名寄本線   名寄−遠軽 138.1km
            中湧別−湧別 4.9km
 名寄本線は、本線ではあったが早くから廃止対象にあげられた。
 大正10年全通当時、札幌方面と北見・網走方面を結ぶメインルートであった。しかし、1932年(昭和7年)に石北本線が開通すると一転ローカル線に転落。名寄−興部間は天北峠越え、興部からはオホーツク海沿いを走り中湧別に達する。中湧別−遠軽間は牧場地帯である。

使用カメラ  ミノルタXE、XD
使用フィルム コダクローム64、コダクローム200

沿革  1919年(大正8年)  名寄−下川間開業
    1920年(大正9年)  区間変更 名寄−上興部間
    1921年(大正10年) 名寄東線中湧別−興部間開業
                   名寄−上興部間名寄西線
    1921年(大正10年) 秋、上興部−興部間全通、名寄線となる
    1923年(大正12年) 名寄本線

    1916年(大正5年)  留辺蘂−社名淵(開盛)間が湧別軽便として開業
                   軌間762mm
    1916年(大正5年)  湧別軽便改軌
    1916年(大正5年)  下湧別(湧別)まで開業
    1932年(昭和7年)  遠軽−下湧別間を名寄本線に編入
    1954年(昭和29年) 下湧別を湧別に改称
    1989年(平成元年)  5月1日全線廃止

     


1989年1月
中名寄−上名寄間
名寄からタクシーできた。約2時間ほど雪の中で写真を撮った。
1989年1月
中名寄−上名寄間
とにかく寒かった。
1989年1月
中名寄−上名寄間
ここにある名寄8線バス停。ここからバスで一の橋へ。
1989年1月
一の橋付近
天北峠を下ってきた名寄行き。
1989年1月
一の橋駅
1989年1月
一の橋駅
1989年1月
一の橋−上興部間
峠へ向かう。
1978年3月
紋別
当時、私は大学生だった。流氷を見に紋別へ行ったのである。
1978年3月
紋別
1978年3月
紋別駅前
向こうは流氷のオホーツク海。
1978年3月
紋別
オホーツク展望台より流氷のオホーツク海。
1978年3月
紋別
接岸した流氷。
1978年3月
中湧別
湧別行きに乗り換え。
1978年3月
湧別
行き止まりの湧別。
1976年7月
紋別
夏の紋別である。今は過疎がさらに進んでいるのだろうか。
1976年7月
興部
興浜南線乗換駅である。
1976年7月
渚滑
このときは何気なく降りただけである。駅前広場から一段降りて国道がありその向こうにオホーツク海が広がる。
1976年7月
渚滑
次の列車に乗る。その間ずいぶん時間があった。
1976年7月
中湧別
湧網線乗換駅。当時は夏休みとあって列車到着時刻が近づくとずいぶん混雑していた。




北海道廃止路線  北海道昔の写真
鉄道写真集トップへ
RAILギャラリートップへ
ギャラリー弐番館トップへ