青函連絡船   青森−函館 113.0km
 かつて、渡道するためには青函連絡船に乗らなければならなかった。出航の銅鑼にこれから向かう北海道に思いを馳せ、近づく函館山に心をときめかせたものだった。また、帰りには、遠ざかる函館山に名残を惜しんだものである。
 北海道への旅の原点がここにはあった。飛行機では時間は短縮できても味気ない。青函トンネルでは、海を渡るという実感がない。
 ちなみに、私は北海道へは飛行機で行ったことがない。ここでは、函館港を中心に出航と入港のときの連絡船の姿を紹介。

使用カメラ  ミノルタXD
使用フィルム コダクローム200、フジ・ベルビア

沿革  1885年(明治18年)  日本郵船会社が青森−函館間毎日1運行開始
    1908年(明治41年)  国有化
    1925年(大正14年)  貨車航送開始
    1954年(昭和29年)  洞爺丸台風による洞爺丸の遭難
    1963年(昭和38年)  1日客貨併せて30運航
                     所要時間4時間30分が3時間50分に短縮
    1988年(昭和63年)  青函トンネル開通により航路廃止



1988年2月
函館
石狩丸の出航。濃霧の中を青森へ向かう。
1988年2月
函館
石狩丸の入港。
1988年2月
函館
石狩丸接岸。
1988年2月
函館
石狩丸からの貨車の搬出。
1988年2月
函館
再び石狩丸の出航。
1988年2月
函館
摩周丸とタグボート。
1988年2月
函館
向きを変える摩周丸。
1988年2月
函館
下船。
1988年2月
函館
摩周丸出航。
かなり込んでいるのは、廃止の前に乗ろうという客が多かったせいである。
1988年2月
函館
摩周丸出航。
1988年2月
函館
中央埠頭からみた函館港。
1988年2月
函館
中央埠頭から八甲田丸と函館山。
1988年2月
函館
中央埠頭から。霧の中へ消える連絡船。
1988年2月
函館
金森倉庫付近から函館港。タグボートに押されて接岸。
1988年2月
青森
停泊中の桧山丸。
1987年10月
函館
出航する連絡船から見た桟橋と函館山。
ちなみにこのときは大雪丸だった。
1987年10月
函館
出航する連絡船から見た桟橋。
1976年8月
函館港
函館山から俯瞰。北海道から帰るという日、連絡船までの時間に函館山へ登った。



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