名乗った途端。
ドアの向こうのざわめきが、ぴたりと止まる。
「……どうぞ」
この声は、ブレダ少尉の声か?
こちらは酷く沈んでいる。
勢いよくドアを開ければ、俺は殺気を向けられて愕然とした。
「何の、御用ですか?中佐」
鷹の目の異名のまま、射殺されそうな視線に晒される。
「ロイが行方不明だって聞いたから……」
言い訳めいて口にすれば。
「何も話す気なんてねーんでしょ?出てって下さい」
銜え煙草のハボックが叩きつける口調で口の端を上げた。
浮かんでいるのは微笑のはずなのに、笑顔とはいえない剣呑な表情。
「話す気って、俺は何も」
「……上がってるんですよ。ネタ」
肩を竦めたのはブレダ少尉。
「酷い、人ですよね?」
真っ赤な瞳のフュリー曹長。
「大佐を、お捨てになった人間は、ここにいることを許されません」
感情のないはずの細い眼が、怒っているとわかったのは額に皺がよっていたせいだろうか。
「出て行って頂けませんか?」
ファルマン准尉が重ねて言う。
「ちょっと待て!話が見えん」
慌てる俺に、中尉がゆっくりと怒りを抑えるように言葉を区切りながら語った。
「前日。大佐は貴方に思いを告白するのだとおっしゃっていられましたよ。振られるのはわ
かってるから、慰めてくれるかね?と言い残してゆかれました……何時までも囚われて
いるのもどうかと思って黙って行かせたのが間違いでしたね……まさか、貴方が、大佐
を…そんなに手酷く振るとは思っておりませんでしたよ」
「手酷くって、中尉?」
「あんなに、自分だけしか見るなと、躾けておきながら。その気質を女のものにまで捻じ曲
げながら、白々しい。一夜の思い出すら与えて上げられないなんて」
憎しみの目は、俺に向けられていた。
全員分、がだ。
「普通に、切って捨ててくれれば。私達全員が真綿で包み込むようにして、あの人を癒して
……愛して上げられたのに」
皆、一様に頷いた。
何だ、こいつら。
何を言っているんだ?
「今祖父に頼んで、行方を捜して貰っています。ほどなく、見つかるでしょう」
「しかし……」
ロイは、もしかしたらあのままの状態かもしれない。
女性のままかも、しれない。
だとしたら、捜すだけ無駄ではないのか。
でも、これをぶちまけてしまってはロイの名誉にも傷が付くのではないのか。
余りに突拍子もないコトだから。
幾らロイを盲愛していても、まさか俺に抱かれるためだけに、自らの性別を変えてしまっただ
なんて。
俺の戸惑いを見透かしたように、中尉が笑った。
少なくとも俺は一度も見たこともない、心の底からの、笑いなんだと思う。
とても、綺麗だった。
「大佐が特別な状態なのは存じておりますから。あの姿を見たのは何も貴方だけではありま
せんし」
「女装じゃなくって、完全な女体で任務についたコトあるんスよね。アンタは知らないでしょう
けど」
「お綺麗でしたよ、とても」
「あんな綺麗な人をまぁ、よくも傷つけられるもんです」
「それはもしかすると、尊敬に値するかもしれませんね」
「……お引取りを」
中尉の声に、ハボック少尉が立ち上がる。
力づくで俺をこの部屋から排除するつもりなのだ。
俺は呆然としたまま、ハボック少尉に突き飛ばされるようにして、部屋の外に転がり出た。
かしゃっと、施錠がされる音が響く。
悪夢だとしか思えない一連の状況に、俺はただ、扉の前で阿呆のように立ち続けた。
まさか、そんな。
ロイが姿を消すなんて、思ってもいなかった。
少し冷却期間を置けば今まで通りに付き合えると信じて疑わなかった。
あんなにも慕ってやまない部下を同じ風に大切にもしていたし、遠大なけれども確実に近づ
きつつある野望を抱えてもいたから。
失踪、なんて。
そんなにも不安だったのか。
子供が生まれて、その子をどんなにか可愛がったとしても。
ロイへの想いが僅かでも削れることなどあり得なかったというのに。
感情の質が違うのだ。
俺にとっては、愛よりも情がより深いモノ。
「戻ってくるよな、ロイ」
俺は無意識の内に、そんな言葉を囁いていた。
囁いてから、俺は自分が絶望的にロイが大事なのだと思い至った。
それこそ、ロイが安らぐのならば一度くらい抱いてやれなかったのかと、思うくらいに。
抱いていたら、今より大変な状況に陥るのはたやすく想像がつく。
それでも、ロイが満足するなら、と。
ぐるぐるぐるぐると眩暈を伴って混乱する思考の果て。
ロイが俺を捨てるはずがないと。
こんなにも俺を、愛して、いるのだから。
切り捨てられるわけがないと、手前勝手な場所に行き着いたけれど。
俺がロイに会えたのは、ロイが失踪してから三ヶ月経ったある日だった。
END
*不憫だなーヒューたん。
この話で一番おかしくなってゆくのは、この人かもしれません。
ヒュ好きの方には辛いシリーズになるやも。