その間、僅か数秒。
べきょとも、がよんとも。
何とも形容しがたい音をさせて、蓬莱寺さんが懇親の力で僕に拳を打ち込
んだ男の肩に木刀を叩き込む。
ぶうん、と。
木刀の撓る音が耳に届く。
あんな勢いで叩かれた日には、複雑骨折は免れない?
いや、むしろ、すっぱりと綺麗に折れてしまうのかもしれない。
「あぎゃあああああっつうう!」
人の声とは思えぬ絶叫と共に転がった男を乗り越えて、忍びやかな影が
幾つも躍りかかってくる。
「紅葉っ!」
僕が傷つくほどが、どれほど蓬莱寺さんに衝撃を与えるのだろう。
呼ぶ声は、悲痛だ。
せめてこれ以上心配させないように、と。
微笑んで見せ、複雑な形状をしたナイフを持つ男の手首を蹴り上げる。
ぽき。
小枝が折れる程度の微かな音だったのに、噴出した血に塗れたナイフは
金属質な響きと共にコンクリートに転がり、手の甲が反り返って手首に懐いて
いた。
手首からは真っ白い骨が、折れた状態で剥き出しになっている。
「いいいいいいひいいいいい」
手首を抑えた男は、狂人めいた瞳に深い怯えを映して、尻餅をついた。
ついた所から灰色の染みが広がった所を見ると、失禁したらしい。
全く、この程度の怪我で失禁とは恐れ入る。
口元にうっすらと浮かんだ微笑にはっと我に返った。
僕は今、何を思った?
手首から、骨が突き出ているほどの怪我を見て『この程度』だと?
だいたい、何で僕が放った蹴りが、人の皮膚を突き破るほどの威力を持って
いる?
や、や、や!
違う。
普通こうやって追い詰められたら、手が、出るはずなのだ。
足ではなく。
攻撃でもなく、手で、己を庇うのが、普通の行動?
混乱する僕に、畳み掛けるように影が襲い掛かってくる。
人、それも恐らく男なのだろうが、影、と称するのに相応しいほど気配がない。
たぶん、素人ではない。
動きが恐ろしく機敏で、無駄が無い……はずなのに。
僕の目には彼らの動きが、止まっているかのように見える。
スローモーションの緩慢さで、わざと、打たれようとしているように、すら。
「どうして……」
呆然と呟く。
頭はいまだパニック状態のはずなのに。
僕の足は、的確に。
襲い掛かってくる相手に致命傷を与えている。
その証拠に、僕に蹴られた影は、一つも起き上がれないでいた。
「僕は、一体?」
条件反射のように、体が軽々と動く。
頭はこれほど混乱しているのに、影は、ばたばたと僕の足元に、いとも簡単
に転がった。
「何?」
蓬莱寺さんの喧嘩慣れした戦い方とは、違う。
違う、けれど。
恐ろしく手馴れた足で屠る、残害、鏖……誅殺。
ソノ者ガ犯シタ、罪ニヨッテ殺サレル、コト。
殺ス、コト。
心臓が、ばくばくとうるさい。
戦っているせいで、鼓動が乱れているのではない。
何か思考が確信を捕らえて、慄いているのだ。
こりもせずに、また、男が切り込んで来る。
全くこの、僕相手に、飛び道具もなしとは、恐れ入るね?
顎を狙って叩き込んだ蹴りが、男の顎の骨を粉砕した。
僕の踵が、確かに感じた。
砕け散ってしまった骨が、ぐちゃぐちゃになった肉の中に出来た僅かな空洞
の中で、からから。
からから、と転がった。
僕が、初めて己の意思で人を殺めた時から、聞いている。
骨の、音。
ああ。
ああああああ。
思いだした。
何もかも、思い出してしまった。
僕は、人殺しだ。
壬生紅葉。
拳武館戌組三年。
暗殺部。
正義の名の元に、際限なく誅殺繰り返す、狗、畜生。
返り血も浴びずに、連戦を切り抜ける僕を、蓬莱寺さんが幾度も、幾度も振
り返る。
瞳で、僕の名を呼び続けながら。
記憶を、失って。
初めて、君を知る。