其の二
1886〜1945年

年号 西暦 事             柄
明治19年 1886 金久支庁は、大島県庁と呼ばれるようになり、十島は引き続き大島県庁管轄となる。
明治22年 1889 川辺郡十島は、「市町村制を施行せざる島峡指定の件」で、市町村制施行から除外される。しかし、4月1日から中之島に、中之島以外の九島に一戸長が置かれ、十島全体を統治した。初代戸長となったのは、大原十兵衛であった。
明治25年 1892 4月1日、二代目戸長松田平吉が就任する。
明治28年 1895 大島郡島司笹森儀助は、5月から8月にかけて十島の島々を巡視して行政指導や助言を行う。
明治30年 1897 4月、十島は川辺郡より分離され、大島郡十島となる。
明治33年 1900 4月1日、三代目戸長伊集院清が就任。
明治40年 1907 十島航路は大洋商船の受命航路となり、定期船が通うこととなる。しかし、定期船とは名ばかりであった。
この年、十島の若者も名瀬(奄美大島)で徴兵検査(壮丁検査)を受けることとなる。
明治41年 1908 島峡町村制が施行され、4月1日、十島村が発足。初代村長には、伊集院寄与しが就任。
大正5年 1916 行政組織の中に、一島一区長(小宝島は宝島といっしょ)の配置がなされる。
中之島に大島警察署中之島駐在所が設置され、小原巡査が就任。大正5年以前には、巡回巡査が任命されていた。
大正9年 1920 本土並みの市町村制が4月1日から施行される。
5月に、村長と村会議員の選挙が実施される。当時の村長は、森永八十七であった。助役制度も導入される。初代助役に、福永虎が就任。
大正12年 1923 悪石島で青年夜学会が行われる。テキストを基にそれぞれが学習していた。
大正14年 1925 中之島と黒島が二区になる。(中之島東と中之島西、大里と片泊)
大正15年 1926 6月、大島県庁を廃して、大島支庁を置く。
昭和3年 1928 6月25日、十島村会議員選挙が実施される。
昭和4年 1929 7月1日、各島の私立小学校に青年訓練所が実施される。
大島郡産業10年計画により、十島でもその施策を推進するため、わずかながら予算化して産業振興に乗り出す。
昭和5年 1930 4月29日、十島村に小学校令が施行される。
5月6日、各島に村立小学校が発足。
昭和6年 1931 4月、収入役制度を取り入れる。初代収入役は、吉田熊次郎。この年までは、村長が収入役を兼務していた。
昭和8年 1933 4月、村営定期船「十島丸」(鋼船155.68トン)が就航。月間往復4航路であった。
昭和10年 1935 4月、村立青年学校が発足。中之島に中之島郵便局が設置される。
昭和16年 1941 3月、新造船「金十丸」(鋼船570トン)が村営定期船として就航。
4月、国民学校が発足。
昭和18年 1943 区長制が部落会制に移行。中之島(楠木、里、船倉、寄木)、口之島(イ、ロ)、宝島(東、西)となり、他の島は一集落ずつだった。
昭和20年 1945 4月以降、十島の島々に米軍機の空襲が激しくなった。
5月、終戦となる。

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