「どんなだ?」
唇をなぞりながら、俯いた顎を上向かせる。
瞳に、極々僅か、微かに。
縋る色合を見せる壬生は、今だ嘗てないほど心細そうに見えた。
「貴方が欲しい時に、貴方が望むものを僕が差し上げます」
「それで?」
「代わりに貴方は、決して僕に執着しないで下さい」
「難しい話だ。抱き合って、好き合うな、と?」
苦笑しながら、髪の毛を撫ぜてやると、心地良さそうにしながらも眉根が寄る。
「度を越した束縛が駄目なんです。執着されればされるほど、うっとおしくなる。
でも身体は慣らされてますからね。反応せざるおえない。で、ますます誤解さ
れてしまっての悪循環だったので」
「お前の血は結構なもんだから、悪い取り引きじゃないが。俺が執着したらどう
するつもりだ?また、誰かを探すのか?自分を犯してくれる人間を」
SEXに愛情を持ち込まないのは遊びの理論であって、本気であればあるほど
実行するのは普通難しい。
どうしたって普通、軽くても独占欲にも似た執着が出てしまう。
執着してくれと、泣かれたことはあっても、執着してくれるなと懇願されたのは
初めてだ。
「大丈夫ですよ。犬神さんなら。僕に執着せず、僕を狂わせてくれる」
「何だ、狂いたかったのか」
「ええ、己の犯した罪を瞬間ぶっとばせる程度に。肉欲に溺れる自分を恥じな
くてすむ程度に」
誰にも愛される事なく、ただモノのように扱われることで、己の罪を贖おうという
のなら随分と都合のいい話だが。
壬生の場合はそんな可愛らしい贖罪の気持ちなどこれっぽっちもなく、ただ
ただ人の執着がうっとおしいだけなのだろう。
人の感情が疎ましいから、獣に身も心も委ねようという魂胆には恐れ入るが。
俺のどうしようもなく長い人生。
そんな爛れた関係があってもいいだろう。
「承知した」
「……ありがとうございます。貴方が酔狂な人で、本当に良かった」
ここにきて初めて、壬生が自分の意志で俺の唇に触れてくる。
これを計算ずくでやっていたとしたら見事だし、天性ならば尚天晴れと褒めて
やりたい。
啄ばむような口付けは、愛されていると誤解するには十分な代物で、狂わさ
れた鳴滝が憐れにも思えた。
「さて、じゃあ片付けますね」
ぼんやりと腕を組んだ俺の側を通って、壬生が鳴滝にとどめさしに行こうとす
るのを、腕を掴んで止める。
「犬神さん?」
「気持ちは分るが、生かしておけ。お前の手を汚す価値もない男だ」
溺愛した壬生に殺されるなんて至福を、与えてやる必要はどこにもない。
屑は屑でも、必要悪の屑だ。
「……貴方がそう言うのなら、生かしておきます」
剣呑な殺気は驚くほど素早くなりを潜めて、代わりに殺さなくていいのだと
という幼い喜色が頬を染める。
こんなにも、人殺しには向かなかった人間が超一流の暗殺者になるのだ。
壊れて当然。
狂って然り。
血に塗れた衣服を脱ぎ捨て、素肌にコートを羽織った壬生が勢い良く振り向
く。
「これからどうしましょうか?」
「とりあえず母親の葬儀が一番だ。後は身辺整理が済んだら、俺のアパート
に来ればいい」
「え?」
心底驚いたのか、細い目を大きく見開いて俺を見やるまなざしは微笑すら誘
う。
「母親との思い出の詰まった家に、居たければ別だが」
「いいえ」
返事は即答だった。
「もう少し長く生き長らえていたら、僕は母を憎んだかもしれません。まだ、思
い出を懐かしむには、僕は幼すぎるのでしょう」
頭を引き寄せてぽんぽんと軽く叩いて、コートのボタンを上から下まで止めて
やる。
「……こんなに面倒見の良い方だったとは、思いませんでした。僕もまだまだ
ですね」
言い様俺に背を向けてすたすたと歩いてゆく。
今の壬生にはやらなければならないことがごまんとある。
俺を振り返っている暇は、もうないといったところだろうか。
ドアが静かに閉まるのを聞きながら、ぼろぼろになった服の残骸を拾い集め
棚に差してあった封筒の中に押し込んで抱える。
みっともない鳴滝の姿はそのままにしておいても、忠義深い生徒達が後始末
をすはずだ。
俺も壬生に倣ってドアを閉めながら一人、ほくそ笑む。
壬生が望まなければ、決して俺が壬生にのめりこむ事がない事実に行き着い
たときの反応が、今から楽しみでしょうがないのは悪趣味の極みだろうが。
そのくらいは、まあ。
許されるだろうさ。
*犬神×紅葉(一部鳴滝×紅葉)。
もっとうっそりとしたダークな話にするはずだったのですが、単純に悪趣味な話
になってしまいました。紅葉に冷ややかな犬神ってーのを書くつもりだったんで
すが。またしても甘やかしてしまったようですよ?最近紅葉を甘やかさない話を
書くと胸が痛むんです。駄目駄目な話を書きすぎた呪いでしょうか。