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 平和


 私は夜光塗料も新しい腕時計の針を確認しながら発火布を擦り、空に向かって明るさを強
めた閃光弾を高く、上げた。
 音こそないが、月明かりよりも遥か鮮やかな光は、恐慌状態に陥っていた人間達をも正気
に返す。
 「ヒトヒトマルゴ(11時05分)作戦終了!」
 拡声器を使った声は、怒号が飛び交う中でもほどなく響き渡り。
 間抜けた兵士が、何発か気の抜けた銃声を放って後。
 四散していた部下達が、わらわらと集まってくる。
 「お疲れ様だったな、ハボック」
 首の後ろに二キロ弱のライフルをあて、よっこらせっとばかりにそのライフルに両腕を乗せ
てダルそうに歩いてくる少尉を労う。
 「全くっスよ。こんな阿呆な訓練やるだけ無駄じゃないんですかねぇ」
 少尉の後に続く部下達も、一様に物足りなさげな雰囲気で溜息をついている。

 中央司令部を含め五つの司令部の精鋭小隊三十人による、夜戦時における戦闘模擬訓練
……というのが、本日のお題目。
 夜の十二時近いというのに、大総統閣下までいらしての大規模な訓練だ。
 東方司令部は、青。
 北方司令部は、白。
 南方司令部は、赤。
 西方司令部は、黄。
 中央司令部は、金。
 と、それぞれ、ペイント弾の色が決められていた。
 実施の戦闘さながらに、戦う。
 ただし弾は、訓練という事でペイント弾使用というわけだ。

 「そういうな。今日の成績で流れてくる予算が増減されるんだから」
 「んじゃ。文句無しに東方がトップでしょう?どーかんと予算増えたら奢って下さいよ」
 「お前な……私個人でどうにかできる金じゃないんだぞ?戦果はファルマンが双眼鏡で
  チェック、フュリーが無線で確認、ブレダが集計だ」
 「あれ?ホークアイ中尉はどうしたんです?」
 当初の予定では、中尉は私の隣に控えて全体の戦闘を分析するはずだったのだが。
 「あんまりにも、情けない戦闘だったんで……褐入れに行ったよ」
 「……私が、どうかしましたか?」
 目の辺りまで被っていたフードを下ろして、中尉が駆け寄ってくる。
 手にしているのは、暗視スコープがついた長距離狙撃が可能なライフルだ。
 「お疲れ様でした、中尉。で、どうでした?」
 イシュヴァールを経験している中尉に、今日の訓練は生ぬるい微笑が思わず浮かんでしま
うだろう代物だ。
 「東方以外の人間全ての後頭部に打ち込んでおいたわよ」
 「ぶ!」
 少尉は銜えた煙草を、噴出してしまった。
 「そうそう。東方の人間も三人ほど動きの鈍い人間がいたから。その人達にも、ね」
 「……中尉だったんスか『誰だよ!こんな間抜けた誤射する奴・笑』ってなもんだったんス
  よ」
 「私が使わせて貰ったペイント弾は、他のモノより紫がかっているから、後で確認してみな
  さい」
 「はい。三人とも気合入れてしばいておきます……しっかし。相変わらず神業ですねー」
 煙草を銜え直した、少尉が嬉しそうに笑う。
 「貴方の部隊の動きも良かったわ……貴方自身は格別に」
 予備の弾丸とライフルを所定の位置に戻して後、晴れ晴れと笑った中尉を見て、少尉は
益々相好を崩す。
 「ハボック。やに下がってるぞ?」
 「そりゃ!鷹の目に褒められたら、誰だって格別に嬉しいっスよ」
 「確かにな」
                             
 神業といわれる射撃の腕前を持つ彼女は、自分の実力を何時でも過小評価している。
 その過小評価している自分の腕よりも、尚劣る存在を鷹揚に容認して見せるけれど。
 近しい人間にほど、己以上の力を求めてしまうのだ。
 信頼しているが故に。
 私が直属の部下として信頼をしている人間は、全員が種類は違えど飛び抜けた力を持って
いて、中尉も手離しで褒める事はままあった。
 中でもハボックに関しては、同じ戦闘要員であるので厳しく見がちだが、ハボックが中尉の
期待を裏切った事はないようで。
 だいたいの場合において、中尉は誇らしげにハボックを見詰めた。
 中尉が、長距離を得意とした射撃能力を披露するならば。
 ハボックは、接近戦に置いてとんでもない威力を発揮するのだ。
 特にナイフを使った戦闘では、私ですら、目を見張る。
 何時だったか、余興にね?と。
 幅広の布で完全に視界を遮断する目隠しをした状態で、自分の周りをぐるりと囲んだ十人に、
指一本触れさせずに、それぞれの背後を取って見せたのだ。
 さすがの私も、口をぱかんと開けながら拍手をしてしまった。
 隣で見ていた中尉に、屈託なく笑われながら顎の下と頭の上に手をあてられ、間抜けに開きっ
ぱなしだった口を閉じて貰うまで、ずっと。
 「それにしても、少尉は夜戦に強いわね?」
 「いんやあ。鷹の目の中尉ほどじゃないっすよ」
 ひらんひらんと掌を振ってみせるハボックにしろ、考え込むようにして首を傾げる中尉にしろ。
 全ての支部をひっくるめて、頭三人に入る夜戦のエキスパートだ。
 暗視スコープを通した視界は独特で、業者の謳い文句とおりならば人の目の何倍も先が見通
せ、細部までが伺えるはずだけれども。
 あくまでも真っ暗な視界が、ぼんやりと見えやすくなった程度、でしかないのだ。
 その中で標的の後頭部に一撃で弾をあて、更には一人一人の顔まで個別した上で、やる気
がなさそうに見える味方にまで、渇を入れてみせるその腕前を、神業以外のなんと表現すれ
ば良いのか。
 ハボックはハボックで、怖がって散らばる事ができずに十数人ほど固まっていた、南司令部
の塊に一人で踊り込んで、青の蛍光塗料が塗られたナイフを自在に操ると。
 首の右横から真後ろ、そして反対側の左横までぐるりと、青い半輪をつけて見せたのだ。
 標的の一人が何が起こったのかも気がつかず、ひやりとあてられたナイフ歯の感触と、ぬらつ
く青いペイントを指で確認する前に、次の標的にかかっていた。
 十数人の首の後ろに鮮やかなブルーが点るまでに。十分掛かったかどうか。
 『近距離だと逆に勘が鈍るんでスよぉ』とか、言って。
 背後数メートルに近付いた時には、暗視ゴーグルを取って肉眼で勝負していたのに、スコープ
をしていた時よりも動きが早いのは、どういうことなのだろうか。
 中尉にしろ、ハボックにしろ。
 目を使うよりも先に、勘が働いているんだろうと判断するしかない。
 「そーいや、戦闘終了合図の閃光弾って、大佐の上げた奴っスよね?」
 「そうだが?」
 「ゴーグルしてた部下が『目が焼けない閃光弾は初めて見ました!』って騒いでましたよ。俺は
  何時も大佐の閃光弾ばっかしだったんで、忘れてましたけど、珍しいんでしたっけ?」
 「珍しいどころか……大佐にしかできないわよ。軍部でも開発が進んではいるけれど。目を焼
  かずにあんなにも目を引く、閃光弾を上げられるのは大佐しかおられないのだから」
 




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