土讃本線 1982年 その2/3

 当時はまだワイド周遊券があったのでそれを使っている。土讃本線を東に西に行ったり来たり。このときは四国の国鉄線を全部乗っているし、高松琴平電鉄と伊予鉄道、仁堀連絡船にも乗っている。ところが、1986年に予讃本線の向井原− 内子間、新谷−伊予大洲間が開業してしまった。その区間は国鉄分割民営化直前の1987年3月29日に乗って国鉄全線完乗を果たしている。

1982年3月下旬撮影
使用カメラ ミノルタXD
使用フィルム コダクローム64


土佐大津
ここで貨物列車の交換があるので下車。これは先に着いていた上り。DF50のトップナンバー。この機関車は四国鉄道文化館で保存展示されている。
土佐大津
夕方の西日に田んぼが光る。これがまたコントラストがきつくなる原因。3月下旬の四国は日没がずいぶん遅く、かなり遅い時間まで撮影できた。
土佐大津
キハ181系南風。
土佐大津
たぶんキハ28とかの各停。
土佐大津
トップナンバー機と交換。
土佐大津
下りの貨物列車がやっと来た。
土佐大津
DF50同士の交換。原版を見るとピントが甘いんだよね。残念。
高知駅西方
踏切で撮れると聞いて行ってみたところ。うまく撮れなかったよ。
高知機関区
高知駅のすぐ西側にあった機関区。当時はまだ機関区などわりと簡単に入れてくれた。住所氏名は書いたと思うが、気をつけてくださいね、といわれただけ。Tさんの他途中で知り合ったファンと4人くらいで入れてもらったと思う。
高知機関区
DF50がいっぱいいて撮り放題。午後遅くて西日がきつかった。
高知機関区
せっかくのトップナンバーなんだけど停まっている位置が悪く逆光でこれくらいしか撮れなかった。
高知機関区
このとき機関区にいた機関車はみんな撮った。カラーリバーサルで撮ってモノクロで撮って忙しい撮影だった。しかも構内を自由に動くことができた。
高知機関区
まだ転車台もあった。今はもうこの機関区も無い。


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