前のページへ次のページへ




 自ら死を招くような無様な真似だけはさせたくないと。
 「生きてる理由が……ありませんからね」
 「仲間が、いるだろう。あいつらを悲しませるのか?」
 龍麻を含め、宿星と呼ばれた集う仲間の中には、壬生の心を動かす奴の一
人や二人くらいいたはずだ。
 「まあ、確かに。好むべくことではないけれど。生きる理由とまでは、いかない
  な。たぶん」
 独り言のように囁いて。
 眉根が寄せられたのは、極々僅かな間。
 すぐさま全てに飽いた様な風情で、肩を竦めて見せる。
 「それにしても、どうしたっていうんです?貴方が、僕を気にかけてくださるなん
  て。今の、僕に同情でも?」
 言われるまでもなく、普通なら同情してもいい状況だ。
 一介の高校生の身に起きるには、結構酷い話だと思わないでもない。
 が、俺の感情を支配しているのは同情なんぞではなかった。
 「同情なら、いいがな」
 だらしなくはだけられたワイシャツの白さと。
 胸に散った幾つもの小さな赤い花の鮮やかさと。
 太ももをたらたらと伝い落ちる紅のあざとさと。
 守るものがない者特有の、気だるげな淫猥さは、壬生を別の生き物のように
淫らがましく見せる。
 「まさか、欲情ですか?」
 そう簡単には表にでないはずの、俺の感情の僅かな波を感じ取ったのだろう
か。
 壬生が物珍しそうに笑う。
 「いいですよ。犬神さん。こんな汚れた身体でよろしければ貴方の気がすむだ
  け。いくらでも好きになさってかまいません」
 足音をたてもせず、壬生がゆったりと距離を縮めてくる。
 「だって、面白そうじゃないですか?獣(けだもの)と、さかるのも」
 唇の濡れた赤さから目を離せなくなる。
 普段なら気にもしない、できすらしない感覚だというのに。
 狼に近い今の俺は、赤という色味に獣じみた食欲を誘われてしまう。
 白い喉元に牙をたて、その血を飽く事無く啜りたい、と。
 しなやかに跳ねる身体に己を突き立てて、狂ってしまえ、と。
 「人のものに手を出すほど、不自由はしていない」
 「僕は、ただの一度も誰かのモノに成り下がった覚えはありませんが?」
 乱れもしない穏やかな息遣いがわかるくらいに近づいてきた壬生が、俺の頬
を両手でそっと包み込む。
 「それとも、お下がりはごめんですか?」
 今にも口付けをかわせる位置にいながら決して、壬生は自分から仕掛けて
はこない。
 「…俺は鳴滝と違う。子供相手に本気にもなれんさ」
 これ以上近づかれてしまえば理性が危ういが、俺とて己の感情を殺す事にか
けては壬生に劣らない。
 「SEXは本気の相手にしかしないと、そういうことなら仕方ないですね。僕の知
  る、貴方らしくて潔い」
 見た目はさらりとのたまった恥ずかしい言葉を壬生は額面通りに受け取った
ようだった。
 こんな所がまだ子供だというのだ。
 たった一人で永きを生きてきた俺に、潔いという言葉は、何より縁遠いという
のに。
 「でもすみません。僕は僕の中に踏み込もうとする人間を、身体でしか測れな
  い」
 「……龍麻と寝たわけでもないだろう」
 「例外中の例外を持ち込まれても困りますよ。彼とは繋がる必要がないんで
  す。もともとが同じ存在ですから」
 龍麻を語る壬生はいつでも穏やかだ。
 こうありたかったという、壬生の理想をかたくなに貫こうとする姿は俺ですら健
気だと思う。
 龍麻が壬生をどれほど大切にしているか、わかっているからこそ常に穏やか
に語れるのだろう。
 その半身の存在ですら止められない深い、虚無。
 「繋がっているから、龍麻は例え僕が死んだとしてもわかってくれるでしょう」
 「お前が死んだ事でどれほど龍麻が傷つくかわかっていても、か」
 「生きてあれば僕の胸も痛みますが、死んでしまえばそれもない」
 「……そんなに死にたいのなら、仕方ない。勝手にすればいいさ……と、言
いたいところだがな。気が、変わった」
 俺の頬を包んでいる壬生の手の甲を唇の上に引き寄せる。
 ひやりとした感触は、僅かながらに血のたぎりを押さえはしたが、次の行動
を諌めるには及ばなかった。
 壬生の両手首を掴み上に持ち上げると、首筋に牙をたてる。
 「い!犬神さん?」
 さすがに上がった驚愕の声音が耳に心地良い。
 「……満月の夜、血の匂いをさせて狼男に近づく方が悪い。食ってくれと言
  っているのと何ら変わらないんだぞ」
 「だって、貴方、何も変わった風には……つつ」
 「平気なふりぐらいは、お前より上手いだけさ」
 五センチ以上は伸びている牙を根本まで突き立てて、溢れ出る血を啜り上
げる。
 新月時には、ただの塩辛い液体でしかないそれが、恐ろしく喉越しの良い
甘露となって渇きを満たしてくれた。
 「おいしい、ですか」
 「ああ」
 「僕にとって血は、忌むべきものですけど。それを糧にする人もあるんです
  ね」
 何故だか妙にしみじみとした口調の壬生は、抵抗もせずされるがままだ。
 手首の戒めをといてやれば、自ら首筋をつきだして俺の都合のいいようにと
してよこす。
 「期間限定だがな別に吸血鬼なわけではないから、摂取しなければ死ぬとい
  うわけでもないが」
 「でも、飢えは満たされる……違いますか」
 「まあ、そんな所だ」
 牙を抜き取って血だらけの唇で壬生の唇を塞ぐ。 
 舌を軽く絡めれば、己の血に臆しもせず吸い上げてくる。
 お互いの唇と舌と歯並びの感触を楽しみながらの口付けは、どれほど続い
たのだろうか。
 つっと顎を引いたのは壬生。
 その鼻先に唇を寄せたのは俺。
 「取引を、しましょうか」
 甘えてねだる風情のまま、その癖どこまでも対等な言の葉を、俺の目を見な
い壬生が低く囁く。


                               

前のページへ メニューに戻る 次のページへ

 ホームに戻る