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 「こんなにたくさん……ありがとうございます」
 「うん?もしかしてやっぱり風邪を引いているのかな、喉が少し辛そうだが」
 「……先程まで、ずっと笑い続けておりましたから」
 「君が?笑い続けて。何をそんなに楽しい事があったんだい」
 そっと長い髪の毛に触れる。
 絹糸のように優しい華奢な触り心地。
 セクハラです、閣下。
 という言葉を構えていたのだが、彼女の口から漏れたのは違う言葉。
 「いいえ、逆です。閣下」
 すりっと私の掌に髪の毛ごと、頬を摺り寄せてきた。
 「悲しい事が、あったのか」
 「……はい」
 「聞かせて貰っても良いかね」
 「お酒、飲んでもいいですか」
 シラフでは話せない、か。
 「酒は喉に良くない。ブランデー多めの蜂蜜ミルクを淹れて上げよう」
 「閣下、が?」
 きょとんとした表情は、彼、だった時よりも一層幼い。
 「君が淹れるより私が淹れた方がいいと思うんだが?君の料理上手は中央にまで届いてい
  たからね」
 「……申し訳ありません」
 「謝る事は無い。美女はね。ナニをしなくてもいいものなんだ。男なんか、上手に使っておけ
  ばいいのだよ」
 「頑張ります?」
 「そうそう、それでいい。キッチンを借りるよ」
 「ええ」
 彼女の目線を追ってキッチンへ足を踏み入れる。
 何となく冷蔵庫に入れておいた方がいい食材だけを仕舞いこみ、持ち込んだ袋の中から、
林檎とオレンジを取り出して、二種類ともウサギの形に切り揃えた。
 牛乳を温めるミルクパンがなかったので、小さめの片手鍋で代用し、沸騰する寸前で取り
上げて、蜂蜜をスプーンに一杯。
 くるくると掻き混ぜてから、トレイの上に一式を乗せてリビングに戻る。
 ソファに戻る前、サイドボードから自分用のグラスとブランデーを取り出して、テーブルの
上に置いた途端。
 くすっと、初めて聞く無邪気な笑い声が耳に届く。
 「どうしたね」
 「すみません。フルーツがウサギの形に切り揃えられていたものですから」

 「こう見えてもナイフの扱いは上手いのだよ?セリムも喜んでくれる」
 「……セリム君。何度かお会いした事がありますがお元気でいらっしゃいますか?」
 妻とも私とも血が繋がっていない息子は、国一番の児童施設から優秀で従順な性質の子
を選んで養子にした。
 今だ幼いながらも、己の立場をよく知っており、そこから逸脱する子ではなかった。
 目の前にいる、ロイ君のようには愛せもしないし、執着も出来ないが、可愛らしいなと思うこ
とは、ままある。
 その、犬のような気質を。
 「ああ、元気にしているよ。病気もしない」
 「何よりです。健康が一番ですよね」
 「そうだね。さ。ロイ君。フルーツを食べて、ミルクを飲みなさい。落ち着くから」
 「ありがとうございます」
 果物用のフォークはないかと思って、キッチンを探したのだが見つからなかった。
 ロイ君の家には、悲しいくらいに物がないようだ。
 幾つか見られた彼女の趣味ではない食器の類は、彼女が何よりも大切にしている親友辺
りが持ち込んだものだろうか。
 しょりしょりと林檎を咀嚼する音が気持ち良い。
 ロイ君が立てていると思うからこそ一層。
 伺うような眼差しを向けられて、自分も指先で摘んで口にする。
 こんな夜半に入手させた代物にしては上品だ。
 私の好みではあと少し酸味が強い方がいいのだが、ロイ君が嬉しそうなのでよしとしよう。
 口の端にミルクの小さな泡をつけて飲む様は、何とも幼い風情だ。
 身体が変化したから、その心根までも変化したのかと考えないでもなかったが、ロイ君の
気質はその程度で揺らぐものでもないだろう。
 私とて、酔狂で彼女に『焔』の二つ名を与えた訳ではない。
 「……か、っか?」
 こくこくと喉を鳴らしていたロイ君が、落としていた目線を上げてくる。
 真っ向から見据えてくる瞳は、揺らいでいたけれど。
 大好きな焔が宿っている。
 「何だね?」
 唇の端の泡を爪の先で拾って、ぱくりと口にすれば、困った風に眉根が寄せられたが、激し
い拒絶はなかった。
 「お願いが、あります」
 「うん。君からのお願いなんて、初めてじゃないかね。私でいいなら何でも叶えよう」
 「……抱いて、下さい」
 聞き間違いだと思って、もう一度尋ねる。
 「ん?君のお願い、は?」
 「抱いて下さい。犯して下さい。閣下の好きなように、強姦して下さい」
 夢を見ているのかと首を振って、古典的にも頬を抓ってみた。
 ……痛い。
 これが現実なのだとしたら、私は一体、何を等価交換しなければならないのだろう。
 錬金術師でない私だったが、彼女は錬金術師。
 何時もだったら私の法律に合わせさせるが、今回だけは、錬金術師特有の等価交換の法則
が思い浮かぶほどには、衝撃的だ。
 絶対永遠に手に入る訳がないと、諦めても尚。
 手離せなかった相手からの、告白は。
 けれど、かなり物騒なもの。
 「喜んで、と言いたいところだが。強姦は頂けない。君に嫌な思いはさせたくないよ。それに、
 君は私が嫌いだろうに。SEXする相手はもう少し選んだ方がいいと思うのだが」
 好きだからこそ、手が出せない。
 そんな感情が自分の中にあるとは、これもまた衝撃だ。

 「…閣下が一番嫌いだから、良いのですよ。あいつが、そう思っているから、いいのです」
 「あいつ?」
 「…閣下も、よく、ご存知でしょう?」
 「マース・ヒューズ中佐かね」
 「ええ、そうです」
 彼女の一番近くに立っている男。
 ロイ君の、最愛の想い人。
 恐らくは、つい先刻までは、最愛だった存在。
 「今、一番嫌いなのは閣下ではありません」
 「おや?」
 「……今までのやり取りで、薄々、辺りはつけていらっしゃるのでしょう」




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