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 約束しよう


 遠くで電話が鳴っている。
 その電話は本来鳴らないはずの電話だった。
 私の寝室に置かれた、たった一人の人間しか電話番号を知らない電話だったから。
 また電話番号を知る唯一の人間は、私を酷く憎んでいたから。
 ただもうそれは、私の中でまじないとか、縁起を担ぐアイテムにしかすぎず、万が一の保険
の為にと置いてある。
 妻などは、ただの置物だと思っていたようだ。
 巷で出回っていない位に型が古かったせいもあるだろう。
 実際アンティークショップで見つけたものを改良して、通常の回線に繋げる様にしてある。

 ホムンクルスである私は、本来睡眠を必要としない。
 が。
 元々が人間の身体であった私は、他の兄姉達とは違い、眠ることも出来た。
 所詮、偽りの眠りにしか過ぎなかったけれども。

 だから私は電話のベルが鳴って、飛び起きた。
 一瞬驚いたのは、まさか電話が鳴ると思っていなかったからだ。
 「こんな夜更けに、どうしたね?」
 自分でもどうしてこんなに柔らかな声が出せるか不思議だ。
 まだ、身体が人間のモノであった頃、研究者達の、とーさまの目を盗んで読み漁った下世話
な雑誌に書かれていた恋心の成せる技だと思うのだけれど。
 妻にも子供にも、一度たりとも抱けなかった甘やかな感情。
 『申し訳ありません、閣下』
 「いや?私としては嬉しい限りだよ。こんな夜中に君の声が聞ける」
 カーテンをしゃっと開ければ、驚くほど真っ赤な月が、窓いっぱいに降りている。
 「月も綺麗な夜に君の声が聞けるとは、光栄の極みだ」
 『そう言って頂けると私も嬉しいです』
 電話越し、彼が移動する音が小さく届く。
 常人では拾えない音であったろうが、私の耳には絨毯の上に落ちた針の音ですら聞こえる。
 人の足音ぐらいは楽勝だ。
 床の上を裸足で歩いているのだろうか。
 ぺたんぺたんと、何とも幼い子供がする風な足音がした。
 しゃーっとカーテンが開かれる。
 一度だけ、彼の部屋のカーテンは淡い青色なのだと聞いたのを思い出す。
 『ああ、本当にステキな赤い月ですねぇ』
 感じ入ったような言葉尻に、ふと何時もと違うものを聞き咎める。
 もっとも、この世で一番憎いはずの私に電話をしてくるぐらいだ。
 余程のコトがあったのだろうが。
 「ロイ君?風邪でも引いたのかい。少し声がハスキーな気がするのだが」
 というよりは、まるで女性のような声だった。
 常にはない、ゆるやかな丸みを帯びたような。
 耳に優しい響き。
 『お嫌いですか』
 「まさか、そんな!風邪を引いたのだったら、大事にしないとと思っただけさ。今の声もとても
  好みだよ」
 『そう、ですか』
 おや、機嫌を損ねたかな?
 声が沈んでしまった。
 「ロイ君?」
 努めて穏やかな風に、私ともあろうものが機嫌を、取っているような口調で名を呼ぶ。
 『閣下……お願いがあるのですが』
 何とも珍しい、というよりは。
初めての事だ。
 何を強請ろうとしているのかは見当も付かないが、マスタングが私に願い事、とは。
 「なんだね。言ってごらん」
 『今すぐ、私の家へ来て頂けませんか?それも、なるべく早く』
 「……わかった。伺おう。声が震えているよ。やはり風邪を引いたんだろう。一時間ほどで着く
  よ。暖かい格好をして待っておいで」
 『ありがとうございます、閣下。お待ちしております』
 「ああ」
 身体は早く行きたがっていたが、それでも私はマスタングが受話器を置くのを待った。
 ち、んと電話が切れる音を確認して、私はマスタング邸へ向かうべく大急ぎで準備を始めた。

 「こんばんは、ロイ君」
 リリンと控えめにベルを鳴らせば、ドア越しにどうぞ、お入りくださいの声。
 私が寂しくなるくらいに他人行儀で、こんな時だったら絶対ドアを開けて敬礼と共に迎え入
れてくれるのだろうが。
 傍目から見れば素っ気無いくらいの態度が私には、それだけ気を許しているように思えて、
ほくほくしながらドアを開ける。
 「……こちらへ」
 廊下の向こう、リビングだろう場所から彼の声がした。
 私は声に導かれるようにして、マスタング邸の奥へと誘われて行く。
 ほんのりと明るい照明が点されているリビング。
 あれは、蝋燭の明かりだろうか。
 「閣下、驚かないで下さいね?」
 リビングへ入れば、ロイ君の姿があった。
 品の良いソファの上腰を下ろした姿を見て、私は大きく息を呑んだ。
 「やはり、閣下ほどの方でも驚かれますか」
 そこに座っているのは、間違いなくロイ・マスタングなのだろう。
 挑む色を孕んだ深い黒目は、確かに私が慈しんで止まない愛らしい瞳の色。
 ただ、私が知る彼を思わせるものはそれだけだった。
 彼は、何と。
 女性になっていたのだ。
 男性の時も、それはもう何から何まで私の好みで設らえられていたが、女性になってもその
点は変わらなかった。
 「女装では、ありませんよ?」
 「それは、わかるよ。私を誰だと思っているんだい?」
 「キング・ブラッドレイ大総統閣下」
 「そうだ。私の目で見通せない真実は無い……隣に座っても良いかね」
 「閣下がお嫌でなければ」
 こんな好みの美女の隣、座るのが嫌だという男は、男じゃないだろう。
 心の中で、私は力説して彼、いや。
 彼女の隣に座る。
 きっと彼女の性質上使いはしないだろうが、彼女からは香水に良く似た爽やかで甘い香り
が漂ってきた。
 全く、目が眩みそうだ。
 「ナニにせよ、風邪でないのなら良かった」
 「その大荷物はもしかして?」
 「そうだ。風邪対策用グッズだ」
 あれこれと詰め込ませたら、大きな紙袋二つ分にもなってしまった。




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