関わらず敵の攻撃を受け流した。
 瞬きする間もなく離れた紅葉の状態が気になって、目の前の敵も忘れ去っ
て後ろを振り返る。
 「シャアッ!!シュッ!!」
 目の覚めるような空牙と風牙の連撃が一撃のもとに敵をなぎ倒す。
 風牙の勢いのままに飛んだ異形は、更に空を舞っていた敵にぶつかって致
命傷に近いダメージを与えていた。
 蹴りの力ではなく、体内で練り込んだ剄で戦ってしまうのがまた凄まじい。
 そんな体力はもうどこにも残っていないはずだというのに。
 「……パニックなんか起こしてる場合じゃねーやな。こりゃ」
 肩を落として腰に力を入れると気息を整える。
 吐いて吸って、吸って吐く。
 落ち着いて五回も繰り返した所で体内の気が十分攻撃に使えるほどに高ま
った。
 「残り三匹全部…いけるな」
 乾き切った唇を舌先で軽く湿らせてから、剣に気を乗せて体内にため込ん
だ剄を一気に放つ。
 「陽炎、細雪ーッ!!」
 俺の周りにまとわりついていた空気も飲み込んで放たれた技は、三体の敵
を瞬時に凍つかせた上で粉々に砕く。 
 「オール、OK!」
 ぐっと拳を握り締めてのがっつポーズも、後ろで聞こえた人の崩れ落ちる音
がするまでしか続けられなかった。 
 「紅葉!」
 精も根もつき果てた紅葉の紡ぐ息は浅く、その間隔も遠い。 
 燃えるような体を包んでいるYシャツをはだけて、心臓に耳をあてる。
 ことんことんと、ゆっくり過ぎるほどのペースで心臓は鼓動を繰り返していた。
 「…寒い…よ……蓬莱、寺…く…?」
 「悪りィ…ちょっと心配だったもんだから」
 はだけたYシャツの前を合わせて俺のジャンパーを着せかける。
 「全滅させたから、すぐ体力も回復できるはずだ。もう少しだけ待ってろよ」
 紅葉の体をジャンパーごと抱え込んで、すっかり遁走しているひーちゃんの
姿を目で捜すが、小さな蛙一匹。
 こんな歪んだ視界の中では見つかるはずもない。
 「しゃねーな。ま、次の階層で会えるだろう……しっかし切り替わりが遅せー
 な…」
 戦闘が終了して数分が立つと、全身が浮遊感に包まれて、はっと我にかえ
れば新しい敵を目の前に、すっかり傷の治った体で立っているというのが、わ
かっている限りの旧校舎のシステムだ。
 他の法則同様狂ったことは一度もなかった。
 呪われたままの姿のひーちゃんを見いだせず、混乱する頭で意識もおぼつ
かない紅葉を抱えたこの時までは、一度も。
 「…おい、何が起こってんだ?勘弁してくれって…」
 「戦闘は、終わったはずなのに……僕の体はまだ?」
 高熱に震えのとまらない体を強く抱え直しながら、紅葉の耳元に唇を寄せて
極力うろたえを見せないように息を飲んでから囁いた。
 「何かトラブったみてーだ。……時間が動かない」
 視界は晴れず、毒の悪臭は薄れもせず……ひーちゃんの姿も一向に見え
ない。
 「こんなん初めてだ…」
 「僕も…です…」
 俺の手の中でおとなしく抱き締められている紅葉の首が、時折かくりと落ちる。
 意識を保っているのもつらいのだろう。




                                   メニューに戻る次のページへ


                                        ホームに戻る