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サリーのひとり言2




思ったこと、感じたことを適当に並べています。
反論のある方もおられると思いますが、「ひとり言」ですから・・・ (#^.^#)

体操教室でのパニック                                 2002.12.11(水)

 今日、体操教室に行く前は、普段の様子の悠くんでした。
体操教室の途中からどんどんと機嫌が悪くなって、ついには最近なくなってきた引っ掻き攻撃が出ました。
その引っかき攻撃を落ちつかせようとする方法を間違えたかも・・・と思いながら、「静かに座る」「引っかいてはダメ」
ということを身振りで伝えたり、小さい頃、気分を切り替えられた、お尻パンパンもやってみましたが、全然効果があ
りません。
もう一度、体操教室のスケジュールを確認するところからゆっくりとした方が気持が変わったかも・・・
「引っかき攻撃をせずにタオルをカミカミします」というお約束シートを、解っているはずと思わずに、もう一度、ちゃんと
示したら良かったかも・・・
いったん教室の外に出てから落ち着かせたほうが良かったかも・・・

状態が悪くなった悠くんへの対応が失敗だったという事に気がつき、ではどうしたら良かったかをもう一度考えようと思
いました。
まず、悠くんの行動とそれに対してのサリーの対応を一つずつ書き出して検証してみようと書き出しをはじめると・・・
パニックになっていく前の、悠くんからのサインをすべて読み取り間違いというか、間違えた対応をしていたことによって
悠くんがイライラし始めたということが解ってきました。

サリーの対応が違っていれば、悠くんは今日の体操教室を楽しく参加できたはずです。
そして、パニックを起こしたために骨折するということもなかったはずです。
機嫌が悪かった原因は・・・すべて私にあったということです。

                                               体操教室でのパニックを考える

亀の歩みだけど・・・(^^ゞ                              2002.11.22(金)

10歳半(小5)を過ぎてから、今まで到達できなかったところにたどり着きました。
褒められるということが何となく嬉しいと思い始めたようです。
今までは、褒められても無反応でした。「だから何?」って感じでした。
それが、がんばったら頭をなでてほしいと要求してくるようになりました。
それから、しばらくして、成功させようという気持ちが少し出てきました。
ボールをバスケットゴールに入れるという課題で、入るまで何度も何度もチャレンジしたらしいです。
1回入ったらもういいというような感じだったようですが、今までなら、ボールを投げてそれが入ろうと入るまいと、「言わ
れたとおりにやったでしょ」という感じでした。
ボーリングゲームもそうです。ポールを投げるだけでその後ピンが倒れようと倒れまいと我関せずでしたが、倒れなか
ったら手で倒しに行ったようです。
褒められるということが嬉しいと思えるようになって、完成させようとする意識が出て来たのではないかと思います。
といっても、まだまだ弱いですので、これからその気持ちを育てていかないといけませんけど・・・(^^ゞ


悠くんが「いないいないばー遊び」が出来るようになったのは・・・確か・・・6歳ごろ。
模倣が何とか出来るようになったのが・・・7歳ごろ。
指差しの意味を理解できたのは・・・小2(7〜8歳)ぐらいかな・・・。
褒められることを嬉しいと思えるようになったのは、10歳半。
完成させようとする意識が出てきたのは11歳。
ものすごくゆっくりですね・・・
それでも悠くん、着実に成長しています(#^.^#)

経験を積み重ねるということ                            2002.11.4(月)

誰でも経験して覚えていきますよね。
悠くんもそうですが、悠くんの場合は回数をかなり重ねないといけないです。
でも、この経験、難しすぎることを何度経験させても決して覚えません。
文字のスケジュールをずっと見せていたら、いつか文字のスケジュールがわかるようになれば嬉しいですが・・・
そんなことはありません(^^ゞ
わかる経験、今は何を何のためにしているのかということを理解して、その経験を重ねて初めて身につきます。
例えば、何度も何度信号を渡らせていたら覚えるか・・・そんなことはありません。

例えば、悠くんに理解できるように伝えずに信号を渡らせたとします。
その時、悠くんががわかったのは、「なんだか道の端で制止されたのでそのまましばらく立ち止まった後、今度は手を
引っ張られたので引かれるままに歩き出した。」ということだけです。
なぜ、そこで制止されたのか、なぜしばらく立ち止まったままだったのか・・・全くわからないわけです。
周囲の状態を十分に理解できて、自分のした行動と関連付けるだけの能力があれば、推理出来るかもしれません。
「・・・まてよ・・・いつも制止されるあの場所の前は、車が沢山通っている。もしかして、あの車を避けるために止まって
いたのかも・・・。じゃあ動き出したのはなぜか?  そういえば、あの時大人たちが信号がどうのこうのと言っていた。
あの赤と青の色と関係があるのかも・・・」
こんなふうに推理するのかどうかわかりませんが、周囲の状態と自分の行動とを関連付けることが出来れば、もしかし
たら何度も何度も経験することで理解できることが増えるかもしれませんが、悠くんには無理です。
そこで止まるのはなぜか、何を確認しないといけないのか、いつ歩き出すことが出来るのか・・・というようなことを悠くん
に解るように伝えないと、最初に書いたように、ただ、止められた、待たされた、歩くように指示された、という経験だけ
を積むことになります。
さて、この経験を積み重ねたとして、そこから悠くんは何を学ぶでしょうか・・・やっぱり指示されるまで待つないといけ
ないということだけです。
自分ではいつ歩き出していいのかを判断出来ませんし、勝手に歩き出すと制止されるのですから・・・(^^ゞ


知的障害の壁                                          2002.11.3(日)

悠くん、自閉症です。でも知的障害が重いです。
悠くんにアプローチしようとする時に、自閉症ではなく、知的障害が重いということの難しさにぶつかります。まず、知的
障害が重いというが壁が立っていて、その壁を越えると次に自閉症の壁が立っているというような感じです。

人に対するこだわりがない・・・これはいい事なのでしょうか?
悠くん、他人の物と自分の物が存在することに気が付いていません。
自分の周囲の物に領域やエリアがあるということがわかりません。
青いお皿は悠くんのもの、赤いお皿は菜ちゃんのもの、と教えました。
悠くんには、青いお皿のものは自分で自由に食べられるもの、赤いお皿のものは、自分で自由に出来ないもので菜ち
ゃんに許可をもらわないといけないものと入りました。
自分の側から見て、自分で自由に出来るか、それとも許可が要るのかというだけです。その許可を与える人は自分以
外なら誰でもいいのです。
他人にも領域があって、その領域のものはその領域の主(?)に許可をもらわなければいけません。
でも、悠くんには、自分か、そうでないかだけですので、自分以外の誰にでも許可を求めます。
人の下に物がある、所属とか所有ということがわかりません。
だって悠くんには、自分の領域しかないのですから・・・

悠くんの周囲に領域があって、その外はありません。悠くんの領域の周りに、物や人がくっついているという感じでしょ
うか・・・ものと人は同列です。悠くんにとっての役割が違うだけです。
人は、悠くんに許可をくれる道具です。
それぞれの人には、悠くんなりの役割分担が付いています。
必要な時に適切に使い分けます。
新しく出現した人はも真っ白です。まだどんな役割を持っているのかを悠くんは知りません。
ですから、いろいろと試みてきます。

例えば、我が家にAさんが遊びに来てくれたとします。
悠くんは、いつもサリーに求める許可を、新たに出現したAさんに求めます。
「土曜日にマクドナルドに行きたい」
もしここで、AさんがOKをしたとします。
そうすると、悠くんは「土曜日にパパと車でマクドナルドに行ける」わけです(^^ゞ
サリーに許可を求めても拒否されるだろう事は、真っ白の人に許可を求めます。
悠くんにとって、人は、悠くんの世界の回りにいて、許可をくれる道具でしかないのでしょう・・・


悠くん、1対1対応が強いです。
でも、悠くんには人に対するこだわりは全くありません。
初めての人でも、誰でも使います。
もし、この悠くんの世界が他人の領域にまで広がれば、人に対する強いこだわりが出るはずです。


・・・そうしたら、中機能の自閉症になるということですよね?(?_?)?
あはははは・・・・(^^ゞ
自閉症は治りませんね、そして知的障害も決して軽くなっていくことはありませんよね(#^.^#)
動詞を教える                                          2002.11.3(日)

悠くんに動詞を教えようと思ったのですが・・・「行く」「来る」というように今まで使っているカードにくっついている動詞、例えば『マクドナルド』カードには「マクドナルドに行く」、『スイミング』には「スイミングに行く」、『お祖母ちゃん』『家』は
「おばあちゃんが、家に来る」がというように、動詞も込みに鳴っていました。その、今一枚のカードに引っ付いて理解し
ている動作は、分けることが出来ます。文章の形で伝えることで、『マクドナルド』『行く』、『家』『来る』というように、分ける事が出来ます。
とりあえず「行く」「行かない」のカードは理解しました。
でも・・・形のない動作に名前が付いているということが元々わからない悠くんに、それが動作を表しているということが
理解できるでしょうか・・・。

今カードにくっついているものを教えることが出来るとして、新たに動詞だけ教えるということは出来ません。
これで、動詞がわかったと言えるのかどうか・・・

「視覚的に伝えること」の誤解                          2002.8.18(日)

先日ある講演会で、視覚的に伝えることの効果をある例を挙げて話されている方がいました。
それ例が、車から降りない自閉症の子供に「車から降りる」と書いて伝えたら降りることが出来たという話をでした。
確かに、自閉症の子供は視覚情報に左右されます。特に中機能辺りの絵や文字の視覚情報にとらわれるタイプの自
閉症児だと「車から降りなさい」と見せることで降りてくるでしょう。
でも、これはこちらの都合どおり動かすために視覚的支援を使っているだけです。
本人がなぜ降りないかということが考えられていません。ただ、「降りなさい」と強制的に命令しているだけです。

健常の幼児さんの場合はどうでしょうか・・・
車から降りないとぐずる子供を無理やり引き摺り下ろすということをするでしょうか・・・
車から降りない子供にどう対応するでしょうか。
「車から降りたら、こんなことやあんなことが待っているんだよ。だから車から降りようね」と次にどんな楽しいことが待っているのかを伝えて、本人が自分から下りる気になるのを待つちます。

本人にわかるように視覚的に伝えなくてはいけない情報は、「車から降りなさい」ではなく、車から降りた先の見通しで
す。その見通しが持てなくて、車から降りたら何が待っているのかわからない不安から降りられないのです。
その不安を取り除いてあげずに、「車から降りなさい」と指示に従えたとしたら、本人の気持ちはいったいどうなのでしょうか・・・

たとえ自閉症であっても子供の思いは健常児と同じです。
健常児が必要としている情報を本人にわかるように示して、本人が納得して行動できるようにしてあげないといけませ
ん。
そのためには、「コミュニケーション」、やり取りの力は必要です。
本人から、納得したなりまだ納得しないなりの意思表示を出してもらわない限り、こちらの都合で動かしているというこ
とになってしまいます。
たとえ本人がスケジュールを示してその通りに動けたとしても、本人からの納得しましたという意思表示がなかったら、こちらの都合どおりにだけ動かしているということになります。
本人の中にはストレスが溜まっていくだけで、そのストレスはどこかで問題行動として出てきます。


視覚的支援は魔法のよう・・・視覚的に示すことでスムーズに自閉症の子供が動いてくれる・・・
こんな間違った使い方が広がらないことを願います。
躾について                                             2002.8.15(木)

躾については健常児でも障害児でも同じだと思っています。
幼児期には、やり取りの力を育てながら、やそのり取りを通して社会のルールを少しずつ教えて、自分をコントロール
する力を育てて生きます。
ところが、悠くんのように言葉でやり取りが出来ない子供に、いくらこちらが言葉でやり取りをしたつもりになっていても
やり取りをしたことにはなりません。本人が理解できない手段情報を与えたつもりになっていても、全く意味をなしませ
ん。本人にわかるように、本人に出来る手段でやり取りすることで、やり取りをする力が育ってくるものだと思います。やり取りが出来るようになって初めて社会のルールを教えることが出来ます。
ですから、やり取りが出来るようになって初めて、躾が出来るようになるのではないかと思います。

悠くんのの場合、まずやり取りが出来ませんでしたから、いくら躾けようと思っても出来せんでした。
サリーは一緒懸命伝えているつもり・・・自己満足の状態で、悠くんはちっとも成長しないように見えました。
当たり前です・・・サリーが、悠くんにわかるようにやり取りしていないからです。
悠くんにわかるように伝えて、悠くんが自分の思いを出してくれて、初めてやり取りが成立します。
やり取りが出来るまでに、かなりの時間がかかりました。
悠くんとやり取りが出来るようになったのは、最近です。
それから、社会のルールを悠くんに伝え始めました。

コミュニケーションが取れるようになれば、自閉症だからとか、障害児だからとかいうことは関係なく、守らなければいけないルールは守るということを伝えています。

悠くん、食べ物の好き嫌いが今でもすごいです。
でも、給食は食べなければいけないので、だいたい食べます。
その代わり、おやつや外食は本人の好きなものを食べてもいいということを伝えていますので、かなり狭いです。
おやつは、ポテトチップスやチップスターといったものしか食べませんが、それにも時期があり、時期が違うと食べませ
ん。今はじゃがりこです。チップスターもポテトチップスも食べません。
外食は、目玉焼きの乗ったハンバーグしか食べませんので、行く店は限られてしまいます。
それでも、給食はルールどおりがんばって食べる悠くんに、本人が楽しめるはずのおやつや外食に制限をしようとは思
いません。

交通機関は、大人しくしていないと乗れません。
これは、譲らずに伝えました。
ぐずったら、引き摺り下ろして、次のスケジュールを見せて、「静かにしないとここにはいけません。家に帰りますか」
と本人に問いかけました。行きたい悠くんは、大人しく乗る方を選びます。混んでいるバスや電車に乗りたくなければ
行きたい場所を本人があきらめればいいことです。
でも、悠くんは、自分から「我慢してでも行く」方を選びます。

遊園地も同じです。
悠くん、ジェットコースターは大好きです。
でもジェットコースターに乗るためには、列に並んで待たなくてはいけません。
並ぶのが嫌でジェットコースターをあきらめるのか、我慢して大人しく並んでジェットコースターに乗るのかは悠くんの
自由です。
たいてい、並んで待つ方を選びます。
ただし、あまり待ちくたびれると、途中で「やっぱり止める」ということもあります。(^^ゞ

こういったやり取りの中から、社会のルールを伝えて、見通しを持って我慢する力、代替案で妥協する力が少し育って
きたのではないかと思います。
それでも、まだまだ十分とはいえません。
これからもっと自分をコントロールする力を身につけていって欲しいと思っています。
文章で伝える                                         2002.8.13(水)

サリーから伝える時、悠くんから要求が出たとき、それを文章にして伝えていくということをはじめようかと思います。
2語文程度では、悠くんからの要求の意味がよくわかりませんので、文章の構造を教えていこうと思います。

現在の悠くんは、見えない概念を理解できません。
動作や動詞を知りません。
自分の要求を1枚のカードで伝えれば伝わるものと思っています。
この悠くんに、動作や動詞、概念をカードにして伝えていかないといけません。

「ここまで知的に低ければ、概念の理解は無理です」と、この間、ドクターに言われました。(^^ゞ
概念は理解できなくても、動作や動詞は理解して欲しいなぁ・・・

今までに、「いりません」という拒否をカードにしようとして失敗しました。
サリーは悠くんの動作をカードに置き換えようとしているのに、悠くんは、目に見えるものにそのカードの意味を
つけようとします。

悠くんが気づいていない動作や動詞の存在にカードを示しても、本人は何の意味だかわかりません。
「おやつはいりません」の「いりません」のカードを、おやつを食べるときにはまずそのカードを示すというように
捉えてしまって、少し混乱してしまいました。

でも、見えないものでも悠くんがその存在に気付けばカードに置き換えられるはずです。
例えば「明日」のように。

まとまりのない文章ですみません(^^ゞ
今、文章の構造を悠くんにわかるように示す方法を考えています・・・

このページを見てくださっている方で、こんな方法はどうかというアイデアをお持ちの方がおられましたら、
アドバイスをいただたら嬉しいです。

スケジュール                                          2002.7.21(日)

悠くんコミュニケーションタイプです。何もしなくていい時間があっても問題行動の原因にはなりません。
スケジュールがなくても大丈夫でした。自由時間には自分のしたいようにしていました。ですから、そこに「スケジュー
ル」を入れるのに苦労しました。嫌な活動はすべて拒否してきました。
買い物に一緒についてきてもらおうと思ったら、「買い物」の後に動機付けになる活動を入れないと買い物すらいけま
せんでした。その動機付けになる活動も、悠くんの興味が狭いために「プール」か「マクドナルド」でした。
遊びを広げる取り組みのためにスイミングに入れたのも、そうしなければ「遊び」をスケジュールには入れられないから
です。
1年生から「スケジュール」を提示し始めて、3年生では動機付けがないと嫌な活動はすべて拒否します。
そのためにスイミングにいれて、「遊び」の取り組みをしました。

その悠くん、今5年生です。
たいていのことは、動機付けがなくてもやり取りで納得してくれるようになりました。
本当に嫌なことは、「週末のマクドナルド」を条件に受け入れてくれるようになりました。
スケジュールを示し始めて5年目、やっと落ち着いた・・・そんな感じがします。
何か一つのことが成果を上げるのには本当に長い時間を必要とするのだなぁ・・・としみじみ思います(^^ゞ
そのカードの意味・・・                                   2002.7.20(土)

悠くん、1枚のカードにいろいろな意味を込めて使います。
『ビニール』のカードを示して「ビニールちょうだい」「まだビニール使ってていい?」「今ビニールで遊んでいい?」という
ような感じです。
最近は『マクドナルド』を示して来ることが多くなりました。
マクドナルドに行きたいということなのですが、今すぐということではなく、いつ行けるのかを聞いてきます。
マクドナルドず今日または明日のスケジュールに入っているときに、悠くんが『マクドナルド』を示したときには、「マクド
ナルドにちゃんと行くよね」という確認になります。
悠くんからはその1枚のカードを示してくるだけですので、何を悠くんが伝えようとしているのかを理解するのは他人で
は難しいです。
いつ、どのような場面で、そのカードを示したのかという状況を判断して返答することになりますが、推測が外れると怒
りますし・・・(^^ゞ

1枚のカードではなく、2枚3枚を組み合わせて文章で伝えてもらわないといけないようです。
2語文、3語文にする必要が出てきました。
そのためには、動作や動詞といった見えないことをカードにして悠くんに理解してもらわないといけません。

以前に動作をカードにしようとして何度か失敗しました。
「いりません」をカードで伝えてもらおうと場面設定をしてみたのですが、悠くんは目に見えるものに結び付けようとして
混乱してしまいました。
見えない動作に呼び名がついているということは、悠くんには解らないのでしょうね。
でも、その大きな壁を乗り越えないと2語文には出来ません。

今、新たな取り組みをしていく時期が来ているのだろうと思います。
文章の構造を悠くんに伝えていくということを始めようと思いますが、どんな風に何からどんな風にやっていけばいいの
か・・・
頭を少し整理してみることにします。

なんだか・・・思春期を前に大きな壁がサリーの前に立ちはだかっているような・・・(--;)
時代の流れ?                                         2002.7.11(木)

悠くんが就学を悩んでいた頃、養護学校の小学部を見学しました。
その頃は、視覚的なものに対して全く否定的な印象を受けました。
最近カードが流行っているけれども・・・というようなニュアンスでした。

それから数年、今悠くんは5年生です。
今は視覚的なものを取り入れようとしている先生が何人かおられ、たった5年でずいぶんと変わったなぁ・・・と感じ
ます。
時代の流れでしょうか・・・
「視覚的に支援する」ということに対して、積極的な先生がおられるということは嬉しいことです。
あと5年経ったら、どう変わっているのでしょう・・・ちょっと楽しみです。(#^.^#)
その頃には、悠くんは小学部にはいませんけど・・・(^^ゞ
ちょっと先生の対応への愚痴です・・・(^^ゞ            2002.6.7(金)

悠くんの問題行動、引っかいたり噛み付いたりすることには、原因があります。
たいていは、サリーが、悠くんに伝えなくてはいけないことを伝え忘れていたり、伝え方を間違えたために悠くんが
誤解していたり、悠くんの思いを読み取り間違えたりといったことです。悠くん側から見れば、見通しが持てない、
思っていたことと違う、約束と違う、解ってくれない・・・ということになります。
家庭ではサリーが対応していますから、悠くんの問題行動の原因はすべてサリーにあります。
悠くんが機嫌が悪くて問題行動を起こした時には、サリーの対応のどこが悪かくて悠くんのご機嫌が崩れたのか
を考えます。それから、では悠くんが機嫌が悪くならないように(問題行動を起こさないように)するにはどうしたらいい
のかを考えます。

学校で、悠くんが起こす問題行動については、先生に原因があると思っています。
「今日は、○○の時、少し機嫌が悪くて、△△を引っかきました。」と連絡帳にはまるで他人事のように書いてあり
ます。「悠くんが機嫌が悪かったから」ではなく、機嫌が悪くなった原因が必ず先生側にあります。
悠くんにとって大切な情報だということに気が付かずに伝えなかったのかもしれません。伝え方が悪くて悠くんが勘
違いをしたのかもしれません。

悠くんには、自分のしたいこと嫌なことはしっかり主張する出来るということを目標にいろいろな取り組みをしてきてい
ます。理不尽なことについては我慢しません。
それに障害児でも「思い」は健常児と同じです。
健常児なら自己主張するでしょう・・・「なぜね待つのか、何を待つのか、いつまで?」「今から何をするのか、なぜしな
ければいけないのか」。彼らには必要な情報です。必要な情報を自分で求めてきます。
悠くんはしませんが、悠くんにも同じように伝える必要のある大事な情報です。

悠くん、見通しを持って我慢する力が少しずつついてきています。それと同時に見通しが持てなくても我慢することも出
来るようになってきています。
そのせいで、原因が解りにくくなってきています。

即座に悠くんが反応すれば、何が原因かすぐわかるのですが、こういった見通しのない時間や、自分が思いと違うこ
とをさせられている時間を、我慢して従える力が少しずつついてきています。ですから、悠くんが問題行動を起こした時
には、悠くんは我慢に我慢を重ねて、限界を越えた時です。
なぜそこまで、誤解させたり、見通しもなく我慢させたりするのでしょうか・・・

「原因を子供自身のせいにしないでください。」
それがなぜ先生には伝わらないのでしょうか・・・
脱構造化?                                        2002.5.18(土)

 悠くんにいろいろな事を伝えるためにカードを作りました。いつでも変更が伝えられるように、携帯スケジュールを常
にもって歩いていました。
悠くんと出かける時にはいつも、7つ道具専用カバンを持ち歩いていました。
中身は・・・親用のカード帳、携帯用スケジュール、時計、タイマー、信号のジグ。

でも、いつの間にかその7つ道具を持ち歩かなくてもいいようになりました。(^^ゞ
事前にスケジュールを伝え、変更があるときは、悠くんのブックでちょっと伝えるだけで済むようになりました。

以前は悠くん、時間の流れの構造を理解していませんでした。例えば、一つ活動を割り込ませたい場合、割り込ませ
ることで、次の活動はどうなるのかということ、一つ割り込ませるという意味が解らない悠くんに、割り込ませたスケジ
ュールの全体を見せて伝えないと割り込ませることの意味が解りませんでした。予告したスケジュールを一つ無くする
場合も同じで、それが無くなる事によって全体がどうなるのかということを全部見せないと理解できませんでした。
今は、割り込ませるものだけ、なくするものだけを伝えると理解してくれます。

だからコミュニケーションブックの上だけのやり取りで伝わります。
これも脱構造化というのでしょうか・・・・(^^ゞ
自閉症に見えない・・・(--;)                       2002.5.3(金)

 悠くん、最近「自閉症には見えない」とよく言われます。
しっかりと合わせて、にっこり笑って伝えてくれますし、ちょっとして事でも、目を合わせて聞いてきます。
にこにこと愛想の良い、おとなしい男の子に見えます。声さえ出さなければ、恥ずかしがりやで寡黙な男の子っていう
風な感じでしょうか・・・
先日、祖母が、「養護学校の子供たちが並んで歩いているのをみたら、悠くんがいた。普通にさっさと歩いているし、
変なしぐさや歩き方をしているわけでもないし、普通の子に見えるなぁ・・・」と言っていました。
某療育所では、「悠くん、以前は自閉症だったかもしれないけど・・・」なんて言われました・・・(--;)オイ

自閉症の症状が消えて、ずいぶんと柔らかくなったなぁ・・・と思います。
でも、自閉症の表面に現れる症状が消えただけで、自閉症が良くなったわけでも、軽くなったわけでもありません。

ちゃんと人とのコミュニケーションが取れるようになり、こだわりが少なくなり(もともと少なかったけれど・・・)、変化す
ることに柔軟に対応できるようになったということだと思います。


・・・で、自閉症に見えなくなって、笑顔を振りまくようになった悠くんです(#^.^#)
ところが、この笑顔が曲者(--;)
この笑顔のおかげで、ほとんどの人に誤解されます。


わからなくて混乱して来ると、笑顔で人と顔を合わせて、うんうんとうなずきながら同意を求め始めます。
「僕、正しいよね」「うん、それでいいよ」という会話を何度も何度も求めてきているのですが、なかなか解ってもらえま
せん。言葉がついていれば、その場にそぐわない同じ質問を何度も何度も繰り返しているのか解るのでしょうが、言葉
は付いていません。
相手は、悠くんに何かを伝えたら、悠くんがニコニコと笑顔でうんうんとうなずいてくれたということで、悠くんが嬉しそう
に納得してくれたと思います。
で、解らないまま何かさせられるという場面が増えてしまいます。
悠くんはそれをしたいと言った訳ではないのに、させられて、しばらくは我慢してしていますが、積み重なると、爆発し
ますが、「えっ、悠くんがそれをしたいと言ったから、させたんですけど・・・・」と返ってきます。

自閉症でないなら、この笑顔、そのままの意味に受け取ってもいいかもしれませんが、悠くん、自閉症です。
表出していることと、本当の意図とが違います。
悠くんに出来る手段でコミュニケーションをしてもらわないと・・・悠くんにはとっても難しいです
カードを見せて、これをしますかと聞いてくれたら、しっかり返答してくれるのですが・・・


解らなかったら笑顔を振りまくな!!と思ってしまいます。

インリアルアプローチ                               2002.4.28(日)

 昨日今日とインリアルアプローチの初級ワークショップに参加してきました。
学生時代に戻ったような・・・でも、とっても疲れました・・・(^^ゞ

子供に接するときの基本的なことを学びたいな・・・と思っていきました。
でも・・・1回ぐらい参加した程度で理解できるものではないようです・・・当たり前(^^ゞ
まだ、ちっとも理解できていません。

TEACCHプログラムとどのように折り合いをつければいいのか・・・
言葉による声かけをどこまでするか・・・
悠くんのカードコミュニケーションとの関係をどうするか・・・

まだまだ答えが見つけられません。
3年位がんばって勉強すれば、その答えが出せるのでしょうか・・・
それもまだわかりません(^^ゞ
要するに・・・よくわかっていないということです(--;)


今回のワークショップでは、忙しい中、参加した保護者のそれぞれのビデオを評価していただきました。
悠くんは粘土遊びの場面を評価していただきました。

今まで試みてこなかった方面からのアプローチ・・・
悠くんの成長についていけてない評価と支援・・・
課題はいろいろありそうです(^^ゞ

さて、それをこれからどうしていくか・・・また新たな挑戦(ちょっと、大袈裟・・・)ですね。(^^ゞ

選択するということ                                 2002.4.26(金)

最初、おやつタイムにお菓子を選ばせていた頃は、自分の意思を人に伝える練習、好きなおやつをサリーに伝えると
いうことを教えているつもりでした。確かに、そのおかげで、自分の要求を伝えるという力が伸びてきました。
ちゃんと伝える(注意喚起)もしっかり出来るようになりました。
でも、自分で諦める力がこんなについてくるとは、思いませんでした。

いろいろな場面で、悠くんには選択をさせてきました。
食べたいもの、行きたいところ、やりたいこと・・・
その中で、「これを食べるのなら、こっちはないよ」「ここに行くなら、こっちには行けないよ」
2者択一・・・そういったことを積み重ねてきました。

外出の時、込んでいるバスに乗り、座りたいとぐずる悠くんと格闘(^^ゞ
「目的地に行きたいなら、静かに立ちなさい。混んでいるのが嫌なら、降りて家に帰りますか?」
何度も電車やバスから引き摺り下ろしました。(^^ゞ
こういった経験の積み重ねで、自分で我慢する力が付いてきたのだろうと思います。
もちろん、こういったいろいろな交渉をする時に、コミュニケーションを取る能力は絶対に必要です。
我慢する力だけでなく、やり取りの力ももちろん伸びてきました。


去年のゴールデンウィークにイベントをしている遊園地に行きました。
菜ちゃんが「ドレミちゃんショー」を見たいと言うので、行きましたが、混んでいて悲惨でした(--;)

悠くんは、ジェットコースターに乗りたいとのことでした。
ところが、長蛇の列・・・(--;)
それだけの順番を待っても乗りたいのか、待つのが嫌なら諦めるか、それは悠くんの自由です。
悠くんは、ジェットコースターに乗ることを選び、文句も言わずに、少しずつ少しずつしか進まない列の中で、1時間程、
パニックにもならずにおとなしく待ちました。(#^.^#)

悠くん、自分をコントロールする力が少しずつ付いてきているのを感じます。(#^.^#)
ボランティアという言葉                                  2002.3.8(金)

サリーの学生時代の話です(^^ゞ
自分たちで運動会をしているグループがありました。
どんな競技をするか、どういう組み立てて行うか、どうしたらみんなに楽しんでもらえるか、いろいろ話し合ってあちこち
の団体やグループに声をかけてそれなりに人が集まって楽しくやっていました。
サリーも途中から参加させていただきました。運営・・・って程ではないですが、お手伝いをさせていただきました。
いろいろな人と知り合いになれましたし、とっても楽しかったです。

サリーは、参加させてもらっていろいろ学びましたし、楽しかったんです。
自分が楽しんで活動していた・・・なのに、サリーは、周囲の人たちから「えらいね、ボランティアしているの」と言われ
ました。
なぜでしょう・・・視覚障害を持った方々と一緒に楽しむ運動会だからです。

全員が健常者であったら、スポーツに入るのでしょうか?
とにかく、自分が楽しんでいるのに「ボランティアをしている」とは言わないでしょう・・・
なぜ障害者が入ると、健常者はボランティアと呼ばれるのでしょうか・・・無意識に差別しているからなのではないかと
思います。


ボランティア・・・奉仕活動と言うのでしょうか?
いまだにサリーは「ボランティア」という言葉が嫌いです。
ですから、いまだに「ボランティアをしています」と自分からいう人が嫌いです。
お互いに助け合って協力し合って楽しんで・・・その友人が、もし、途中で怪我をしたとしたら、当然その場その場で必
要な援助はします。誰でもすると思います。なのに、その友人が障害を持っていたら、なぜ「奉仕」になるのか・・・
人との関係の中で学ぶことは多いです。自分と違った環境に生活し、違った価値観をもっ人たちと知り合うことで本当
に多くのことを学びます。それに「ボランティア」という呼び方をされることが大嫌いでした。

今は、交通費程度は当然のことになっているようですね。
有償ボランティアというのもあるようですが・・・(^^ゞ
有償って・・・ボランティアに入るのでしょうか・・・

構造化・・・環境の枠について                                  2002.3.2(土)

環境の枠を悠くんに教えてきました。
悠くんの成長とともにパターン化しないように、それぞれの枠も広げてきました。
しかし・・・広げても、結局、サリーが推測で作って、悠くんに与えた枠です。
枠が大きくなっても、悠くん自身に枠を広げる能力がなければ、結局その中でのパターンになってしまいます。
悠くんが、「情報請求」の能力を身に着けてくれればなぁ・・・と思うのですが、「要求」と「拒否」しか出ていない状態で
は、難しいでしょうね・・・

あははは、意味不明ですね(^^ゞ
やっと、教育が・・・?                                         2002.3.2(土)

悠くんと、やっと普通のやり取りが出来るようになってきました。
いろいろなことが伝えられるようになってきました。
先日、ある方に「これから教育が始まる」と言われました。

今までは、幼児期に身に着けなければいけなかった基本的なルールややり取りの力を育てて来たに過ぎないという
ことですね。
これから、社会が悠くんに何を期待しているのかということを伝えて、期待された行動を身につけていかないといけな
い・・・社会のルールを教えていかないといけないというところにたどり着いたようです。

ということは・・・悠くんは、やっと本当に「小学校入学」ってことですか・・・(^^ゞ



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