その後の三菱石炭鉱業[高島]

 

 その後の高島については、いつか確認しておきたいと思っていた。あのチャーハンの具が何だったのか。そして、KATOが1台保存されていると聞いている。動かないもの何台撮っても仕方ないのだが、炭坑住宅(炭住)も残っているものならば記録しておきたい。そんな想いが交錯していた。何とか仕事を兼ねていってやろうと営業していたが、なかなか仕事がとれず、やっと今年になって実現した。初めはいまだ現役の池島へまず行きたかったのだが、どうにもスケジュールがうまく組めず、現地にせいぜい2時間くらいしかいれないことから、次回を夢見て、今回は高島行きに決めた。

 ハイパーサルーンの「かもめ」のグリーンに腰掛けて2時間。久方ぶりの長崎は観光客で賑わっていた。早々に仕事を片づけると、高島行きの船の出る「大波止」へ市電で向かう。いまだに料金100円で感動した。船はかなり豪華なものに変わっていたが、相変わらずテレビの写りはよくなかった。実は先ほど大波止の船乗り場で意外なものを見つけてあることを考えていた。それというのが、軍艦島への遊覧船の案内で、毎朝出ているらしい、窓口にて問い合わせたが人数が集まって、天候がよければ随時出向してくれるらしい。あいにく今日は波が高く午後の出向は無理だという。この軍艦島というのが今の自分にとても気になっている存在で、一度見てみたいと考えていた。残念ながらその遊覧は島の外周を一回りして帰るものらしい。上陸できないのであれば、自分の希望の半分も満たない。どうにか上陸できないものか。そう考えながら、船は伊王島経由で高島へ着いた。「ずいぶん変わっているな・・・。」船の上からでも想像はつく、炭坑施設はほとんど解体されているらしいことが見て取れた。

 お目当てのKATOは石炭資料館にあるという、港の案内看板を見たら港のすぐ近くだった。

 

 

 石炭資料館の前の敷地にKATOは居た。一番小ぶりでかわいかったやつだ。みんな錆止めとして銀色一色に塗られていた。ご覧のほか電気機関車やトロッコ・人車もある。KATOをちゃんと撮ろうとエンジンルームの扉などきちんと閉めようとしたが、びくともしなかった。何とも寂しい姿で、昔を知る身としては忍びないと思うが、これで踏ん切りがついた。

 

 軌道のあったところへ今度は向かう、木造平屋の炭住のあった場所はきれいに取り払われ、ビニールハウスになっていた。そしてチャーハンを食べた建物は、場所を特定できないくらい変わったようで、あやふやな記憶と一致する場所はついに見つからなかった。残って居るなどとは思わなかったが、心の底では確認できればと、淡い期待をしていたので残念であった。そして軌道跡は、施設もろともすっかり取り壊され荒野と化し、新しいプロジェクトのための作業の真っ最中であった。

 

 

 かろうじて残っている軌道を見つけた。記憶があやふやなため、どの辺のものか特定できないが、前ページの北陸重機を撮ったあたりではないだろかと思う。もうこれで十分だった。これで気持ちの整理もつく。そう思って港への道を戻り始めた。廃線探索のこの満たされない空虚な想いはあんまりおすすめできるものではない。ところが今回はそんな自分に思いもかけないチャンスが訪れた。「軍艦島上陸。」心ははやる。そのお話はまた、次の機会に・・・。

 

 

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いざ軍艦島へ