天北線   音威子府−浜頓別−南稚内 148.9km
 天北線は、開業から天北線であったわけではない。宗谷本線との間に名称をめぐりいろいろな変遷があった。途中、小石−曲淵間は当時在来線最長の停車場間距離17.7kmあった。また、浜頓別にはクッチャロ湖やベニヤ原生花園があり、夏はけっこう訪れる人は多かったように思う。

使用カメラ  ミノルタXE、XD
使用フィルム コダクローム64、コダクローム200、フジクロームベルビア

沿革  1914年(大正3年) 宗谷線として音威子府−小頓別間開業
    1918年(大正7年) 浜頓別まで開通
    1919年(大正8年) 宗谷本線に格上げ
    1922年(大正11年)南稚内まで開通
    1930年(昭和5年) 北見線に改称、このとき現在の宗谷本線が稚内まで開通
    1961年(昭和36年)天北線となる
    1989年(平成元年)5月1日 廃止



1989年1月
声問−恵北間
気温はマイナス、とはいえ日が差しているので割と穏やかな日であった。
1989年1月
声問駅
1989年1月
声問駅
1989年1月
声問駅前通
向こうにはオホーツク海が広がる。
1989年1月
中頓別−下頓別間
中頓別の牧場で、急行天北。
1989年1月
中頓別−下頓別間
酪農地帯をゆく。といっても冬なのでなにもない。
1984年1月
小頓別駅
小さな町の小さな駅。かつては木材の出荷駅として栄えたらしい。
1984年1月
小頓別
天北峠へ向かう音威子府行き。
1982年8月
猿払
猿払原野の中をゆく。
1982年8月
猿払
駅付近なにもなし。
1982年8月
猿払
このときは駅の周辺で写真を撮ろうと思ったのだが、結局線路際で撮っただけだった。
1982年8月
鬼石別
猿払村役場がある。
1982年8月
鬼石別
なぜ降りたか記憶にないのだが、たぶん停車時間が長かったのだと思う。
1976年8月
鬼石別
これは初めて北海道に行ったとき車内から撮影。浜頓別YHに泊まった。




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