胆振線 砂川−上砂川 7.3km |
この線は、昭和新山の麓を走っていた。もちろん開業時は昭和新山は無かった。開業に関してはかなり複雑な経緯を持っている(沿革参照)。 沿線は、温泉が多く観光路線として生き残る道があったが、やはり過疎によりそれを生かすことができなかった。 伊達紋別の由来は、明治時代仙台の伊達一族によって開拓されたことによる。また、この辺りはもともと紋別といわれていたので駅名は伊達紋別となった。 昭和新山は、昭和18年(1943年)有珠山の活動によりできた火山であり、2000年有珠山が活発に活動したことは記憶に新しい。喜茂別はアスパラガスの産地として有名。羊蹄山の麓を通り倶知安に至る。 使用カメラ ミノルタXE 使用フィルム コダクローム64 沿革 1919年(大正8年) 京極軽便線倶知安−京極間開業 1920年(大正9年) 京極−脇方間開通 1922年(大正11年) 軽便鉄道法廃止により京極線と改称 1928年(昭和3年) 胆振鉄道京極−喜茂別間開業 1940年(昭和15年) 胆振縦貫鉄道伊達紋別−徳舜瞥間開業 1941年(昭和16年) 胆振鉄道、胆振縦貫鉄道に合併 徳集瞥−西喜茂別間開通 伊達紋別−京極間全通 1944年(昭和19年) 国有化 喜茂別−西喜茂別間廃止 1970年(昭和45年) 京極−脇方間廃止 1986年(昭和61年) 廃止 |
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1978年3月 喜茂別 バックは羊蹄山である。喜茂別は札幌と洞爺を結ぶ国道が通っている。観光客は寄らない。 |
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