羽幌線  留萌−幌延 141.1km
 この線は羽幌炭坑の石炭輸送のために、留萌付近の東留萌(信)から北へ向かう軽便鉄道として計画された。日本海の荒波は冬の手塩沿岸の交通を途絶させるほど厳しい。そのため全通したのは昭和33年とずいぶん遅れた。かつて、ニシンが豊漁だった頃は、この地は活気がありニシン番屋がその名残をとどめる。
 また、羽幌炭坑が稼業していた頃は、運炭列車が行き交い栄えたが閉山後は、他の路線と同様過疎による乗客減により廃止された。

使用カメラ  ミノルタXE
使用フィルム コダクローム64


沿革  1927年(昭和2年)  留萌−大椴間が留萌線として開業
    1931年(昭和6年)  留萌線から分離。留萌−古丹別間が羽幌線として開業
    1935年(昭和10年) 幌延−手塩間が手塩線として開業
    1936年(昭和11年) 手塩線幌延−遠別間
    1957年(昭和32年) 羽幌線留萌−初山別間
    1958年(昭和33年) 初山別−遠別間開通、手塩線を編入して羽幌線全通
    1987年(昭和62年) 全線廃止




1984年1月
鬼鹿−力昼
千松仮乗降場。気温は低いが、日本海は対馬暖流により水温が比較的高く、海面に蒸気が立ち上る。
1984年1月
鬼鹿−力昼
1984年1月
鬼鹿−力昼
まだ1984年当時は急行はぼろが走っていた。
1984年1月
鬼鹿−力昼
千松仮乗降場。人が乗降した様子が無い。
バックの海面に蒸気が立ち登っている。




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