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 ロイは、まるで本物のように熱弁を振るった。
 やっと、皆様に平和をお届けできました、と。
 そんな風に語るロイに、集まった数千とも数万とも言える観衆は、歓声も拍手も謝辞も、
喜びで流す涙すらも惜しまなかった。
                 
 俺は飛んだ茶番に、冷ややかな目を向けるだけ。
 そうやって奮われた熱弁は。
 さて、どれぐらい続いていたのだろう。
 滑らかに動く口元を。
 鮮やかに輝く黒曜石の瞳を。
 誰もをひきつけてやまない、その存在を。
 じっと見詰めていた俺にとって、時間が過ぎるのはスローモーションのようにゆっくりでもあり、
早送りのように性急でもあった。

 「ご静聴、ありがとうございました。私のご挨拶は、私の死を以って締めくくりとさせて頂きた
  いと思います」

 あんまりにも、堂々と言い切ったので大半の人間は、聞き間違えだと思っただろう。
 あのホークアイ大総統補佐官でさえ、訝しげな色を瞳に浮かべただけだった。
 
 ロイが、すっと、発火布に包まれた真白い手を群集に向かって差し向けるまでは。

 一瞬で、ロイの体が燃え上がった。
 容赦のない高温は、青白くさえ、見えた。

 最初に動いたのは、ホークアイ大総統補佐官。
 反射的に駆け寄ろうとして、足が不自由とはとても思えない素早さで動いたハボック補佐
官に、華奢な身体を抱き抱えられた。
 
 群集のパニックは、その、次の瞬間にやってきた。
 
 必死に収めようとする元軍部の人間達。
 ロイの身体に水を掛け捲っているのは、ブレダ大将。
 水では消し止められないと思ったのか、消化剤を抱えて走ってきたのはファルマン大総統
秘書室長。
 大きな瞳に涙を一杯に溜めて、立ちすくんでいるフュリー通信技術情報部室長が、一番人
間らしい反応だ。
 軍の犬とは程遠い姿だけれど。
 きっと、ロイが望んだのはそんな反応なんだと思うぜ。
 
 俺はゆっくりゆっくりと、ロイの体が燃え続ける壇上に向かう。
 そんな最中に異国の宗教書で読んだ、モーゼの十戒って奴を思い出した。
 恐慌状態に陥っている群集が、俺の為。
 綺麗に二つに分かれて、道を作ってくれたからだ。
 怒号も俺の周りを中心に落ち着いてゆく。
 軍のコートとは違う真っ赤なコートを脱ぎ捨てれば下は、俺が愛した。
 今も愛している男が着ていた服と同じ。
 軍の盛装。

 今だ燃え燻るロイの死体の横で、俺は先刻までロイが使っていたマイクを握る。
 「元アメストリス国、エドワード・エルリック大将です」
 名乗った瞬間、恐ろしい静けさが辺りを支配した。
 一部、燃え盛るような憎悪の視線を感じる。
 「亡くなった閣下の遺言です」
 国の為。
 民の為。
 自らをも粛清してその軍政を終わらせた男として、ロイは長く語り継がれるだろうけれど。
 真実を知るのは、俺だけだ。
 「私の死を以って、アメストリスの軍政を廃止致します」
 革命の象徴でもあり、軍の象徴たる存在ロイは、本人望まぬともきっと。
 次の大総統に、否。
 大総統と変わらぬモノに成り得ただろう。
 群集の大半がそれを望み、部下達も望み。
 一部の部下達だけが、ロイが一線を退くと信じていた。
 本人の言う、約束を果たしたから。
 でも、まさか。
 こんな幕引きだったとは、想像すらしなかったに違いない。
 死ぬなんて。
 まさか、私達を置いて逝くなんて、と。

 だが、真実はもっと酷いぞ?
 
 ロイは、ヒューズ准尉と生きる為に。
 自分を抹殺したのだ。
 こんな、大量に生き証人を残して。
 
 「以上です」

 俺は既に一山の灰と化してしまったロイの身体を一瞥して、壇上へ上った時と同じように
悠々とその場を後にした。
 数多居たであろう、ゴシップ屋達ですら近づいてこないだけの気迫を漲らせながら。

 誰一人追ってこないのを背中で感じて、俺はようやっと詰めていた息を大きく吐き出した。
 ホークアイ大総統補佐官辺りが、追っ手をかけるかと思ったが、今はそれどころではない
のだろう。
 俺は、私服を隠して置いた場所までくると軍服を脱ぎ捨てた。
 もう、二度と着る事もあるまい。
 踏み躙ってしまおうとも思ったが、余りにも子供っぽさに呆れて止めた。
 俺にとっては、物の役にも立たない服だけれども。
 他の誰かの手に渡れば、その日の夕食を賄える程度の金にはなるかもしれない。
 何しろ方には、大将、という高位をあらわす星が並んでいるのだ。
 大半の人間は、捨てるかどうか迷って己の手元に置くだろうから、まずレアだろうしな。
 くだらない事を考えながら、すたすたと歩く俺の足取りは、我ながら現金にも軽かった。
 
 だって、ロイが生きているのを知るのは今、俺しかいないのだ。

 ヒューズ中佐が、どんな状態だってロイの側から引き離して、俺はロイと二人。
 待ち望んだ蜜月を堪能する。
 楽観はしていないが、絶望もしていない。
 確かに抱き合った時間はあった訳だし。
 例えば、ヒューズ中佐が普通の状態でなかったら、ロイも諦めるか、壊れるか……する
だろうから。

 「壊れたからって、手離すつもりはねーぜ?」
 俺の執着はそんなにも生温いものじゃあない。




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