ペルガモン  

 5月4日ペルガモン遺跡とトロイの遺跡。
 この日もとっても言いお天気でした。実は私は晴れ男なんです。どうしてもお天気にしたいイベントがあるときはご一報ください。
 
 で、ぺルガモン遺跡について。
 ここは西アナトリアの丘陵地にたたずむ田舎町ベルガモから少し行ったところにある遺跡です。バスが通るのも大変な細い道を丘の上に走っていきます。
 アレクサンダー大王の亡き後アタロス王朝のフィレタイロスがペルガモン王国を築いたのが始まりです。紀元前2世紀には第2のアテネと呼ばれたほど栄えたところです。
 
 まあ、栄えたのは昔の話。今は下のようにおっちゃんがうろうろしている程度の街が残っているだけです。遺跡はこの街からしばらく行った丘の上にあります。
ベルガモの街中。田舎です・・・ここは刃物の産地として有名。

 ほんとはこの街は寄る予定じゃなかったんだけど、融通を利かせてよってくれました。のんびりした旅行じゃないとこうはいかないですね。で、私は街中をうろつき(狭いのでそれほどすごいものがあるわけじゃない)名産のナイフを2本買いました。このとき、バスの助手のヤオズ君(同い年)がトルコ語で店のおにいちゃんと交渉してくれたので20%くらい値切れました。すごく嬉しい・・・。安くなったこともだけど、ヤオズ君の気持ちが嬉しいよね。

山の斜面がそのまま劇場ペルガモン遺跡の劇場。ちょっと恐い・・・

 で、遺跡の話。ここには大きな劇場があります。街の外れなんですけど、豪快なことに山の斜面がそのまま観客席。上に立つと意外と急斜面です。結構恐いです。風が強い日だったので転がり落ちるかと思ったくらい。
 また、ここは医療の街として有名だったとこらしいです。アスクレピオンと言ってサナトリウムみたいなところがあったとのこと。

なおるぅ〜なおるぅ〜医療施設。精神療法みたいなものかな。

 ここの水は万病に効くとかって話しもあって、医療施設が作られていました。トンネルの中を病気の患者が歩いて抜けると、上から医者が「お前は治る」と声を掛け続けたとか。医学的にも効果あるらしいです。

ここも図書館。アレクサンドリアに次ぐ大図書館。

 そして、ここにも大きな図書館。文明の発達したところにはどこにでもありますね。やっぱり書物は文化の象徴なんでしょうか。

 今でこそ小さな街になってしまったペルガモン遺跡ですが、やはり人間の営みが残したそこであったことを伝えてきてるんですね。うんうん、と1人なっとくするばかりでした。

トロイ    

 さて、考古学史上大きな足跡を残したのがここトロイです。遺跡自体は壊されてしまって大した物はありません。しかし、伝承考古学が産声をあげたのは、まぎれもなくここトロイの遺跡なんです。伝承考古学って言うのはいわゆる民話や伝説から、その中に隠された歴史の事実を見出すものです。
 本来、このトロイはホメロスの中の架空の都市とされていました。しかし、幼い頃にこの話しを聞いたドイツの実業家シュリーマンは、きっと真実に違いないと信じ、そしてトロイを発掘、発見したのです。

第7市かな?シュリーマンが掘っちゃいました。

 というわけで、シュリーマンと言えば英雄のように言われる人なんですが、ここトルコではちょっと違います。何と言っても出てきた財宝の類いを全部ドイツに持ち帰っちゃったし、遺跡の発掘にしても、なんの知識もなかったもんだから、縦横無尽に掘りまくって遺跡を切り裂いて掘ってしまったんです。このおかげで、トロイの発掘は学術的に非常に困難なものになってしまったということです。
 このため、トルコではシュリーマンは半分泥棒扱い。あんまり良くは言われてません。私も現地で話しを聞くまではちっとも知らないことでした。

トロイは何もないですね。何層もの遺跡があっちこっちに点在。

 トロイの遺跡は実際は1つの都市遺跡ではなく何代もの遺跡が重なり合って残ったものらしいです。ホメロスに出てくるのはその中の第7市らしいです。シュリーマンが財宝を発掘したのは第2市かららしいので、ホメロスの中に出てくるものとは違ったんでしょうね。

これがトロイの木馬!こんなんで騙されるかい!これがトロイの木馬。中はけっこう広かった。

 で、ここの遺跡の前にはトロイの木馬の復元されたものがあります。
 唖然・・・・。
 いくらなんでもこれじゃあ騙されないでしょ。ちょっとユーモアがあっていいのかな?よくわかんないけどとにかくこういうので騙したんだね。

 この日はチャナッカレというところで一泊。夕日が綺麗でした。お天気がいいと旅行は楽しいです。



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