標津線 標茶−根室標津 69.4km 中標津−厚床 47.5km |
この線はそもそも1925年(大正14年)厚床−西別(別海)間に馬車鉄道を敷設したのがはじまりである。広大な根釧原野が広がり、開拓の歴史と大規模な牧場風景が展開する。 別海町の面積は1334平方キロ日本で一番広い町である。周辺は広大なパイロットファームが広がっている。標茶からはしばらく山間を走り、計根別に至ると広い酪農地帯となる。 使用カメラ ミノルタXD 使用フィルム コダクローム64 沿革 1933年(昭和8年) 厚床−西別間、標津線として開業 1934年(昭和9年) 西別−中標津間開通 1936年(昭和11年) 標茶−計根別間が計根別線として開業 1937年(昭和12年) 計根別−根室標津間開通、計根別線を改称 標津線に編入され全線標津線として開通 1976年(昭和51年) 西別を別海に改称 1989年(平成元年) 全線廃止 |
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1989年1月 泉川−光進 根室標津行き。山越えの区間。 |
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1989年1月 泉川−光進 夕暮れが迫る。 |
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1989年1月 冬のパイロットファーム。ひたすら広い。 |
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1982年7月 別海 日本一広い町の駅。 |
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1982年7月 別海−奥行臼 牧場で牛の糞を気にしながらの撮影。 |
北海道廃止路線 北海道昔の写真 |
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