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 地獄以外の何物でもなかった、イシュヴァールで作り上げた負の遺産。
 こんな風に部下が、誇らしげに説明してくれるものではなかったのだけれども。
 「光の強さを調節するんでしょーけど。あんたが、焔を生む以外にこんな繊細なことが出来る
  なんて、思いもよらなかったっスわ」
 「お前なぁ」
 「嫌だなー褒めてるんスよ!大佐」
 戦闘の興奮から抜けきれないのだろう、加減なしで背中をばんばんやられて、けふけふと音
にならない空気が漏れた。
 「ファルマン准尉!カウントはどうだったのかしら?」
 テントの外で、双眼鏡をあてぶつぶつとなにやら呟いている准尉に、中尉が問い掛けると。
 律儀なまでの何時だって早い返答の代わりに、掌を押し出してくる。
 ちょっと、待って下さい!の仕種だ。
 「あら。ごめんなさい。カウント中だったのね」
 撤退がどこよりも早い東部が今、全員戻った所だ。
 他の支部はまだまだ、撤退中だろう。
 重要なカウントの最中に話し掛ける中尉ではないのだが、そうと見えなくともハボックのよう
に、擬似とはいえ久しぶりの戦場の雰囲気に飲まれていたようだ。
 「もう少し、かかるだろう。コーヒーでも用意して待っていよう」
 「ええ」
 「賛成っス」
 右肩を中尉が、左肩をハボックが。
 そして私は頭をぽんぽんと軽く叩く。
 ……私が奴の頭を叩く時に、ちょっとだけ背伸びをしたのは、ここだけの話にしてくれたまえ?
 糸のような細目の端が、やわらかく撓んだのを見届けてから、テントの布を跳ね上げる。
 「お疲れ様でしたー」
 ヘッドフォンを外しながら、機械のボリュームを調節して、フュリー曹長が椅子の上からくる
んと振り向く。
 「したー」
 ブレダは眉間に皺を寄せて、紙の上にペンを走らせている。

 「どうだ、様子は」
 「東部がダントツらしいですよ?個人ではゲスト参戦の中尉がぶっりぎりの一位だそうです。
  個人賞だそうかなーとか、閣下がおっしゃってましたよ?」
 「何だよ、フュリー?閣下んトコも盗聴してんかよ?」
 「もう!人聞きの悪い言い方はやめて下さい。これも立派な情報収集です。閣下の所が一
  番早いんですから」
 「ま、そりゃそうだな」
 むふーと旨そうに煙草の煙を鼻の穴から思い切りよく吐き出したハボックは、さっさとブレダ
の対面に座っている。
 どうぞ、とパイプ椅子を二つ引っ張り出して、私と中尉を促す仕種は堂に行ったものだが、
それでも上官より早く座る部下はどうかと思う。
 私は動いていた訳ではないが、中尉はハボックに勝るとも劣らぬ働きをしているというのに。
 むう、と額に皺を寄せる私を見て何を勘違いしたのか、あわあわと中尉がコーヒーを淹れてく
れる。
 砂糖もミルクもたっぷり入っている辺りが、ここは最前線ではないのだと思い知らされた。
 前線では、微かにコーヒーの香りがする泥のような苦いばかりの飲み物ですら、貴重品だっ
たのだ。
 「集計はどんな感じだ?」
 うんうんと唸りながらペンを動かす、ブレダの前に置かれた用紙を眺める。
 何度も斜め線で訂正された数字が、幾つも並んでいる。
 「うちが、一番最初に数字が固まりそうなんですけどねー。その数字を見て、他が変えてくるん
  ですよ。ったく。んなことやったって、閣下はお見通しだってーのって、感じですわ」
 時折フュリーが呟く数字を書き込みながら、ブレダがやれやれといった目線で私を見上げた。
 「確かに。閣下は格別な目を持っていらっしゃるからな」
 己で見なかったものまでは関知しないが、見たものに関しては不正を許さない。
 奇妙に潔癖な部分が、閣下にはあるように思えた。
 「あの方いれば、実際集計だのなんだのって、いらんのでしょう?」
 「確実にできる方がいるからこそ。チェックや確認や集計をする者の力量が試されるのよ?」
 「ああ、そういう事っスか」
 「……相手が閣下では、さすがに疲れますよ」
 「ああ、お疲れ様ファルマン」
 首をこきこき言わせながら、テントの布を静かにくぐってきた准尉に目薬を投げる。
 「ありがとうございます、大佐」
 糸目の端を持ち上げて、目薬を差す様子についつい見入ってしまった。
 どうにも、この細目が気になるんだよなぁ。
 「とりあえず、参戦した150人は全員撤退したようです。東部では怪我人もなく撤退も速やか
  でした」
 「怪我人は?」
 「東部はゼロ。中央・軽傷二名。北・軽傷三名、重傷一名。南・軽傷十二名、西・軽傷五名、重
  傷三名」
 「ファルマン……重傷の理由ってわかるかぁ?」
 心底、何だってこの程度の訓練で重傷者がでなきゃならんのか、おい!というハボックの疑問。
 「ああ、それはこっちで拾ってます。北の人が戦闘区域から離脱してしまって、崖から転落に
  よる両足複雑骨折。西の人が……えーと?一人は味方の誤射が運悪く眼球にぶつかって、
  眼球破損。一人は持ち込んではいけないはずの手榴弾を持ち込んだあげくそれが暴発。
  腹に穴開いて意識不明。巻き添え食った一人も心臓近くを破片が抜けて出血多量で重体」
 「……阿呆か?」
 天井に向かって放たれたハボックの罵声は、果たして誰に向けられていたのか。
 持込禁止の武器を持ち込んだ挙句に、自分どころか味方の一人を巻き込んでの重体。
 訓練の最中でも許されない所業だった。
 「西の責任者は、クレマンス少将か?」
 「ええ、そうです。間違いなく、降格ですね」
 大人しく副官に任せておけば良かったものを。少将の身分でしゃしゃり出てくるから、こんな
目にあう。
 実戦でないのだから、たまには部下に華を持たせてやれば問題もなかっただろうに。

 「……とばっちり食っちまった人間には同情しますが、結果的に良かったんでしょうよ?クレ
  マンスの下じゃあ、やる気が殺がれるだけだ」
 西の司令部で不遇に甘んじざるえなかったブレダを東部に引き抜いたのは自分だが、当初
は私ですらも疑っていたのだ。
 どうせ、アンタも俺の考えを踏み躙ってイイとこ取りを、するんですよねぇ?と、言われた。
 階級をつけずに暗い声で話す、らしくなさも頷ける。
 「あーね?ブレさんも、あの頃は案外要領悪くって。クレの奴に、こちゃんにされてたかん
  なぁー。でもアレっしょ?腹は今の一.五倍はへこんでたっしょ?」
 「おま!……俺でも『クレちゃん』なんざぁ、言わないぞ?だいたいきっしょ悪い……腹は
  いいんだ、幸せな証さ!」
 「ははー言えてんね」
 にかっという擬音が似合いそうなくらい軽快に笑うハボックに至っては、もっと酷い。




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