完全に錬成は終わっていたと見えて、俺が足を踏み入れても何の抵抗も反応もない。
「ロイ」
ヒューズ中佐の腕の中、縋るようにして眠っているロイの身体を引き剥がして抱き上げる。
二人一緒に寝かせて置くのが耐え切れなかった。
生きているのか否かを確かめるよりも先に、思ったことがそれで。
俺は一人肩を竦めた。
抱かれても目を覚まさないロイの身体を、寝室へ運び。
少々黴臭いベッドに寝かせる。
ワイシャツのボタンを一つ二つと寛げて、毛布を引き上げると瞼の上にキスを一つ。
ぴくっと震えたので覚醒か?と思ったが、ロイは穏やかな寝息を立てたままの状態だ。
「……疲れてるんだろう、な」
術式が大きければ大きいほど、複雑であればそれだけ術者の負担は大きい。
自然目覚めるまで、待つのが得策だろう。
「一応、な」
イシュヴァールの民に教わった眠りの呪言を囁いて。
今度は額に口付ける。
軽い錬成反応が起こって、ロイの寝息はより深いものになった。
俺が側にいない時に、目を覚まさないように。
もう俺は、あんたを信じたりはしない。
騙されも、しない。
心の底から愛しているけれども。
「さて、今度はあちらさんだ」
ロイの体から離れたがらない自分を叱咤して、再度リビングに戻る。
ヒューズ中佐の体の側に腰を下ろして、脈を取り、瞼を開いて眼球運動を各品し、心臓の鼓
動を聞く。
「見た目は、眠ってる人間とかわんねーなぁ?」
後はあれだ。
起きてみなければわからない。
完全な人体錬成は、神の領域だ。
天才と言われた俺でも、完璧な錬成はできなかった。
俺が来る前まで最年少国家錬金術師であったロイも、努力型に見られがちだか天才には
変わりない。
ロイになら、俺以上の錬成はできた、ようにも。
できない、ようにも思える。
ヒューズ中佐の手首を掴んで、ずるずると引き摺って、隅に追いやられていたソファの上
にどうにか乗せた。
少なくとも、体格の良い成人男性の体重はあるだろう。
……内臓などが、まんま欠損したとは、考えにくい。
ロイに施したのと同じ呪い言葉を吐く。
びくっと指先だけが反応して、後はロイ同様深い眠りに落ちて行ったようだ。
「大人しく。眠ってろよ。俺が全部を終わらせるまで」
誰より愛しているロイの遺言を果たすまで。
大きく肩で息をした俺は、忘れずに施錠をすると、その一軒家を後にした。
「……大将?こんなトコにいないで、もっと近くに行ったらどうっスか」
びっこを引き引き、俺の方に歩いてきたのはジャン・ハボック大総統副補佐官。
ロイの腹心の一人。
半身不随に陥った身体を、努力と気合と運で、杖の力を借りてとはいえ通常歩行ができるま
でに戻した男は、昔と変わらぬ屈託のない犬のような真っ直ぐな空色の瞳で俺を見詰めてく
る。
「いや。俺はここでいい。この手の華やかさは苦手だ。閣下は好きだろうけどよ」
綺麗に女性に囲まれて、花束や熱烈キッスを受けているロイは。
皆が知る。
俺が愛したロイではない。
「あんたってー人が居ても、相変わらずの女好き。恋人として複雑?」
「……慣れもするさ」
肩を竦めてみせれば、ハボック補佐官はぽんぽんと気軽に肩を叩いて寄越した。
「まーこの式典が終われば、蜜月が待ってんだろ?」
「だといいけど。相手がアレだから」
「まったまた。あの人と一緒に歩けるのは大将ぐらいっしょ」
忠犬の名のままに、ロイについてきたハボック補佐官は屈託なく笑う。
俺も信じていた。
ロイの側でこれからを共にするのは自分しかいないと。
驕っていた。
「……そろそろ行った方がいいんじゃねーの」
「はは。鷹の目に怒られる前ってね?」
あの人も変わらず怖いよーホント、と笑いながらハボック補佐官は人がいる方へ歩いてゆく。
「何とか、大丈夫そうだな」
ハボック補佐官達が信じて疑わない、ロイ・マスタング大総統閣下は俺が生み出した人工生
命体だ。
必要最低限の行動と言動をインプットしてある。
一応ロイの体の一部……髪の毛と爪……を使っているので、思ったよりもそつなく対応して
いた。
あれを引き渡すと時に、ホークアイ大総統補佐官に『柄にもなく緊張してるみてーだからフ
ォローを頼むな』と伝言したのも良かったのだろう。
余り緊張とは縁が遠い存在に思えるロイだが、今日は特別だ。
俺よりも長く一番近い場所を独占していた彼女なら、この場面でロイだったら緊張するだろ
うと、知っているはず。
ホークアイ補佐官が笑顔で『先刻から緊張されているようで』と囁けば、大半の話しかけて
くる相手は納得するだろう。
人の輪と一緒に、ロイの体は花で飾り立てられた壇上へと近づいて行く。
さぁて。
これからが、本番。
偽ロイは、俺が造った通りに動いてくれるかな?
『お集まりの皆様に、まずは自己紹介をさせて頂きます』
人を魅了してやまない独特の声が響くだけで、観衆は奴の声を聞き漏らさないように、一切
の口を噤む。
『私が、元アメストリス国大総統ロイ・マスタングです』
深々と頭が下げられれば、わっと歓声が上がった。
幾らか歓声が落ち着いた段階で、ロイは静かに手を上げた。
また、静寂にも近い静けさが辺りを包み込む。