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 思わず真正面から覗き込んじまうくらいに。
 「大佐に手を出しては駄目よ?」
 「ぶっつ!」
 長い睫毛の先についてしまった睫毛の水滴を払おうとしたら、石鹸が後頭部に飛んできた。
 「中尉……睫毛の水滴を取ろうとしただけです!」
 「本当に?心にやましいものはない?」
 「ありまくりっス!」
 自分でもこんな時にどうかと思う完璧な敬礼で返せば、中尉は珍しくも甘い微苦笑なんても
のを口の端に乗せる。
 「ふふふ。だったら最低でも私と中佐を敵に回すと考えた方がいいわね」
 「俺、彼女は大切にする口ですよ?」
 相手が許容するならば、結構な部分に食い込める自信はある。
 家事スキルだって、田舎の三男ともなればかなりのレベルなのさ。
 何でも自分でやらされるし、育てたのは俺だ!恩返しをしろ!なんつって兄貴達にもいいよ
うにこき使われてきたから。
 「仕事よりも?」
 「ぶっちゃけ、今までの彼女達と大佐どっち取れって言われたら大佐、つまりは仕事を取りま
  したけど。仕事と大佐だったら大佐に決まってるじゃないですか……こんな甘えたな人ほっ
  てはおけんでしょうが」
 「あら?以外に本気で驚いたわ……あ!リンスではなくてこちらのトリートメントを」
 「こんなにイイ感じなのにトリートメントを使うんスか?」
 「髪の毛に艶がない方なのよ、それでも」
 「へぇ。これでも」
 手渡されたトリートメント剤を掌の上ぷちゅるると搾り出せば、中尉はマッサージを終えた足
の爪を丁寧に切り揃えている。
 「中尉?んなとこまで手入れしなくても、いいんじゃないっスか」
 どうせ靴と靴下に隠れて見えやしないんだから。
 「私もそう思っていたのだけれども……閣下から直々にご指示が届いてるのよ」
 「へ?」
 「『私が大佐と同席する時は必ず、足の爪の手入れをしておきなさい』って」
 よくわからんが、大佐が閣下に可愛がられてるってーのはわかった。
 「実際肉体関係は無いのだけれど、閣下。大佐の外見も中身も気に入っていらっしゃるらし
  くって。そのトリートメント剤も閣下のプレゼントなのよ」
 この世の中のどこにいるだろう。
 最高権力者に貢がれる男の部下。
 「大佐、閣下限定で私達に見せる無意識の笑顔を、意識して出せるのよ」
 「……なんてーかこう、凄いっスね」
 「追い落とすその瞬間まで、閣下は騙される付けるのでしょうね。もしかしたら気がついてい
  らっしゃるのかもしれないけれど。何せ面白い事がお好きな方だから」
 「似て、ますね。大佐と」
 「そんな部分はね」
 足の爪を仕上げた中尉は、手の爪にかかった。
 「トリートメントって、少し馴染ませる必要があるんスよね?」
 「ええ。熱く絞ったタオルで包んでおいてちょうだい」

 指示されるがままに、タオルの準備をして大佐の髪の毛を包む。
 有閑マダムもびっくりだ。
 「次は身体ね。足先から始めて貰える?」 
 「イエス・マム……スポンジはまさか、この林檎の形をした奴じゃないっスよね?」
 や、本当に林檎の形をしたスポンジなのだ。
 紅くて丸くて、天辺には緑色の小さな葉っぱとヘタまでついてるんだから!
 「ああ、それは大佐のお遊び用だから。もしくは中佐が大佐をからかう時に使っているもの
  よ。身体を洗うのはこっちのスポンジで。今日はボディーソープを使って頂戴」
 「……シャンプーとお揃いなんスね」
 「そうよ。このメーカーは高価だけど品質がいいの」
 しょこしょこっと、間抜けな音をたててポンプを押せばとろりとした桃色の液体。
 ……何で卑猥な感じがするんだろう?
 「……しっかし、大佐。よく寝てますね」
 ふすーふすーとか、寝息まで立ててるんだ。
 薄く、口を開けて。
 「安心しきっているとこんな感じよ?今日は正直初めて貴方をここまで踏み込ませたから、
  心配していたのだけども。大丈夫だったみたいで胸を撫ぜ下ろしてるわ」
 ふうと、しなやかな掌が胸を抑える。
 見事に俺好みの巨乳ちゃん。
 や!殺されるから、口にはしないけど。
 性格も見た目もかなり好みなんですよね、本当は。
 ただ、あんまりにも大佐にラブラブまっしぐらなのと、尊敬できる上官ってー方が先立って、
恋人にーとか、結婚してーなんてのは、妄想の域をでないけどさぁ。
 「……少尉?」
 「いやー。中尉より大佐の方が可愛く見えるって、おかしいんかなーと」
 どちらが綺麗ですか?って聞かれたら、迷わず中尉!と叫べる自信はあるのだが。
 どちらが可愛いですか?と聞かれたら、これまた迷わず大佐です!はあは!なんて言いそ
うで。
 「あら。それは正常よ。とっても。だってこの人可愛いもの……」
 大佐が中尉の恋人同士だったって、こんな甘い顔しないだろうな。
 そう、あれだ。
 中佐がエリシアちゃんを見てる時に、似てる。
 「こんな可愛いのに、無茶して。頑張って。大総統になるとか、おっしゃるのよ。私が支えない
  と!って思わない」
 「あーねー。思いますねー」
 心が弱い、のではなくて。
 やわらかい人なのは、部下として使えているうちに、自然とわかってきた事だ。
 その癖、本人が己の心のもろさに気がつきもせず、我武者羅に突き進もうとする。
 見る者が見れば、はらはらして仕方ないだろう。
 「大佐―。背中を向けてください?少尉が磨いてくれますからねー」
 「んう?」
 子供がむずかるように、小さく首を振って目をこしこしと擦るその仕種。
 わー可愛いとか思う俺が、変態さんなのか。
 そう思わせる大佐が、困ったさんなのか。
 どっちもなんだよね?と誰かに問いたい。
 傷一つ無い背中をスポンジで擦りたてながら、ふと、気がついて中尉に尋ねる。
 「中尉―。大佐って傷、ないっスね?」
 誰もが知る歴戦の猛者だ。
 幾ら出来た人だからって、まさか銃弾が雨霰と降り注ぐ戦場で全くの無傷という訳ではない
だろうに。

 「それは、ドクター・マルコーとノックス先生のおかげね」
 懐かしい人を思い浮かべる穏やかな目で、かの人たちを思い出す中尉の表情はとても、
優しい。 
 大佐以外の上官に、この人がそんなまなざしをするのはかなり珍しいのだ。
 それだけ、大佐に優しい、人なのだろうと推察する。




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