「んなに、ガキじゃねーよ」
憎まれ口の返事にも、ロイさんはやわらかく笑う。
「おやすみ」
「……まだ本調子じゃねぇんだ。今夜もぐっすり寝ておけ」
「そうさせて貰うよ」
何時までも続きそうな会話に嫌気が差した僕は、先に玄関へと向かった。
程なく、兄さんが後を追ってくる。
「アル。お前。俺にまで嫉妬なんかしてんじゃねーぞ」
先刻まで、兄さんにまだ側に居て欲しかった。
しかし、今までとなんら変わらない会話を展開する二人に、嫉妬してしまった、途端。
兄さんなんか、早く帰ればいいと思ってしまった僕は、どうしようもなく身勝手だ。
「だって兄さん。すっごく嬉しそうだったから」
「馬鹿!嬉しくないわけないだろう?……このまま目覚めないかもと思ったのは、お前だけ
じゃねぇ」
「ごめん」
怒気の中にも、今だ残る喜びが見える。
それだけ、ロイさんの復活が嬉しいのだろう。
例え、その身体が変わっても中身は変わらないと、先程の会話で感じ取ったのかもしれ
ない。
僕的には少し、歪んでしまった方が良かったのだけれども。
ただでさえ、体をこれ以上はないくらいに壊してしまった。
心ぐらいは、残してあげた方がいいのかもしれない。
「アル」
「何?」
「無茶ぁ。すんなよ?」
「どんな無茶」
「……言わせるな、馬鹿」
兄弟間だっていうのに、この手の話題が苦手だよね。
僕相手がロイさんだったり、自分の相手がウィンリィだったりと、恋人になる前からよく
知っている相手だからかもしれない。
面映いんだろうというのは、わからないでもない。
「ロイさん次第、かな?」
「アル!」
「……わかっているよ。また眠り姫にさせるようなコトはしない」
「……そーしてくれ。心配事が増えるのは勘弁だ」
苦笑する兄さんの目が遠くを見る。
この先もずっと、騙さなければならないマスタン組の人達でも思い浮かべてしまったのかも
しれない。
「じゃあ、な」
「うん。また、近くに」
大きく息を吐き出した兄さんは、意を決したようにたった一人の自宅へと戻ってゆく。
「……兄さんに、頼ってばかりなのも問題だよね」
ロイさんの状態を掌握できたら早く、ウィンリィと一緒にさせてあげないと。
ウィンリィがこっちへ来てくれるのがいいんだろうけど、彼女、地元密着型の仕事してるから、
なかなか難しい。
「……アル君?」
気が付けば無意識の内に、ロイさんの前に座り込んでいたらしい。
「どうしたんだい?」
これは、昔と変わらない僕だけを労わる優しい声音。
目を閉じれば、寂しい瞳の色も見えなくてすむ。
「いえ。兄さんとウィンリィに早く一緒になって貰いたいなぁ、と」
「おや。未だに結婚していないのかい?」
「ええ。僕を心配してくれて」
「ああ、彼は弟思いだからね」
時々重かったその感情。
今は、甘えきってしまっている現金な自分。
「ロイさんも起きて下さった事ですし、これを機に。一緒になってくれればいいと思います」
「……そう」
目を伏せたロイさんの、長い睫が震えるのに堪らなくなって抱き寄せようとすれば。
「ストップ!抱擁は、バスの後にして欲しい」
「バス?」
「眠り続けていたのなら、当然だ。ゆっくり浸かりたい」
「毎日、体は拭いていましたよ」
お陰様で、毎日、自分を殺すのが大変だった。
このまま目覚めないのならば、せめて体だけでも、とか。
せめて、素股ぐらいなら?とか。
実行しなかった自分を褒めて欲しいくらいの、忍耐の日々。
「それでも、だ。色々一と人で、考えたい事もあるし」
そういえば、ロイさんはバスルームに篭って、長湯をしながら考え事をする癖があると、誰か
から聞いた記憶がある。
「わかりました。では、お湯を溜めてきますね」
「宜しくお願いするよ」
顔に赤味と喜色が差すのに、心底、ほっとしながら、バスへとお湯を溜めに足を早めた。
「……随分長湯でしたね?」
色々と一人で考えたいこともあるだろうと、着替えやタオルを脱衣所に一式置いてからは、
ロイさんの領域を侵さずに、このリビングで大人しくコーヒーを飲む事、二杯半。
やっと、ロイさんが出てきてくれた。
「身体中ベタついた感じが取れなくてね。シャンプーも三回してしまった」
「髪が傷みますよ!リンスとトリートメントは?」
「リンスは最後にしたよ。やわらかい柑橘系の香りは好ましいね」
「そうですか。良かった。僕が揃えました。オレンジの香りをベースに調合した天然モノらし
いです」
ロイさんの物は、全部僕が揃えた。
と言っても、出資は9割兄さんなんだけど。
兄さんの仕事で、在宅可能な物を手伝ってはロイさんの容態を見る日々だったから、
正業につけなかったんだよね。
迷ったけど、別に金銭的には全然不自由してねーんだから、甘えろ。
の、兄さんの言葉に甘えてきた。
が。
……ロイさんが、起きてくれた今となっては、少し考えたい。
やっぱり自分の手で、ロイさんの生活を守りたいから。
今は、それよりもしたい事が、あるから。
頭が回らないけれど。
「髪、長いから。洗うのが面倒だな。切っても良い?」
「駄目です。洗うのも乾かすのも僕がしますから、切らないで下さい」
「……そう。それでは君の好きに」
「じゃあ、早速、髪の毛を乾かしますから、そこへ座って下さい」
革張りのふかふかソファを指差す。
「ん」
頷いて大人しく座ってくれるのに、僕はドライヤーのスイッチを入れる。
髪の毛に指を梳き入れながら、頭部から毛先までを丁寧に。
全体的な傷みとぱさつきが気になった。
一ヶ月以上寝ていたのだ無理もない。
七割ぐらい乾いた所でヘアクリームを満遍なくつけて、丁寧に梳る。