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  青龍の血には際限なく身に潜む力を解放させる能力があると嘘をついて、
奴の関心を買おうとした、たった一人の女の裏切り。
 両親を早くに失いたった一人の血縁であった妹の。
 嘘をついたことがばれて奴に分解されるように、執拗に辱められた後に殺
されても妹は、奴に向かって『愛している』と遺言した。
 ボクが愛した少女は、ボクの手で他の男への愛を語りながら、死んだ。
 ……妹の腹にいたボクの子供も共々。
 マリアという名の、花綻ぶように笑う優しい少女だった。
 口元に手をあてて微笑むしぐさは美里にとてもよく似ている。
 ボクが美里に愛を囁くのは、裏切ったマリアから受けた傷を癒す行為以外
の何物でもない。
 本当は助けたかった…でもマリアは奴に愛されないのならと、死ぬことを選
んだのだ。
 生かそうとするボクのエゴを踏みにじったマリアは、見たこともないほど嬉し
そうな顔をして事切れていた。
 「ほとんど、一緒ダヨ」
 「アラン…」
 紅葉の瞳が心配そうな色合いをはく。
 酔いにまかせて自らの重責を吐き出すように語った劉に釣られて、ボクの
過去を話してしまったその場には紅葉もいた。
 ボクが"何か"を思い出してしまったことを組んでくれたのだろう。
 優しい奴なんだ、と苦笑する龍麻の顔がぼんやりと頭の隅に浮かぶ。
 「紅葉は…綺麗ダね」
 「……突然どうしたんだい?」
 「紅葉ほど綺麗ナ人をボクは知らない」
 「男の僕に綺麗だなんて。他にも綺麗な子達はいるだろうに。美里さんは母
  性の雰囲気を聖女クラスにまで高めた方だし、小蒔さんは凛とした風情が
  人を惹きつける。舞園さんは歌声のままに優しい方だよ」
 "女性にはまだあまり興味が持てないんだ"と言いながらも、彼女達の個性を
把握し、きちんとその良さを認めている。
 恋愛感情を抜きにして"壬生君って優しいよねー"と屈託なく笑う少女達のど
れほど多い事か。
 『あれぐらい飢えてない男は、純粋に格好良いと思うわよ』
 道端でばったりと会った亜理沙を当たり前の気安さでお茶に誘った時に、
彼女はまっすぐにボクを見てそういった。
 『女に、じゃなくてね。物事に飢えてない男っていうの?かつかつしてる男も
  頑張ってて可愛いわねーって気にはさせてくれるけど。格好良くはないじ
  ゃない。今時、貴重よ?格好良い男』
 "ルックスだけなら、アランも捨てたもんじゃないわよ"と魅力的なウインクを
くれながらの言葉が、まー女性にとっての総じての紅葉への評価だろう。
 自分から決して求めない癖、こちらからリアクションを取ればそつのない対
応が返ってくる。
 複雑な状況下に置かれていなければ、告白の一つもされているだろう。
 紅葉が優しいことに、最近皆気が付きつつある。
 「見た目の話ナラ、いるだろう。でもボクが言っテいるのハ中身ノ、話」
 「中身ね…暗殺なんてものを仕事にしている人間の心根を綺麗と言い切れ
  るのは…もしかすると倫理観念あたりが欠如しているのかもしれないよ?」
 「リンリのカンネン…ね」
 「わかる?」
 「ナントなく…」
 実の妹を生涯の伴侶に選び、子供まで孕ませた人間に倫理も道徳もあった
ものじゃないとは思うけど。
 「仕方ないよネ。ボクの目には紅葉ガ綺麗ニ映る。それはボクにしかわから
  ナい事実、だから」
 ボクに真っ直ぐな視線を向けて、何かを読み取ろうとする紅葉の唇にそっと、
指先で触れてみる。
 想像していたのと同じ冷ややかさが、どうしてだか心地良かった。
 それはもうボクが、ぬくもりなんてものを信じないせいかもしれない。
 冷ややかさだけが、ボクの心を和ませる。
 「紅葉…」
 視線を反らさないのは己の心に偽りを持たない誠実さの証。
 そうでなければ己を偽り続けることができる弱くて、けれど強い信念の証。
 たぶん紅葉は前者で、ボクが後者。
 見つめあうままに、そっと唇を近付けた。
 微かに触れ合った瞬間。
 弾かれたように紅葉の体がボクの前から離れてしまう。
 「親愛の情ダヨ」
 「マウストゥマウスは…近しい人とするものだろう」
 「紅葉は近シイ人だ…違ウ?」
 「彼女やご両親に、しかも特別な時にするものじゃないのかい?!」
 興奮した息をそれでも賢明に整えて食ってかかるところなんかも堪らない。
 「紅葉と二人っキリでいる今ガ、特別ナ時だよ」
 「君はいつもそうやって、女性を口説くのかな?蓬莱寺君あたりに教えてあ
  げると喜ぶかもしれないね!」
 離れた距離を、紅葉の腰を掴まえて縮める。
 嫌がる紅葉の体をはがいじめるのに、力はいらなかった。
 「暴レルと、マリィが飛んでクルよ?」
 「……!」
 「二人が喧嘩をしているトコロなんて見せたくナイ。マタあんな瞳で見ラレル
  のは嫌ダロうに」
 さんざん開発され調教されたマリィの能力は、皮肉にも支配者から解放さ
れることで開化した。
 マリィが大切にしている人間の危機は彼女の眠れる能力を揺り起こす。
 ここで紅葉が派手な抵抗をしたのなら、マリィの朱雀としての力が怒濤の
ようにボクにぶつけられるだろう。
 無論ボクに抵抗する気はなくとも、青龍としての僕の防御本能が働いてし
まう。
 もともと四神には争ってはいけないという堅い戒めがある。
 それを破ってしまった日にはどんな災いが起きるか想像もつかなかった。
 僕が"ごめんヨ"と囁いて紅葉の側から離れない限り、紅葉は自由になるこ
とを許されない。
 「冗談が好きだな……アランは」
 最後の通達のように冷ややかな瞳がボクを射抜く。
 "ひたすラに苦手"が、"イイカモ?"になって、"いいネ"から"堪ラナイ"になる
までの時間は、思えば酷く短かった。
 もう一度深く唇を合わせれば、簡単に侵入を許された
 舌先がきつく噛まれる。
 痛みは眉を寄せる程度の微かなものだったので、何事もなかったように
鉄の味がする唇を貪った。
 血の味がリアルに甘いと感じたのは、さすがに初めてかもしれない。
 真紅に染め上げられた視界から、その烈火のような色が心に染み入って
しまったかのごとく押さえきれない感情が暴走する。
 「何をしたいんだい…君は」
 「一つにナリタイね。紅葉の冷タサに全身、包みこまれてミタイよ」




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