前のページへメニューに戻る次のページへ




 ワインを淹れるのはフェリシアーノの方が上手いので、これは何時でも買って出ている。
 綺麗に手入れをされたワイングラスに適量を注ぎ込み、お互いの目の前に置く。
 「「かんぱーい!」」
 きん、と微かにガラスの触れ合う音をさせてから、口に含む。
 溜息が出そうな美味さだと思ったら、菊が笑顔のままで深い至福の溜息をついた。
 「おっついしいですねぇ」
 これもまた、無邪気な顔で微笑まれた。
 出会った時から変わらない。
 美味しい物を食べる時の満ち足りた笑顔。
 「ねぇ、菊」
 「はい、何です?」
 「俺ね。カークランドに会って来た」
 「おや。元気そうでしたか? 最近、会議にも出ていらっしゃらないから心配です」
 菊の問い掛けには即答せず、フェリシアーノはステーキにナイフを入れた。

 あの、状態では。
 さすがのジョーンズも会議になど引きずり出せないだろう。

 ジョーンズの洗脳が上手くいかないらしく、カークランドは現在恐慌状態に陥っている。
 他者が入ってくると、我を忘れて怯えるのだそうだ。
 頑として、会わせろと言えば、後悔しても知らないよ? と珍しく疲れた表情のジョーンズが
案内してくれた。
 光溢れるカークランドの自室で、彼は優雅に紅茶を飲んでいた。
 人差し指にクロテッドクリームを塗って指を差し出す様を見て、ジョーンズは目をそむけたが、
あれはきっと。
 彼にしか見えない妖精にせがまれて、クリームを食べさせているのだろう。
 妖精の大半は、乳製品や甘い物が大好きだと聞く。
 「カークランド?」
 呼びかければ、途端。
 彼は激しく怯えて、カーテンの中に隠れた。
 ふわりふわりと風もないのに踊るカーテンは、たぶん。
 妖精が心配して、彼を匿っているんだろう。
 「そんなに、怯えないでいいよ? 俺は、君の大好きな菊が、相変わらず君の事を好きだと
  伝えに来ただけだから」
 そう、正面切って言わずにいられないほど。
 菊は以前と変わらずに、ジョーンズとカークランドを大切に思っている。
 フェリシアーノの事も、変わらずに。
 ただ、そこに。
 恋人としての、特殊に甘い要素が色々と加わっただけの話。
 カークランドは、どうして。
 菊に、あんな酷い事ができたのかと思うくらいに、どこまでも理想的な恋人なのだ。
 「き、く?」
 その名前はやはり、彼にとっても特別らしい。
 カーテンから顔を出して、話かけてくる。
 「元気か? 菊。ちゃんとご飯、食べてるか? 夜も、魘されないで、寝てるのか?」
 「うん。三食おやつに、シエスタ付だからね。元気だよ」
 「そっか。元気か……良かった」
 遠く離れて会えない友人を、や。
 恋人との無事を喜ぶささやかな笑顔は、静かだった。
 「カークランドに会いたがってた」
 「俺に、会いたい? どう、して? 菊は、もぉ。俺のコト、いら、ない、いらないんだろっつ! 
  捨てたんじゃ、ないのか?」
 ぼろぼろと泣き出すカークランドに、ほら見た事か! とその身体を抱き締めれば、カークラ
ンドはジョーンズの胸の中で、甘えるようにえくえくとしゃくりあげている。
 洗脳が上手くいかないと言っても、全く効いていない訳でもないらしい。
 「……ギルにでも、相談していみようかな?」
 彼はルートヴィッヒの為に、ナチスの負の遺産を全て引き継いだ。
 洗脳の項目は、かなり充実していたはず。

 きっと、俺と菊に都合の良い完璧な洗脳を教えて寄越すだろう。
 彼は、弟と傷つけたカークランドとジョーンズを嫌い。
 フェリシアーノと菊を好いてくれている。
 「ギルって? バイルシュミットのことかい?」
 「……そっちの話は、後で。二人きりでしよう。今は少しだけ、席を外してくれないかな」
 「だけどっつ!」
 震えるカークランドを抱き締める手が強くなる。
 その手で、彼の呼吸が詰まっているのにも気がつかない。
 この兄弟は、こんな所もよく似ている。
 一方的な愛情は破綻するだけだと、身を以って知っているはずなのに。
 「大丈夫だよ。君には見えないけど。カークランドにはお友達が居てくれる」
 「見えるの、か?」
 「俺には見えないけれど。君には見えるんだろう? 菊がそう、言っていた。アーサーさんは、
  素敵で可愛らしい方達に、守られているんですよって」
 「……ある。あるふれっど。俺は、大丈夫だから。この人と話を」
 「大丈夫って、アーサーっつ! いて、いてててて!」
 いきなりジョーンズが、カークランドの身体を手離して、体中を掌でばんばん叩き出す。
 妖精達の仕業に違いない。
 彼彼女等も、いきなり変貌したジョーンズの態度を不審に思って居るのだろう。
 「こら、お前達! アルを苛めるな!」
 それでも、カークランドの声で攻撃を止めたらしい。
 顰め面を晒したジョーンズは、渋々フェリシアーノの言葉を飲む事にしたようだ。
 「わかったよ、ヴァルガス。隣の部屋に控えてるから……ナンかあったら、すぐに叫ぶんだぞ!
  いいね、アーサー?」
 カークランドの額にキスを落としたジョーンズは、心配そうに部屋を出て行った。
 叫ばなくともきっと。
 この部屋に、二つ三つの盗聴器なぞ仕込み済みだろうに。
 「……皆、協力ありがとうね?」
 カークランドを攻略するのには、本人よりも周りが先。
 ジョーンズが、居なくなったら、今度は見えないお友達だ。
 決して邪険にしてはならないと、菊に言い聞かされている。
 菊の伝言をもってきたと言うのも利いているらしく、緊迫していた雰囲気が随分と和らいだ。
 「カークランド?」
 フェリシアーノは、彼を驚かせないように彼の目の前に膝を折って目線を下げた。
 見下ろされるより、見上げられる方が、ずっと安心するのだ。
 それをフェリシアーノは経験上、知っていた。
 「ジョーンズが、君に何を言ったのかはわからない。でも菊は、君を変わらずに大切に思って
  いるよ」
 「本当に?」
 「うん。菊の恋人である、俺が言うんだから、間違いない」
 「恋人? 君が?」




                アーサーには、儚さが似合うと思うのは、夢見すぎでしょうか。




                                   前のページへメニューに戻る次のページへ
                                             
                                       ホームに戻る