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 「霜葉は、龍が喜ぶと信じてやっとるんやから、な」
 なんて、目を細めて言われた日には。
 さすがの手前でも頷くしかできない。
 霜葉はきっと、手前の笑う顔が見たくて、山奥へ潜っているのだ。
 好意を無下にするような真似は、したくない。
 「……わかった」
 「そりゃ、おおきに。ほな、行こか?」
 「山下りは、面倒だな」
 們天丸と共に歩けば、面白い奴だ。
 退屈はしないだろうが、霜葉がいないとあってはそれだけで味気ない。
 「ほな、飛びまっか?」
 「そうだな」
 どんな離れた場所にも瞬時に移動できる們天丸の神通力の一つ。
 促されるままに們天丸の肩に手を置いた、次の瞬きをするまでの僅かな
刻。
 花見の宴が開かれる場所についた。

 「龍君!」「龍斗さん!」
 人の気配に、誰よりも敏感な忍者である二人が同時に、手前等に気がつい
たようだ。
 どんなに親しくなっても、手前を龍斗さんと呼ぶ涼浬は滅法可愛い。
 これまたどんなに親しくなっても、人を『君』呼ばわりする奈涸も気に入って
いる。
 二人がお互いを兄妹以上に大切に思っていなければ、妾ぐらいにはしても
いい。
 「始まってるみたいだな」
 「はい。先刻から。皆待ちかねていらっしゃいますよ?」
 静かに目を伏せる奈涸の様子を伺った涼浬が、酒がなみなみと入っている
だろう、桜が浮き彫りにされた徳利を手にする。
 「龍斗さん。まずは、一献」
 清楚な美少女の杯を受けないほど、野暮じゃあない。
 どっこらしょっと腰を落ち着けかけた所で、們天丸に首根っこをひょいっと摘
まれた。
 「気持ちはわかるがな、龍々。九角殿への挨拶が先やろ?」
 「……嫌じゃ…」
 「わがままはいいなさんな。涼浬はん?えらいすまんなー。挨拶が終わ
ったらすぐに来さすから、堪忍な」
 寂しそうに見えるのは、手前の気のせいではなかったようだ。
 「では、龍君。後ほど」
 酌の途中で止まってしまった手元に、当たり前のしぐさで奈涸が杯を差し出
す。
 嬉しそうに杯を満たす涼浬の姿を見て安心し、あんまりにも楽しそうなの二
人に後ろ髪を引かれつつも、天戒の所へ足を運び出した。

 ……とはいえ、あちらこちらで酒を酌み交わしている輩がいるので、そう簡
単には天戒の場所へは辿り着けそうにない。

 今も、また。
 「たーたん!」
 風祭の『たんたん』は、まだわかる。
 が、どうして『たーたん』なんだ、炎邑……。
 確かに、龍斗と呼ばれるよりは親しい気もするが、これは女のつけそうな呼
称だ。
 最も、戦いの最中でしか見せなかった暗い微笑みとは比べ物にならない、
満面の笑みで迎えられた日は、苦笑しかできもしない。
 「さ!飲もうぜ。ほのか、酒」
 「はい」
 穏やかな微笑を湛えて、ほのかが手にしているのはギヤマンの器に入った赤
い酒。
 異国の酒で、ワイン、というらしい。
 初めて見るそれに興味を引かれて、炎邑がくれた同じくギヤマンの杯をほのか
に差し出したところで。
 「ちょっと待ちナサイね?」
 割り込んできたのは、クリス。
 意外に思えるのだが、ほのかと炎邑は同じく炎の属性で方陣技が打てるほど
に相性がいい。
 最初、ほのかは炎邑を怖がり、炎邑に至っては『バテレンめ!』ってなものだ
ったようだが、共にあるうちに、お互いが幕府に虐げられてきた存在だという事
実に気が付いたらしい。
 戦場に立てば、自分の技の効力が倍増するせいもあって、手前が驚くほど一
緒にいる時が多い二人が、仲良くならない謂れは全く以って無かったのだ。
 鬼哭村に来る機会が、涼浬の次に多いほのかと炎邑が、何するでもなく一緒
にいるのは、すっかり見慣れた光景なのだけれど。
 クリスにはどうにもそれが気にかかるようだ。
 ほのかに己の妹の影を見出し、更には愛情に近いものを抱き始めたクリス
にとって炎邑の存在は鼻につく以外の何物でもない。
 ほのかと炎邑の間にある感情は、愛情ではないというのに、嫉妬がクリスの
目を曇らせるのか、ほのかが悲しむのを承知で、突っかかっている。
 「どうシテ、炎邑は、ほのかに、お酒を注がせようとスルんですか!」
 「いや、普通だろ?」
 「普通ではありまセン!」
 江戸の知識を奇妙に覚えているクリスのことだ。
 酒の酌は、遊女の役目とでも勘違いしているんじゃないだろうか?
 まあ、待て待て。
 と、手前が仲裁に入るでもなく。
 誰よりも穏やかな声音がその場を収めた。
 「楽しい日に、喧嘩はいけませんよ」
 静かに十字を切られてしまえば、信心深いほのかやクリスは無論。
 炎邑ですら、黙り込む。
 「龍斗師も、駄目ですよ。まだ御館様へのご挨拶がすんでいないのでしょう?」
 傍観を決め込んでいた手前にも、やっぱり鉢は回ってきた。
 「でもな、御神槌」
 言い訳も苦笑で封じられて、杯を取り上げられる。
 「きちんと取って置きますから、ご挨拶を先に。いいですね」
 「いやーすまんなー、御神槌はん。龍斗はどーにも寄り道が好っきやね  
  ん」
 「ご苦労様です。們天丸さんの分も取って置きますから、後で必ず寄って下さ
  いね」
 「おおきに。ほら、龍斗。いい加減に、挨拶をしいや?」
 同情のこもった四人分の目線に送られて、手前は首根っこをつかまれたまま、
引き摺られてゆく。

 

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