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 途端、兄さんがわざとらしい声を上げる。
 「……まだ、飲めないのかね」
 「飲めなくたって生きていけるよ!っつーか、飲み物だけじゃなくて、ちゃんと食えって!」
 「そうした方がいい、気もするけれど」
 困った風に笑ってマスタングさんは、おなかを摩る。
 「どれぐらい食べていないのか、わからないから、まずはミルクで胃の具合を見ようかな、
  と思ったんだよ」
 「……あー。なるほどね。んじゃ、俺作ってきてやるよ」
 「鋼の……」
 「わあってるよ!膜が張るほどの熱めだろ!ふーふー冷ましながら飲むのが悦なんだろ!
  ……猫舌の癖に」
 「わかってもらえて、光栄だよ」
 け!と肩を竦めながらキッチンへ消えて行った兄さんの背中に、胸の中から、ありがとう!
を送る。
 「マスタングさん?」
 「なんだい?」
 「抱き締めてもいいですか?」
 「今、抱き締めているだろう」
 「……そう、ですけど」
 そういう、意味ではなくて。
 貴方の、許可が欲しいのだ。
 「良いよ。君の好きなだけ。しなさい」
 眦をやわらかく下げて、我侭を言う子供に言い聞かせるような声音で。
 マスタングさんは、優しく抱擁の許可をくれる。
 ほっとした僕は、一応加減をしながら腕の中にある確かな温もりを強く抱え込んだ。
 「……起きてくれて、良かったです」
 「私は、どれぐらい眠っていたんだね」
 「一ヶ月、程度。です」
 「そうか。皆心配しているな。連絡をしないと……」
 皆、が。
 軍部のマスタン組と言われるメンツなのは、聞かなくてもわかっていた。
 胸の中、安堵でいっぱいだったそこに、どろっとした黒い粘液質なモノが入り込んでくる。
 「駄目です。連絡は、駄目」
 「アル君?」
 「しちゃ、駄目です。あの人達とは、もぉ。関わらないで」
 「しかし……」
 「貴方はここで。僕と二人で。ずうっと一緒に、暮らすんですから」
 「……で、も」
 まだ、何か言い募ろうとする唇を、無理矢理封じた。
 寝ている時に何度かした、キスとは全然違う。
 やわらかで、仄かに温かかった印象のそれと比べて、やわらかさはさて置き、熱が格段に。
 下唇を食めば、ぴくりと震える身体も。
 口腔に舌を忍ばせれば、怯えて逃げる舌も。
 その、反応が。
 やっと。
 マスタングさんが起きてくれたのだと。
 錬成が成功したのだと。
 思えた。
 もっとしたかったけれど、途中でキスを止める。
 ハボック少尉辺りが見たら、口笛を吹きそうな、形の良い大きな乳房を、ぎゅうっと掴んだ。
 「つぅ」
 痛みを訴える声すら、耳には甘い。
 「ね?この、身体ではどの道。軍部復帰は無理ですよ。女になってしまった、この無様な身体
  を。大切な人達に晒すのですか?」
 無様だなんて、微塵も思ってない。
 本当は。
 あの人達が、マスタングさんの身体が女体化したぐらいで揺らぐはずがないのも、勿論。
 承知している。
 
 ただ無事を喜んで、今までとなんら変わらぬ風に、むしろ以前より懸命にマスタングさんの
役に立とうと励むに違いない。
 「……この身体は、ずっと。このまま?」
 「ええ。そうです。無茶な錬成でしたので、元通りに直すのは無理ですよ」
 「そう、か……」
 「悲しまないで下さい。僕がずっと側にいますから」
 「アルフォンス君……」
 寂しそうに笑うマスタングさんに、たまらなくなってもう一度、口付けようとすれば。
 「ストップだ。アル。ほいよ、大佐。ホットミルク」
 「兄さん!マスタングさんは、もぅ大佐じゃないんだから!」
 軍では行方不明扱い。
 階級は変わっていないはず。
 だけど。
 この人を、大佐、なんて。
 呼ばせたくない。
 「……ますたんぐさん、ほっとみるく」
 何かを言いかけた唇は、何を言っても無駄だと思ったのだろう。
 呼びにくそうに、呼び名を変える。
 「ありがとう。エドワード」
 さらっとファーストネームで呼び返したマスタングさんに、兄さんは頬を赤く染めた。
 僕なんかよりずっと、純粋にマスタングさんが好きだからさ。
 照れもするよね。
 初々しくて、憎らしいくらいだよ、兄さん。
 「全部飲んで、腹具合が悪くないようだったら、コーンスープが残ってる。アンタ好みにコー
  ンの粒粒がいっぱい入ってるぜ」
 「……この匂いがそうかな?」
 「だな。アンタの口に合うと良いが」
 「兄さん……席外してくれない?」
 「……マスタングさんが、食事を終えるまでは駄目だ。お前は今。冷静じゃなさ過ぎる」
 「でもっつ!」
 まだ、約束させていない。
 軍には戻らないって。
 僕とだけ一緒にいて、他の人間は必要ないからいらない、と。
 誓わせていない。
 「エドワード。悪いけど、二人きりにさせて貰えるかな」
 「でも……」
 「問題があったら、君を呼ぶ。君はこの子のお兄さんなんだからね。無茶も無碍にもしない
  から。話が終わったら、君を呼ぶしさ」
 「……わあった。隣室にいる。話が終わらないでも……アルが何か、これ以上をしでかした
  ら呼んでくれ」
 何もしないとは、言えなかった。




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