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 「申し訳ないが、ヒューズ。今日は帰ってくれるか?」
 「え?」
 「さすがに、お前と同じベッドには眠れない」
 一つのベッドに寝れば、それこそ抱き犯してしまうだろう。
 駄目だと言い切った癖に、簡単に自分を覆されそうだったので、俺も頷く。
 「そ、そうか。そうだな。じゃあ、俺は帰るよ」
 「…もう、列車も車も動いていないだろう。宿を取るといい」
 すたすたと歩いたロイは、ハンガーにかけてあった軍服の上着から財布を取り出して、華奢
な手首を俺に突き出してくる。
 「これで、足りると思うが」
 「馬鹿!貰えるかよ」
 分厚い札束。
 超高級ホテルのスイートルーム一週間は貸し切れるぜ?
 「…グレイシアとお子さんに失礼をした侘びだ」
 「それこそ、受け取れないって!」
 「…頼むよ、受け取ってくれ」
 やっと真っ直ぐに俺を見た瞳は、虚ろに透明だ。
 その、あまりの空虚さにぞっとして。
 俺は札束を受け取った。
 「わかったよ!んじゃ、これはこれからのお前と俺の飲み代に使うからっつ!せいぜい付き
  合えよ」
 「ありがとう」
 「礼なんか、言うなよ!」
 何だか、俺。
 怒鳴ってばっかりだ。
 「じゃあ、おやすみ。ヒューズ」
 「おやすみ、ロイ」
 何時も通りにしようとした別れの抱擁もかわされた。
 代わりに、ロイの指先が。
 俺の手の甲をすっとなぞった。
 見送りもせずに、俺に背を向けたロイは寝室へと消えてしまった。
 俺は、深い深い溜息をついて荷物を手にして、ロイの家を出た。
 外から振り返れば、寝室の明かりが落とされている。
 ロイは、真っ暗な寝室で一人。
 涙を落としているのだろうか。
 酷いことを言った自覚はある。
 でも、ロイが大切だから抱けないのだ。
 それは、ロイのこれからを全て否定する行為だから。
 寝てしまえばきっと、お前はグレイシアと俺と子供への罪悪感で潰れてしまうだろうから。
 俺は、お前の為を思って。
 抱かなかったのだと、どうかそれだけはわかって欲しい。
 お前にだけ向ける、愛以上の情があるのだ。
 何時までも窓を見ていても始まらないので、俺は一人記憶を頼りに安宿の場所へと歩いて
行った。

 「ヒューズ中佐。東方司令部より電話です」
 俺は内心どきりとした。
 あれから気まずくて電話すらしていなかった。
 今日でちょうど一週間経っている。
 何時も毎日のように東方へ、ロイへ電話をしていたというのに、ぴたりと止まっていて、自分
でも気が付くほど陰鬱とした気分に襲われ続けていた。
 そろそろ、限界だったのだと思う。
 ロイの声が聞けないことに。
 電話を繋いでくれたシェスカも、どこかほっとしているようだ。
 「ありがと、シェスカ」
 「いいえ」
 俺に釣られて元気の無かった、彼女が途端明るい声を出す。
 何時までも囚われている訳にはいくまい。
 ロイが俺にとって至高の存在であるには、変わらないのだから。
 息を大きく吸い込んで、電話口に出る。
 「もしもし?貴方のマース・ヒューズでーす」
 周りから安堵の失笑が漏れる。
 電話口からも、同じ笑いか疲れた溜息が届くと、思っていた。
 『……ホークアイです』
 「はれ?リザちゃんだったんか。ごめんごめん」
 落ち着きかけた心臓の鼓動は、先程とは違う嫌な予感に。
 ゆっくりとスピードを上げ始めた。
 『一週間前の夜半。大佐とご一緒でしたか?』
 「へ?」
 『……一週間前の夜半。大佐と一緒におられましたか?』
 「ああ、いた。けど」
 『その時、大佐はどんなご様子でした』
 「どんなって、言われても何時も通りだったぜ」
 『本当に?』
 上官に、特にロイには歯に衣着せない言葉も使う彼女だったが、それが俺に向けられるコト
はあまりなかった。
 しかも、俺が仕掛けてもいないのに、こんなに一方的には。
 決して。
 「ああ。俺は用があって帰っちまったけど。ロイは普通に寝たみたいだぞ」
 まさか、本当を言う訳にもいかず、俺は努めて普通に言い切った。
 『そう、ですか……それは失礼致しました』
 ちっとも失礼と思ってない口調で、義務的に言い切った彼女が電話を切るそぶりを見せる。
 もう、用はないとばかりに。
 「リザちゃん?ロイがどっかしたのか?」
 『……一週間前から消息が不明です』
 電話は、それだけを伝えて、切れた。

 俺は、電話が切れて数秒後。
 いても立ってもいられずに、東方司令部へ向かった。
 東方司令部は外目から見れば、何時も通り機能しているかのように見えた。
 しかし、その、内情たるや散々たるものだった。
 すれ違う人間が皆どこか暗く、しかも俺に対して儀礼的な態度でしか反応しない。
 怯えている風な、嫌っている、風な?
 そんな態度は、下士官から階級持ちまで徹底していて。 
 俺は足を早めてたどり着いた、珍しく鍵の掛かった執務室をノックする。
 「誰だっつ!今は人払い中だぞっつ!」
 聞いたこともない、乱暴なハボック少尉の声だ。
 ロイの忠犬は、上官には嫌われるが部下には優しい。
 こんなに頭ごなしに怒鳴りつけるのを、聞いたことがない。
 「マース・ヒューズだ」
 



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