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 と、苦笑しながら頭をかいている。
 「僕がやるよ。きっといつもそうしていたんだろう、さ」
 「思い出したわけじゃねーんだよな」
 「ああ、何となく。君にお茶出しは似合わないと思っただけ」
 「まー得意じゃないやな」
 がっくりと大仰に方を落として見せながら、僕を台所へと先導し、カップの用意
を始めている。
 本人が言うほどには手際も悪くない。
 僕は、蓬莱寺さんに聞くまでもなくコーヒーと紅茶の用意をする。
 「そういうのは、覚えてるもんだな?」
 「え?」
 「んにゃ。紅葉のマグに紅茶の準備で、俺のマグにコーヒーの用意。自分の
  嗜好は無意識でもでるだろうけど、人のまではそーもいかないもんだと思
  ってたから」
 指示されもせず、シンプルな緑のラインが二筋入ったマグカップに紅茶をミル
クティー仕様で用意し、青基調の大柄の花が描かれたマグカップにコーヒーを
ブラックで準備していた。
 「確かに、不思議なものだ……」
 火傷しそうだから、駄目!と僕の背中を押した蓬莱寺さんは、二つのマグカ
ップを手にし、大股で居間に戻ってテーブルの上に、ことんと置く。
 「いただきます」
 ぱんっと、目の前で拍手を打つのは彼の癖なのだろうか。
 おいしそうにコーヒーを啜り始めるのに倣って、僕も自分の淹れたミルクティー
に口をつける。
 砂糖は入れなかったが、牛乳の甘味が胃に優しい気がした。
 「家に着て、茶―しばいても駄目だったってこたー。ちっと長引くかもしれん
  なあ」
 さらりと、何でもないことのように言われた言葉は今の僕には、直球過ぎて痛い。
 「他の人に会えば、変わるかもしれない……」
 「ん、確かにそれはある。早速呼んでもいいけど?」
 と、部屋の隅にあった電話を引きずってくるのを、押しとどめる。
 「皆、それぞれ都合があるだろう」
 「紅葉が記憶喪失だって聞いたら、皆。何を差し置いてでも来るだろうさ。
  紅葉好きは多いんだ。たぶんお前が考えているよりもずっと、よ」
 「本当にそうなら、嬉しいけれど……。今、他の誰を呼んでもらっても混乱
  するだけだと思う」
 「十分落ち着いているように見えるけどなー」
 「それは相手が蓬莱寺さんだからだろう……たぶん」
 僕が必要以上に考えるすきを与えないタイミングで話を進めるなんて器用なこ
とが、他の誰にでもできるとは思えない。そういった類の性質は天性のものだ。
 「ひーちゃんとか、如月辺りだったら、もっと有効な手段を打ちそうな気が
  するんだけどよ。紅葉がそう言うんならやめとく。ただ、純粋に心配する
  だろうから、もそっと落ち着いたら連絡だけさせてくれな?」
 ひーちゃん、という呼び名を聞き、ちりりと胸が傷んだような気がした。
 「紅葉?」
 きっと心配するだろうから、極力感情を抑えたつもりだったのだけれど、看破さ
れてしまうらしい。
 「……ひーちゃん、て?」
 「ああ、さすがにひっかかるんだ。すっげーなー双龍ってーのは」
 「双龍?」
 「んーその辺りの説明はおいおいするとして。肉親を覗いて一番近しい存在
  が"ひーちゃん"こと"緋勇龍麻"。普通に言えば親友ってなとこだろう」
 所々歯切れの悪い物言いではあるが、出会って短い時間の中でも一番良い
笑顔で呟く。
 緋勇、さんは、僕だけではなく蓬莱寺さんにとっても大切な人なのだ。
 「うらやましいぐらいの以心伝心だから、いちいち連絡しなくても通じてる
  気もするけど……。まー何はともあれこれ以上の行動は紅葉がもそっと落
  ち着いてからの方がいいだろう。蒲団敷いてやるから、ちょっと寝ておけ」
 「蒲団ぐらい自分で、敷けますよ」
 「いいから、俺がやりてーんだって。それともあれか、添い寝担当の方がい
  いか?」
 「遠慮しておくよっ!」
 「ははは、それで、いい。それでいいんだよ。紅葉」
 肩が数回叩かれる。
 まるで僕の記憶喪失など頭にないかのような気安さに、救われる。
 これもまた指示されなくとも寝室へ行き、蒲団を引っ張り出す。
 僕はあまり家で寝ない人間だったのか、奇妙に綺麗な寝具だ。
 「ただ見守ってるのもあれだから、やっぱり添い寝しちゃまずい?」
 「謹んで辞退させて頂く」
 「んーじゃ、隣で寝る。マイ蒲団敷くから」
 よっこらせっと、反対側の押入れから取りだされた蒲団の方が、余程使った
跡がある。
 ただ単に僕の寝相が良いだけなのか?
 「靴下脱いで、ズボン脱いで、シャツも脱いで・・・・・・」
 蒲団の上にあったパジャマを着るべきか着ないべきか悩んでいる側で、蓬
莱寺さんは景気もよく服を脱ぎだす。
 「どこまで脱ぐ気なんだい?」
 「トランクスとTシャツまで」
 腕時計も外しいそいそと蒲団に潜り込む。
 脱ぎ散らかした服をみて僕は大きな溜息をついた。 
 「どうして君はいつも片付けないんだろうね」
 「紅葉!」
 物凄い勢いで蒲団を跳ね上げて、上目遣いにじっと見つめられる。
 「え……ああ、すまない。そう、思っただけ」
 「悪りィ……」
 どれほど、蓬莱寺さんが僕の記憶喪失を心配してくれているのか。
 どんなにか、元に戻って欲しいと願っているのか。
 「これは、僕のパジャマ?」
 「ん。ひーちゃんに貰った奴。ひーちゃんが泊まりの日はそれを着て、普段
  はわりかし、長袖のシャツとスエット。転寝の時は今着てる格好が多かっ
  た」
 「っていうと……」
 「ちゃんと寝ておけって。シャツとスエットは整理ダンスの中」
 言われるがままに整理ダンスを開けて、揃いと思われる黒いシャツとスエッ
トを出した。
 「そーゆーとこは、紅葉なんだよなー」
 「え?」
 「それ、俺が上げた奴だから『僕の趣味じゃないね』って言いながら、俺が
  泊まる日は着てくれてた」
 記憶は、本当に失われているのか。



 

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