「ほらほら。そんなに泣かないで、私のヒーロー?」
やわらかい声音だ。
フェリシアーノが、落ち込んだり拗ねたりしている時に、決まって紡がれる大好きな音域が、
嫌いというよりは苦手になってしまいそうだ。
客間に足を踏み入れたカークランドは、どかっと座布団の上に座った。
以前、興味を持ったルートヴィッヒに菊が説明していたのを、横で聞いていたから知っている。
カークランドが座った場所は、その家の主。
一番偉い者が座る場所だ。
「初めてだったか?」
「……何が?」
「ああ、いう。奔放な菊を見るのだよ」
「あれは、奔放っていうんじゃないでしょ!」
「そうか?」
楽しげなカークランドは、一体何を考えているというのか。
腹立たしさと不信感しか覚えられない。
「そうだよ! あれじゃあ、まるでっつ!」
「淫乱だってか?」
「アーサーっつ!」
淫乱というのとも、また違う気がした。
ただただ、盲目的にカークランドの言葉に従っている風な。
結果。
淫乱というよりは、どんな事でもするように見えるのだ。
例えば、カークランドがそうと指示をすれば、あのままジョーンズを縊り殺してしまいそうな
危うさがあった。
「全部、俺のせいだと思っているだろう?」
「……違うの?」
空気を読まないと呼ばれるジョーンズの、育ての親とは思えぬ聡さ。
カークランドは、フェリシアーノの表情の変化で考えている事を明確に読み取っている。
「違う。あれは、菊のせいだ」
「嘘!」
「本当だ。俺は奴の深くに沈んでいた欲望を引きずり出したに過ぎない。まぁ、少しぐらい
壊れた方が俺の相手にはちょうど良いと思ったのを、誤魔化すつもりもないが」
「き、さまっつ」
テーブルに手を置き、がたんと激しい音をさせて立ち上がる。
「へぇ。お前でも、そんな顔できるんだな」
馬鹿にしたような物言いも、フェリシアーノが取り出した物を見て、僅かに鳴りを潜める。
「ってーか、それ。よく税関通ったな」
「その気になれば、俺達フリーパスでしょ? カークランドこそ、菊を調教するのに色々な道具、
持ち込んだんじゃないの?」
「今は、便利な通販がある。無理してイギリスから持ち込むまでもない。日本のアダルトグッズ
ショップもここ数年で、随分充実してきたぞ」
シャツの中にナイフを仕込んでおくのは昔からの習慣になっている。
慣れない頃は何度もシャツを破いたりしたものだが、今は仕込んでいるのも忘れるほど、
気にならなくなっていた。
兄、ロマーノの所ほどでもないが、フェリシアーノが住まうイタリアも場所によっては随分と
物騒だったりもするのだ。
日本のように、安全な国ばかりではない。
カークランドも笑いながら、銃を取り出してフェリシアーノに銃口を向ける。
「良かったなぁ。フェリシアーノ。お前が菊の大事なモノでなければ、その間抜けな額を打ち
抜いてやってるぜ?」
「寝言は寝てから言って貰えないかなぁ? 君が菊の恋人でなければ、ナイフ出した瞬間、
君の頚動脈。掻っ切ってるよ」
「頚動脈って辺りが怖ぇえな」
がちんと激鉄を起こす音。
これで、引き金を引けばフェリシアーノを撃ち殺せると思っているのだろう。
随分と、馬鹿にされたものだ。
「……ねぇ? 何でジョーンズの上に菊を乗せたの」
「ん? お前も乗りたいのかよ」
「君の居ない所で、口説くから。余計なお世話。で、どうなの?」
「ジョーンズがうるさかったからさ。菊を大事にしろって。奴は俺の『愛し方』をよく知ってるから」
恋人と家族は違う。
確かにカークランドのジョーンズに対する態度は過保護ではあったが、同時に微笑ましいと
思う場面も多くあったのだ。
ジョーンズが、必要以上にカークランドに反抗するのは、自分を対等に見て欲しいという、
子供の我が儘に近いものだと判断する者は少なくなかったはずだ。
兄ちゃんも、確か。
そんな事を言っていた。
悪友としてだけでなく、カークランドを一時期面倒見ていた保護者としての立ち位置を崩さな
いボヌフォワが、そう判断していたのだ。
だが、それは。
どうやら違ったらしい。
「とんだ杞憂だったんだけどなぁ。菊は、初めて。俺の全ての変態行為と呼ばれる愛情を、
喜んで受け入れてくれた。酷く、病んだ奴なんだよ」
それこそ満面の笑みという奴で、惚気られた。
フェリシアーノは、そろそろ。
菊が、その本質のままにカークランドを受け入れてしまったのではないかと思い始めている。
運悪く、カークランドに捕らわれてしまっただけで。
相手が、変わっても。
カークランドの望むままに行動するように。
新しい相手の望む、菊になるのではないかと。
フェリシアーノが菊に出会った頃。
既に、自分が大切に思う人達に喜んで貰うのが、一番の悦びだという己を確立させていた。
長く培ってきたその性質は、簡単に変わるものでもない。
だと、したら。
容赦や遠慮などいらない。
「じゃあ。今度は俺が。どんな歪んだ愛でも受け入れてくれる菊を、愛するよ。安心して、
逝って? この、変態紳士がっつ!」
ロマーノとフェリシアーノが幼い頃に会得した。
会得せざるえなかった、殺気を出さずに、相手に次の動作を何一つ予測させずに動く、
俊敏なナイフでの攻撃を首に走らせた。
肉を裂き、骨があたる感覚。
この辺りは、本当。
人を殺すのと変わらない。
最も、首を落としたぐらいでは、俺達は死ねないのだけれども。
己が傷付いたと認識した途端に、銃を撃ってきたのは素晴らしい。
さすがは元海賊。
戦い慣れしていない者ならば、まずは、己の怪我の具合を確かめようとするのだ。
その、僅か間に。