美幸線  美深−仁宇布 21.2km
 美幸線の名の由来は宗谷本線美深と興浜北線の北見枝幸を結ぶ路線として計画されたことによる。
しかし、1964年に仁宇布まで開通したところで計画は中断。その後、かの鉄道建設公団が北見枝幸までの路盤や、トンネル、橋梁などの工事を完成させていた。が、収支係数の悪化により「日本一の赤字路線」ということになってしまった。
 美深町長などが銀座で乗車券を売るなどして話題づくりに一役買ったが赤字はいかんともしがたく1985年廃止となった。
 沿線は、森林地帯で美深は木材の積み出し駅となっていた。仁宇布の近くに
は松山湿原がある。

使用カメラ   ミノルタXE
使用フィルム  コダクローム64

沿革  1964年(昭和39年)  開業
    1985年(昭和60年)  廃止



1978年3月
仁宇布
「にうぷ」と読む。
1978年3月
仁宇布
廃止になるのも無理はない。ここも乗客は極端に少ない。



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