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「桂林への国内便の出発時刻を発表します」
広州はてきとーにして、われわれは一刻も早く、今回のメイン目的地、桂林入りしたいんでぃ。そう言わんばかりの空気が移動中のバス内には充満しつつあった。そんなわれわれに、ガイドの朱嬢はショッキングな事実をつきつけたのだった…。
「…今晩11:45発です」
ええ〜!
うそぉ〜?
なにそれぇ〜、冗談でしょおお?!!
車内にいっせいに抗議の声が飛び交う。そして次第に、失望のため息に変わっていく。
やはり事前に予想したとおり、某局の桂林特番を見た日本人が大挙して押し寄せたために、桂林便は満員御礼。やっと確保できたのが、深夜便だったというわけ。それにしても、2週間ほど前には判明していたというのに、当日発表するとは…某K社の意図が見え見えだ。
そんな重苦しい空気を乗せたまま、バスは最後の目的地、越秀公園内にある「鎮海楼
Zhenhai Lou」へ。明代の建築物で、広州市内をぐるりと一望できる高台の上に立っている、五層の建築物だ。現在は広州博物館となっている。
博物館内の観光はタイクツだったけど、5階に上がってバルコニー(というべきか)から外を眺めてみてハッとした。上海のホテルの窓から見たのと寸分変わりない、発展しつづける大都会の姿がそこにはあった。
鎮海楼を出てバスの出発を待つ人々の群れに近づいていくと、「うそでしょ。聞いてないわよ」というマダァムの怒りの声が聞こえた。はは〜ん、さてはさっきのバスの中の騒ぎを聞いてなかったのだね。今ごろ気づくなって。しかも「飛行機を待つよりバスで移動したほうがよかったんじゃなあい〜?」などと、無茶なことを。大陸は広いんだぞ、広州から桂林までは直線距離でも東京から京都くらいはあるんだぜぇっ。をいをい〜ってば。ハァつかれた。
またも気を取りなおしつつバスに戻るが、出発前日まで動かぬ体にムチ打ってシゴトをし、前泊したとはいえ早起きして集合し、長旅をしてきたあねもね夫婦はすでに疲れきっていた。皆とて同じ。いや、年齢が高い分、他の皆さんのほうがキツイに違いない。しゃあない、今晩のディナーでも楽しみに待つとすっか。
誰が決めたか知らないが、広州三大酒家というものがあるらしい。余談だが酒家はレストラン、酒店はホテルらしい。他にも飯店といったらホテルだったりするので、皆さん間違えないようにね。…その三大酒家のうちの一軒、「<シ半>渓(バンケイ)酒家」という、庭園式広東料理レストランに連れていかれた。
あとでガイドブックを見たら点心が人気で朝には長蛇の列もできるところらしいが、そんなことは知らないわれわれ。とりあえず指示されるがままに、青チーム・赤チームに分かれて円卓を囲む。この旅初めて、他のツアー参加者との交流の場におかれたわれら夫婦なのである。
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さまざまな料理が運ばれてきて、ひと口ふた口、味わう。…ふむ、これならいける。強い特徴はないものの、わりと日本人の口にも合う味つけで、食べられないものはほとんどなかった。なにより、上海のときのように黒酢攻めにされないのがヨイ。付けダレらしきものを恐る恐る味見してみたら、酸っぱクサくなかった。ああ〜助かったぁ。
ビールは青島ビールなど、軽くて薄味のものが多いみたい。たくさん飲んでも全然酔っぱらいません。 特に大陸の南のほうのひとはめっぽう酒に弱いらしく、全体に度数が低めなんだそうだ。
きょうのメイン料理はなんと、子ブタの丸焼きだという。パリパリにあぶり焼いた皮を、北京ダックのように甘味噌を添えカオヤーピンよりもちょっと厚手のパンのようなものに挟んで食す。こんな味か(どんなん?)。
忘れた頃にちゃんと子ブタ君の身をスライスしたものも出てきた。けどすでに腹がぱんぱんで食えんかった。
食欲が満たされて疲れも少しはとんだかもというわれわれは、時間稼ぎのために連れていかれた友誼商店(観光客向けの比較的大規模な土産物店)で、熱心に商品を物色。その中でなぜか今回目にとまってしまったのが、山水画の掛け軸である。
前回上海を訪れたときのわれわれ夫婦のお目当ては、服と茶器であった。美術品には目もくれなかった。しかし最近、某知人から漢詩の掛け軸をいただいたり、次第次第に大陸文化に親しむようになったせいか、そのようなものに目がいくようになっていたのだ。明日は山水の本場、桂林に行くことでもあるし。気に入ったものは値段も1万円ほど、と、いうことは、半値以下の4、5千円ほどで入手できるのは間違いない。いやしかしまだ1日目だ。毎日宿が変わることだし、スーツケースにも入らない大きさだしなあ。ずっと持ち歩くのはいやだな〜。
あきらめて、友人への土産をいくつか購入することに。前回の上海でコツはつかんでいた同居人があっさり値切ってくれた。まずは値段交渉した店員から勘定書をもらって収款台で支払いでしょ、そこで証明印を押してもらって再び売り場へ…と、これが上海でおぼえたやり方だったんだけど、ちがうの? えっ、直接お金渡していいの? しかも日本円でもOKだなんて、びっくりだ。
結局ここでは人民元を使ったが、この新しいやり方(注:日本ではふつうなんだけどさ)は、桂林で訪れた土産物店ではなおのこと、ほぼどこででも通用した(地元に密着した店には入っていないから、わかんないけど)。観光都市とはこういうものなのか、と感心してしまった。
まだ国内便出発までは2時間以上あるが、行き場を失ったわれわれ一行はおとなしく、白雲空港へ戻ることに。航空利用税の支払いやチェックインは朱嬢たちがしてくれるので、ただわれわれは待つばかり。ターミナルに入場する際、朱さんとはいったんお別れ。
何店かの売店はやっているが、ほとんど見るべきものはない。せいぜいミネラルウォーターや、小腹がへったとき用に軽食を購入するくらいが関の山か。ぐったりしていたワタシはベンチにへたりこみ、友人へのヘンテコグッズを探す使命を負ったあねもねダンナだけがいそいそと売店に向かう。深夜便を待つ閑散とした空港…って、まるでMaldivesに行くときのコロンボ空港にそっくり。などとおもいをめぐらしつつ。
やがて戻ってきたダンナ、ニヤニヤしながら「ヘンなもんがいっぱいあるよ」。なぜか、文法の怪しげなニホンゴの売り文句や解説の書かれたスナック菓子がたくさん売られているらしい。
ワタシも気合いを入れなおして立ち上がり、売店のひとつに入ってみた。
サクサクドリアン…?! なんぢゃこりは。
おそるべし大陸の商魂である。ドリアンまでをサクサクにして買わせてしまうとは。だれが買うんだ。
23:10発の中国南方航空、CZ8934便は定刻よりやや早めに出発、約45分のフライトを終え、だれもが待ちわびた桂林両江
Guilin Liangjiang 国際空港に到着した。桂林市が属するのはいわゆる“省”ではなく、広西チワン(壮)族自治区という行政区。チワン族というのは少数民族のひとつ。自治区の住民の9割はいまや漢民族らしいが、残りの1割をチワン族、トン(<イ同>)族、ミアオ(苗)族、ワ(<イ瓦>)族…など、10あまりの少数民族が占め、生を営んでいるらしい。チワン族は少数民族とはいえ、1500万人あまりもいて、中国の少数民族のなかでは最大規模を誇っているそうだ。
建物の外に出ると、ぷうん…とキンモクセイの香りが鼻をついた。
じつはここ、桂林という地名は、“桂樹”つまりキンモクセイの林が多くあるところから名付けられたのだ。桂花陳酒というキンモクセイのお酒がありますでしょ。あの“桂”ですやん。
それにしても着くなりいきなり、匂うとは。もう季節は過ぎてるんじゃないの? できすぎですやん。まるで、鶯谷駅についたとたんにうぐいすの鳴き声がするっちゅう、あれみたいやん。…ローカルな話題ですいません。でも実際、このあといろいろな場所で、その匂いと遭遇することになる。
あたりは真っ暗で、なにがなんだかよくわからなかったが、なんとなく南国リゾートにでも来たかのような、手足をゆっくり伸ばして浸りたくなるようなのんびりした空気があたりを支配していた。広州とも明らかにちがう、空間の広がりぐあい。これが桂林か。ついに来たよ。
ホテルまで30〜40分。運ちゃんが飛ばしに飛ばしているバス(広州のよりひとまわり小さめ)内で、桂林でお世話になる現地観光会社「桂林山水国際旅行社」の看板ガイド、董
文利 Dong Wenli さんとご対面。元サッカー日本代表監督の岡田武史氏にそっくりなのを自分でも認めていて(なんで知ってるんだ)、日程中われわれのあいだでもずっと“岡ちゃん”で通していた。日本語も堪能で、古いコトバや気の利いた言いまわしをたくさん知っていて、青チームの紳士淑女はオオヨロコビ。そして岡ちゃん自身も、ギャグを2回繰り返してはかならず最後に「ハッ、ハッ、ハッ」とブキミな笑い声で締めていた。それにわれら青チームのことを最後まで“青バッジチーム”と呼びつづけることに何の疑問も感じていないようだった。…青いバッジなんて、だれもつけてないんですが〜。
一行のバスは1泊目の宿、桂林賓館に到着。もとはホリディ・イングループだったらしく、そこそこ豪華な設備(プール・バンケットルームなど)を備えた四つ星ホテルだ。部屋も快適で、アメニティやドライヤーなども完備。ただ、全面大理石張りの豪華駐車場(!)を建設中とのことで、正面玄関前にはデカい石がゴロゴロ転がっていて歩きにくかった。大理石は桂林の名産物のひとつらしい。
それにしても長い1日目だったことよのう…。レポもまだ1日目だというに、長いな〜。やれやれ。
やっと2日目。
しかしこの日は待ちに待った、漓江
Lijiang 下りがひかえている。睡眠時間が3時間であったことも忘れ、弾むココロをおさえつつ窓のそとに目をやると、ホテル前の風雅な池のほとりで体を動かしているひとあり、あれはもしや、太極拳? 朝食を取ってから再び部屋に戻ると、チャリ通勤の姿もちらほら見えはじめた。きゃ〜ん、ちうごくだわん。
8時前にロビーに集合し、バスに乗り込んで一路漓江下りの起点、竹江 Zhujiang へ。桂林市内から30km近く離れているそうで、しかも出発できたのが少し遅れたため、出航時刻に間に合うかの瀬戸際だという。田んぼや畑が広がる片田舎の道を、運ちゃんは飛ばしに飛ばした!!
いやこれが、コワイのなんのって。車が悪いのか道が悪いのか、異常にガタガタと振動するうえに、道幅はだんだん狭くなり、舗道などもちろん整備されてはいないために、チャリや徒歩の人間も、周りに注意を向けないまま車道に大きくふくらんで走ったり、歩いたりしている始末だ。
そこを、反対車線に出たりしながら、わが青バッジバスの運ちゃんは「パパパーッ!」とクラクションを数秒おきにけたたましく鳴らしながら、前を走る車という車、対向車、ひと、牛、委細かまわずバリバリ追い抜いていく。
数日前、同じ中国でたしか「長江三峡下りツアー」かなにかに急ぐバスが追突事故を起こして、死亡者が出たという報道があったばかり。ワタシたちが今回参加しているのと同じ旅行会社が主催する、同じタイプのツアーだった。あのひとたちはこうやって墓地へゆく道をまっしぐらに進んでいったのか。想像するだけで背筋が寒くなった。
しかしニンゲンの命はそう簡単に尽きるもんでもないらしく、縮みあがるわれらを乗せたバスはギリギリセーフで船着き場へ滑りこんだ。けっこう立派な船着き場である。
たくさんの遊覧船が停泊している。われわれツアー会社がチャーターした船は2階建てで、室内はテーブルと6人がけの座席が整然と並び、洋風屋形船といったところ。そして屋上が展望デッキになっていて眺望が360度見渡せるようになっている。
いよいよ出航。昼ご飯の追加メニューの説明やウワサに聞く船内物品販売などがぼちぼち始まったが、こうしちゃおれんっ! いそいそと展望デッキへ出てみる。
うおっ。ホンモノだあ。テレビで観たのと同じ(ここらへんが悲しい)。いややはり、百聞は一見に如かずである。ホンモノにまさるものはなし。来ちゃったんだなあ、ワタシたち。
竹江付近ではまだ山もなだらかで数も少なかったが、やがて船が進むにつれて、幾重にも折り重なるようにしてつぎつぎに姿をあらわす奇峰の景観を、ひろびろと穏やかにゆく漓江の水の上からなにものにも遮られず眺める贅沢さに、しばしわれを忘れ、すっかり見入ってしまった。
日本で心配していた空もようは穏やかな快晴。というかカンカン照り。水際だから風が吹けば少しは涼しいが、どちらかといえば暑い。むしろ霧雨くらいが、いかにも山水画のようで美しいだろうとは思うが、欲を言えばキリがない。ざーざー降りの中、まったく景色が見えなかったという人だっているのだ。
前をゆく別の観光船や、竹製のいかだを漕ぐひとびとの水紋も美しく映える。と、いつのまにやら、カメラ小僧が多数出没。よくみると、そん中にしっかりダンナもいたりして。どこをとっても絵になるんだもんね。しょーがないやね。
あ〜、バス事故で命を取られなくて、ホントよかった。
そうこうするうち、冠をいただいたような姿ににょっきりそびえた、「冠岩(カンガン、Guanyan)」のふもとに船が横付けされた。漓江周辺は太古の昔、海の底だった。珊瑚の残骸である石灰質の岩盤が長い年月で隆起し、水の流れに削られ、現在の奇峰の姿になったらしい。ちなみにこのタケノコの群れのような奇峰はすぐ隣のベトナムまで続いているそうである。
水の流れはまた、無数の横穴をつくり、そこが鍾乳洞になっていくつも口を開けているのだ。ここ、冠岩の鍾乳洞はその中でも大規模なもので、漓江下りツアーのハイライトとなっているのだった。
上陸したわれわれを待っていたのは、物売りの群れ。桂林市内にもいたが、観光地という観光地にはもれなくいるものらしい。急な石段を息を切らせつつ登ると、鍾乳洞への入口があった。
ん? なんかきれいな民族衣装をまとったおねいさんが3人ほど、ニコヤカに出迎えてくれたではないですか。うれしいねぇ。おやぢたちの鼻の下もびろ〜ん。が、しかし、ガイドの岡ちゃんのスルドイ言葉が、われらに容赦なく冷や水をあびせた。
「ここではなんでもお金、とりますから、あちこちむやみにカメラを向けないでくださいね」
そう、彼女らはれっきとした商売人、いわば少数民族部隊エージェント・記念写真班の一員なのだった。いっしょに写真を撮らせて○○元、と請求してくる。あぶねぇあぶねぇ。そういえば、上陸まもなく、漓江名物の鵜飼いの鵜(う)を2羽、棒に止まらせて、客に見せているジジイがいたっけ。聞くとあれも、記念写真班の一員らしかった。
一歩洞内に足を踏み入れると、そこは赤・青・黄色・緑…と色とりどりの照明に浮かびあがる、鍾乳石の巨大な天然展示室、いや色と光のマジカルミラージュランドであった。おそらく日本ではこのような演出はできないであろう。いやできたとしてもしようと思わないだろう(^^;。
ただ歩いて見てまわるだけでなく、…そこが中国独特のサービス精神なのだと思うが…トロッコ列車に乗ったり、暗い洞窟内に流れる川をランタンで照らしながら手漕ぎボートで進んだり、隠された滝があったり、エレベータで一気に高みに昇ったり…と至れり尽くせり。まるでひとつのテーマパークのようである。
ほの暗い洞内を、手さぐりでうぞうぞうごめくわれら一行は、さながらあの映画“THE LOAD OF THE RINGS”に出てくる、オークのようだ、とあねもねダンナ。オーク。ぷぷぷ。そっくり〜。これがこの旅のあいだずっと彼らを“オーク”呼ばわりすることに決定してしまった瞬間なのだった。
そのオーク一行とともにうぞうぞ進んでいくと、行く手の暗がりからなぜか和太鼓の音が響いてくる。なんでこんなところに和太鼓が?!
すると突然、洞穴が幅広くなった脇がステージ状になっていて、そこに原始人のいでたちをしたオトコどもが奇声をあげながら、ヤリを構えてわれらを威嚇しているじゃあありませんか。傍らには「ドンコドンコドンコドンコ……」とリズミカルに太鼓を打ち鳴らしているものも。
風光明媚な漓江下りと原始人。どんな関係があるんじゃ。めんくらうぢゃないかっっ。
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驚きはそれだけにとどまらなかった。
たしかトロッコ列車(と呼ぶのもギモンな乗りものなのだが)で移動中、前方からこんどは耳をつんざくような「パォォ〜ン」「パォパォ」というラッパの音がとんできた。うおっ、なにごとか?!
少し上のほうに張り出した岩のステージでこんどは、すその長い衣装を身につけた人間(とおぼしきもの)が並んで、長いアサガオ(アイーダトランペットみたいなの)を吹き鳴らしていた。パォパォ。
…なんなの…。
謎を残しつつ、オーク一行は岡ちゃんに誘導されるまま、うぞうぞと進みつづける。
エレベータで上って外に出たところで、これから40〜50分かけて歩いて下らないといけないと宣告される。ふだん運動不足のわれわれ夫婦はもとより、高年齢のオーク一行には限界がそこまで近づいてきていたのは火を見るより明らかであった。
すると岡ちゃん、画期的な提案とばかりにスゴいことを言いだした。
「ジェットコースターがありますよ」
なにいっ!
じぇ、じぇっとこおすたあとな?!
そんなものがここにぃ?
しかしそれは想像したようなしろものでは決してなく、レール上をブレーキの付いたソリに乗って下っていく、よく日本でも夏のスキー場で見かけるような、あのたぐいの乗りものだったのだ。
ま、言ってみれば子どもの遊戯用っつーか、ゴーカートを斜めにしたようなもんだ。しかし、オーク一行に選択の余地はなかった。50分歩いて下るか、「ジェットコースター」で一気に下るか。全員が後者を選択したのは言うまでもない。
その「ジェットコースター」乗り場までまたうぞうぞと移動し、出発地点というか発射地点というか、その場所から列になって並んでいる、ふたり乗りのソリにおとなしく乗り込んでいくオークたち。恐がるものもいたが、もはや迷っている余裕はない。覚悟を決め、ひとり、またひとり乗り込んでいく。なぜか率先して、皆の安全ベルトを点検してくれているオークまでいる。
数十メートルの間隔で、1台、また1台と発射されていくソリ。…やっとわれら夫婦の番が来た。さぁスピードに乗って疾走…とおもいきや、すぐに先発のソリに追いついた。後発のソリには「こっつんこ」される始末。帽子が飛ばされるかとあらかじめしまっておいたが、無用な心配であった。
それにつけても、雄大な漓江の奇峰の連なりを背景に、必死でズルズル、コッツン…しながら、レールのそこここに点在しているオークたちの姿は、一種異様な調和を醸しだしていたことであるなあ。
と、さまざまな関門をものともせず?われわれはやっとのことで冠岩の出口へとたどり着くことができた。ひと息ついていると、前方の渡し船のようなものに先発のオークたちが乗って、手招きをしている。そこはTVでも放映された、また別の洞窟の入口ではないか。そうそう、ここを、ボートで入っていくんだよねぇ。そうか、まだアトラクションは終わっていなかったのね。ちうごくじんたらサービス旺盛だわ。
皆でこれから始まる新たなる冒険の抱負をアツク語りだしたところで「こっつん」。むなしく船は、対岸に横づけされた。…ちっ、そういうことかい。10mほど進んで終わりだったのかい。
そうはいっても疲れていて一刻も早く座りたかったので、いそいそと遊覧船に戻る。
やがて出航した船内では、昼食が運ばれだした。
旅も2日目に入り、次第次第に同行のオークたちとも打ち解けてきたわれわれ。特に、同じテーブルの隣席についたご夫妻(sさん、70代)には見込まれでもしたのか、それ以降親しげに話しかけられるようになった。
なんでも前線を退いたあと、ふたりで世界中をめぐっているらしい。おなじ大陸内では、つい先日青島Qingdao(Tsingtao)
に行ってきたばかりだという。「私はじつは青島の生まれで…」とご主人。ダンナが「チンタオですか」と相づちを打つと「ちがう、チントォ」とすかさず直された。それからというもの、しばらくはこの「チントォ」の話ばかりするようになった。…彼らは“チントォオーク”と命名された。
船内の昼食は桂林家庭料理といった趣のもので、なかなかおいしかった。水餃子がなかなか。ミネラルウォーター1本と、青島(チントォ)ビールが1本はサービス。追加で桂林ビールを頼んだら、さらにうすいうすいレモン色の、独特のクセのある味だった。どちらかというとチントォびーちゅーのほうが好みだなぁ。
次第に気温が上がってきて、船内にいるとうだるような暑さ。またデッキに出て風に当たりながらしばらく周囲を見渡したり、写真を撮ったり。疲れるとまた船内に戻る…ということを繰り返していた。
船内のシートに座ってうとうとしていると、テーブルにまたしても船内販売要員が巡ってきた。というかこのひとたちは、実はひっきりなしに船内を巡回していたのだ。酒あり、スワトウ刺繍のテーブルかけあり、根付あり、印鑑あり…。
で、また、テーブルかけを手におねいさんがやってきた。寝てるフリ、寝てるフリ。
すると同じテーブルの小母様たちが手にとって吟味しだした。「よしとけよ、お前」ご主人の制止を振り切って、小母様はついにお金を手渡してしまった。しかし。汚れかなにかがあったとみえて、「取り替えてよ」「洗えばダイジョブね、オクサン」「だいじょぶじゃないでしょ〜」ともめている。他人のフリ、他人のフリ。
つぎに、1日で印鑑を彫ります〜というのがやってきた。1個1000円、ちょっと高級な木を使ったやつは3000円だと。と、先ほど奥様をたしなめていたご主人。「おっ、これいいな。買った」と3000円のやつを即決オーダー。…似たものふーふってやつですね。(;^_^A
そんなこんなで5時間ほどの漓江下りも終点を迎えることとなる。
終着点の、陽朔 Yangshuo の街並みが見えてきた。ここは街の中心が漓江にほとんど接している形なので、桂林市内にいるときよりも奇峰のつらなりが近い。船着き場に接岸し、遊覧船を降りたわれわれを待ち受けていたのは「精鋭1000円攻撃部隊」の面々である。
そう、筆のセットがひと箱1000円、扇子のセットもひと揃い1000円…なんでも、ひとの鼻先にむりやり差し出しながらひたすら、「センエン」「センエン」を連呼しつづける、恐怖の刺客部隊である。
目を合わせないようにして歩くのがいちばんだが、「1000円…? 高いよ」と応答でもしようものならすかさず「じゃ、あと○本つけてセンエンね」と、とにかく何としてでも1000円をその手に掴むまでは死んでも離してくれないのだった。
断固無視をきめこんでスタスタと階段を昇っていくが、敵もさるもの、刺客のうち血気にはやる若いモンが2段抜かしでポーンポーンと階段を駆けあがり、先回りしてはまた「センエン」を連呼。あざやかな攻撃だ。感心してる場合か。
なんとか追っ手をのがれて迷い込んだのは、陽朔を有名にした西洋人街、「西街」であった。ごったごたしたホコリクサい土産物店と、西欧風のカフェが混在し、どこの国でしたっけ?とふと考え込んでしまうような通り。さすがに欧米系の観光客が目立つ。思いっきり開発されつくしてしまった桂林を避けて、この素朴な片田舎の街を目指してやってくる欧米系の客を受け入れているうちに、住みつく者もあったりして、いつのまにかこういう景観になっていたらしい。
それでも、街角からは目つきのスルドイアジア系の男たちがこっちをうかがっていたりして、いかにも中国らしいところも残ってる。貧しげな人たちもいる。塀にもたれかかるようにして座っている爺(義足らしい)が、今にも力つきそうになりながら、二胡を弾いていた。カメラを向けてはいけないような気もしながら、撮ってしまった。ごめんなさい。
徒歩での西街観光を終えると、そこは2泊目の宿、新世紀酒店だ。部屋の窓からはすぐそこに迫る奇峰のながめ。スイスの山小屋風ガストホフをお手本にしたようなインテリアで、一見カワイイ!と感激したが、ベッドが堅すぎて閉口した(畳ベッドみたい?!)。
いったんチェックインして1時間半後にまたバスで出かけるということで、思いがけない休息時間が訪れた。熱いシャワーでも浴びて…あれっ?お湯が出ないじゃ〜ん。ショォォ〜ック。しかたがないのでふて寝。…か、かたいっっ。先が思いやられるぅぅ。
ま、いちおゆっくりできて、軽快なTシャツへの着替えもできてちょっぴり復活。バスに戻り、陽朔からさらに南方へ走ったあたりの、高田郷という知る人ぞ知る田園地帯を目指す。
日中の、河から仰ぎ見る奇峰…というのとはまた趣の異なる、ひろびろとした田園の向こうにぽっこりぽっこりと姿を見せている山々も、牧歌的でまたよろし。道々なぜか、ラクダを牽いている人を見かけたりもした。
最初のオススメ絶景ポイントは、中規模な河に架かる橋のところで、水面に映る逆さ奇峰を観るというもの。スイスで「逆さマッターホルン」を見たのを思い出すな〜。ため息が出るほど綺麗。低く掛け渡された電線がなんともジャマだけど。
つぎは、絶景の望めるすばらしき展望台とのこと。
はやるココロをおさえつつ岡ちゃんの指示する方向を見やると、…なんかあばら屋の門の残骸みたいな建造物がたってますけど〜。あれっすか。展望台っつうからもっと高くそびえるものを想像したのにぃ。
バカにしながら階段を昇って、宙に視線をやると、そこは…。
わおっ、これぞ桃源郷〜?!
近景から遠景へ、濃い色から淡色へのグラデーションを描きながら層をなして重なる峰みね。そのふもとに忽然とあらわれた池。池のほとりに鬱蒼と繁る竹林。山影を池に映し、自らは峰のあちら側に姿を隠さんとしている陽のなごり。それらのすべてがひとつに溶けあって、見たこともないような幽玄の境地が眼下に繰りひろげられていた。…岡ちゃん、うたがって悪かったねぃ。
しばし堪能させてもらったあと、再び車上のひととなり、最後はバスから見るというポイント、「月亮山
Yueliangshan」 へ。道路のすぐ脇にある山の中腹に丸い穴が開いていて、角度によってその形が変わる。岡ちゃん曰く「数秒で満月→→→三日月が見られます」とのことだ。にゃるほど。というわけで、漓江下りから陽朔、高田郷までの魅惑の山水の画像は↑こちら(注:画像をクリックすると別窓が開きます)にまとめてみましたです。
ホテルに戻り、夕食まではまたしばしの自由時間。ここでホテル内の店を物色。2時間弱で彫ってくれるという印鑑屋があったので、注文。なんと500円から。…遊覧船内で買わないでよかったよ。
夕食はホテル内レストランで。 ツアー日程には「四川料理」と書いてあって、なるほど麻婆豆腐などそれらしきものも出たが、実はこの豆腐料理はその後も毎回登場した。それから、3日目は昼食が麺料理、夕食は桂林家庭料理とあったのだが、結局はこれらも、メニュー的にはそれほど変化のあるものではなかった。麺料理というのはビーフンなど、米を使った麺のことで、桂林など華南地方では麺といえば米の麺のことらしい。小麦粉を使った料理は同じ大陸でも、北方の文化なんですね〜。まあ今回の料理は総じて、口によく合いましたです。
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夕食を終えてゆっくりする間もなく、漓江名物鵜飼い見学にかり出されるわれら一行。
船着き場でバスを降りると、夜の街に暗躍するセンエン部隊と再会。彼らは観光地という観光地に待ちかまえていて、ツーリストがバスを降りると見るや近寄ってくる。土産物ばかりでなく、ザボンなどの果物も売っている。まさかそんなもん、買うひといないだろ…とタカをくくっていると、さにあらん、赤(バッジ)チームの一員がザボンを購入している姿が目撃されるのだった。
鵜飼いは、夜の漓江に屋形船で出て、鵜飼い船と併走する形で見学する。1艘につき10羽近くの鵜を飼っているようで、それらの首を藁かなにかで軽くしばって魚を飲み込まないようにしてから、河に飛び込ませる。長良川の鵜飼いはいまだもって見たことはないのだが、話によると、鵜を紐でつないだりしていないところが日本とは違っている(らしい)。
船のへさきにとまって、羽を大きく広げてかん高い声で鳴いて扇動しているのはリーダーの鵜なのか。たいていはちっぽけな獲物しかとれないが、たまに大きな魚(草魚とかでしょうか)をくわえて上がってくるものもいて、おおーっと歓声が上がる。最初はおもしろいけど長時間見てるとけっこう飽きてくるかも。
バスに戻る道すがら、岡ちゃんをつかまえて「部屋のシャワーのお湯が出ない」旨を強くうったえる。だが、岡ちゃんの口から出たことばは…「そんなわけないヨ」「ワタシの部屋では出ました」「もいちど、戻ったらやってみてくださ〜い」。をいをい〜、それが客に対する態度か。
だが、ホテルに戻ってからもうったえつづけた結果、後で点検してもらう約束をなんとか取り付ける。部屋に戻るやいなやホテルのサービス係がやってきて、蛇口をひねる…と「…OK」とうなずく。なんと、ちゃ〜んと熱いお湯が、出てますね?! どうゆうこと?
昼間は出ていなかったことは間違いないのでどうしても腑に落ちなかったが、ともかくも、苦情を申し出てすぐさま対応してくれた岡ちゃんには感謝をせねばなるまい。
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さてさて3日目。
朝食場所として指定されたレストランにおもむくと、Maldivesでもおなじみの卵焼きコーナーが目にとまった。好みの焼き方や具材でオーダーすると目の前で焼いてくれる、あれである。前日の桂林賓館では肝心の料理人が行方不明で欲求を満たせなかったため、よしきょうこそは…と列に並んだ。
料理人はふたり。ワタシは右列に並んだ。左列には小母様がひとり、指示を出している。ダンナ談では、それは赤(バッジ)チームの構成員らしい。
しかし日本語ででもハッキリと意思表示してくれれば手助けもできようものを、わけのわからない身ぶり手ぶりで「もごもご」言っているだけなので、料理人もどうしていいのか困ってしまっている様子。どうすんだろ…とやじ馬根性丸出しで見守っていたが、右列が進んでいよいよワタシの番が来た。さぁオーダーを、と口を開こうとしていた、その瞬間。
いきなり小母様が、目の前に並んでいた具材の中からタマネギのみじん切りをぐわっとすくうと、いままさにワタシが注文をつけようとしていたフライパンめがけて、投入しやがった!!
じゅわ〜〜 めらめら
フライパンが炎上した。ちょっとぉ、なにすんのよババァっっ!! それはワタシのフライパンよっ。
フッフッ…とあわてて消火を試みる料理人に、自信に満ちたひとこと。
「いいのよォ。中華料理なんだからネ」
ち、ちうかりょおり……ただの卵焼きでは?
ワタシの料理人はしかたなくタマネギを炒めて、ババ…いや小母様の目の前の料理人のフライパンの卵液のうえに乗せた。どうもバ…小母様、ここはちうごくということで生焼けの料理が心配だったようで、しっかり火を通してくれと、ずっと主張していたつもりだったらしい。
ふたりの料理人は呆れた表情でお互いの顔を見合わせ、広東語か何かでひとこと、ふたこと何か会話している。おおかた「こまったちゃんだぜ〜」「ニホンジンはこれだから〜」とかなんとかしゃべっているんだろう。ちがいます、ニホンジンでもこいつは特殊な部類に入るのです。広東語ができたら弁明したのに。恐るべしたまごオークめぇぇ。
そんなハプニングがありながらも、ホテルを出発。
ゆうべ部屋にマッサージを呼んでもらい、瀕死の状態からみごと復活を遂げてしまったらしいオークの群れを乗せたバスは陽朔をあとにし、田園地帯をひた走る。桂林市内までは2時間弱で到達するが、その中間地点に最近できた「世外桃源」という、“変なテーマパーク”(from『地〓の歩き方』)に立ち寄った。
門をくぐると、意外に広大な池(中国四大美女、西施ゆかりの“西湖”のいめえじ?)があり、遠方にそびえる奇峰を借景に、ままいい眺めではないですか。そこを手漕ぎの屋形船(Maldivesの“ドーニ”みたいの)で巡っていくらしい。乗りもので移動できるのはありがたい。どんどん行きませう。
ここはさまざまな少数民族の踊りやら歌やら、風習やら、生活のようすやらを見せてくれるという場所のようだ。池のほとりの社のようなものに船が近づいていくと、スタンバっていた色とりどりの衣装を身につけた若者たちが芸を披露してくれたり、草むらに水牛を牽いて畑を耕す人がいたり、川べりに洗濯している女性たちがいたりする。これはまさしく、中国少数民族版「ジャングルクルーズ」だ。いや、生きた人間だけでアトラクションを構成しているあたり、かのディ○ニーラ○ドの上を行っているかも。
敷地のはじっこのほうでは、ただいま建設中の施設が見えた。あれはもしや「世外桃源シー」?
ひとつの社の前で、半裸でヤリを構えて踊り狂う若者を鑑賞しながら、はたとあることに気づくあねもね夫婦。
そうか、あの原始人は…。そう、昨日、漓江下りの中途で立ちよった、冠岩の洞窟で遭遇した、あのやからだが、あれはこういうことだったか。少数民族のいでたちをあらわしていたのか。
それならそうと言ってくれよぅ。
オカに上がると、今度は先ほど水の上から見学した社に入っていくということのようだ。ピンクの民族衣装と、華やかな帽子をつけたおじょうさんたちが2列に並んで花道を作ってくれている。われわれ観光客の耳たぶをさわったり、足をきゅっと軽く踏んだりしてくる。あとで聞いたら、これはこの民族の風習で、好きな男性に気持ちを打ち明けるときのしぐさなんだそうだ。
笑顔で太鼓を叩いているおじょうさんもいる。とにかく、どのおじょうさんもホントに自然にニコヤカに微笑んでいて、可愛らしいったら。もちろん営業スマイルだということはわかってるけど、ほんとうにお日様のように笑っているんだもん。
その笑顔に財布もゆるんで、トン族の手織物実演販売のコーナーでポシェットを購入してしまう。このポシェット(って死語?)がのちのち、青(バッジ)チーム・赤(バッジ)チームの大姉様がたの注目のまとになるとは、このときは予想だにしないことであった。「あら、これいいわねぇ。どこで売ってたの?」「ああ…これはですねぇ」同じことを少なくみつもっても20人には説明する羽目になった。…似たようなもんが横浜にも売ってたの見たことあるけどねぇ。じつは。
てなわけでそんなクルーズの画像をまとめましたので左上の画像をクリックしてつかあさい。
ふたたびバスで数十分で、もう桂林市内に戻ってきた。また運ちゃんがけっこう飛ばしたもんで、命がいくつあっても足りないといった大陸のバスの旅であることだなあ。
あれ…戻ってきたと思ったけど、桂林ってこんな街だっけ?
見れば見るほど、まるで初めての土地のよう。それもそのはず。
1日目到着したのは深夜。翌朝は、市内をほとんど通過しないまま郊外に抜けてしまったのだし、桂林の中心地を明るい時間に見るのは、これが初めてだったのだから。
それにしてもこんなに都会だったとは。道幅が広州よりさらに広い。奇峰の景観を損なわないようにとの配慮か、建物は上方向によりも横方向へと伸びるように作られている。それでも土地がありあまっているので密集しているという印象はまったくない。それに、なにもかも新しくて小綺麗である。
桂林の歴史じたいは古い(注:秦の始皇帝の時代から約2000年)が、このようにまちなかの開発が進んだのはごく最近なのだろう。水がきれいな土地柄、精密機器の工場などもつぎつぎ建設されているようだ。あの漓江から望む山水のイメージからは想像しがたい、地方都市の発展に目を見張るわれらであった。
レストランにて昼食をとったあと、市内観光、まずは「象鼻山
Xiangbi shan」へ。
まるで漓江に鼻をつけて水を飲んでいる象のように見える山は、実物を見ると圧巻。桂林のシンボルなので、土産物に描かれることの多い題材だ。沖縄本島の万座毛のようでもある。
つぎに新解放橋を渡って、「七星公園
Qixing gongyuan」へ。園内の山の並び方が、北斗七星に似ているというがよくわからなかった。
バスを降りるとまたしても「センエン部隊」が急襲してきた。こんどは新手の商売、焼きグリ攻撃だ。かまどから炭を掻きだすときのようなスコップの上にクリを乗っけて、やにわにひとの鼻先におっつけてくる。いらないっつーの。こんな暑いのに買うひとはいませんて。
ここでは、やはり桂林のシンボル、「駱駝山 Luotuo shan」の前で写真を撮ったあと、動物園に行ってパンダを見た。パンダは横になった顔と、オシリだけ見た。肝心のパンダより、パンダ舎の周辺の「センエン部隊」のほうがよぉく見えた。
さてバスに乗り込んで…と、前のほうの座席の上に乗ってる物体を見てひっくりかえりそうになった。
だれかが焼きグリ買ってるし…。(-.-;)y-゚゚゚
一行が疲れてきたあたりでバスは中国茶芸実演販売を行う店へ。
日本でも静かなブームになっている、いわゆる茶芸館かと思いきや、だだっぴろいドライブインのような建物の中で、数グループに分かれてテーブルに付き茶芸の実演・口上を聞いてお茶を試飲する、といったものだった。期待したような情緒というものはないのだった。
しかしその店で運命的な出逢いが。
なんともグロテスクないろどりの超キュートなカエルの茶壺(チャフー
chahu)。ダンナは気持ち悪がっていたけど。 ご予算が許せば、ぜひ手に入れたいっ! しかし、思ったより高価だった(値引きはないらしい)ので、そんな気軽に買えるようなシロモンではなかった。く、残念。苦しまぎれにこっそり写真だけ撮らせていただき、楊枝立てと桂花緑茶を購入。
そのあとはダンナが大いに期待するところであった、山水画の専門店へ。
をを〜、あるある! 数はいままで見た土産物店の非ではない。しかし価格も非ではないときた。
名のある作家の手になるものは10万円以上が相場。けどここは中国だい。ディスカウント天国だい。
しかし敵も慣れたもので、なかなか理想的な値まで下げてこない。いたく気に入った画があったのなら多少無理をしてでも買うが、まあいいか、これでも、という程度のものしか見つからなかったから、妥協はできない。
結局ワタシはここで画を買うことはあきらめ、桂林名物の桂林三花酒や桂花酒をせっせと値切り、購入していた。最後まで悩んでいたダンナもふんぎりがついたようで、いっしょにバスに戻る。するとさっきまでダンナ付きだった店員が追いかけてきて、最終兵器を繰りだした。「2万円でどうですか」
10万円以上のものが、そこまで下がるとは。半値に値切れれば上出来と聞いていたが、なんと5分の1以下になった。驚きをかくせなかったが、それでも高い。振り切るようにバスに乗った。
続いてシルク工場へ。併設の店舗ではシルク製品が買えるらしい。
入ってすぐのスペースで、繭から絹糸をとる工程とか、フトン綿を成形する実演を見ながら「こぉんなの田舎でさんざんやらされて、見飽きちゃったよ〜」という声がした。その落ちくぼんだつぶらなヒトミの小父様は、オーク金子だった。群馬から出てきたオーク金子にとっては、“かいこ”や絹製品にまつわる諸々は幼い時分から慣れ親しんだものなのだ。
ワタシも幼少のみぎり、群馬に住んでいたことがあって、よく桑の実を取って口のなかを紫色にしていた、なんて話しかけると「お〜そうよ。ドドメはよく食べたもんだ〜ハァ」とうれしそうに答えた。ちなみにドドメというのは桑の実のことだったらしい。
一室でなぜかファッションショーなども行われていたりするその工場に併設されただだっぴろい売り場で、シルク製品をかたっぱしから吟味。国営施設のため値引きはダメとのことだったが、勇気を出してうろ覚えの北京語で「多少銭?」と尋ねたところ、定価そのものがけっこうおもとめやすいお値段。シルクの下着の上下なんていかがっすか、奥さん?
その後1泊目と同じ、桂林賓館にチェックインし、少し休憩したあとでふたたびバスに集合。
(余談だが、部屋でくつろぎ中にTVをつけたら、民族楽器の青少年コンクールの優勝者かなにかの演奏を流していた。二胡の少年がめっちゃ上手くてかんげきっ!! 画像はまるきりの別人ですけど…。大陸は広いわ…)
繁華街の入り口でバスを降り、「桂林正陽街」という歩行者天国を散策しがてら通り抜けて、夕食をとるレストランへ徒歩で向かう魂胆らしい。
夜の桂林はそれはそれで、昼とはまったく違った華やかさがあった。色とりどりのライティングに浮かびあがる橋。日本のレインボーブリッジなんて、足元にもおよばないであろう絢爛な眺めである。ある意味、“やりすぎ”の感も否めないが、上海ほどのちぐはぐさはない。発展途上の街だからこその、綿密な都市計画がうかがい知れるところである。
桂林正陽街というのは、ひらたく言って旧軽井沢銀座みたいな雰囲気の、小綺麗でなかなか魅力的な通り。ちょっぴり作られすぎの気もするが、飲茶の店とか屋台が点々とあるのにはついついココロひかれてしまふ。それでも、事前に岡ちゃんから「スリが横行しているので用心してください」と言われたため、あたりに目配りしつつオーク全員でピッタリ寄り添うようにして行進。とてもそぞろ歩きを楽しんでるようには見えない、奇妙な一行。地元っ子には甚だ迷惑な団体だったに相違ない。
やがて河のほとりの美しい通りに出た。公園になっているようだ。詩仙、李白の像も立っている。そして河の対岸には金色と銀色の塔がふたつ並んでいる。あれはナニ? 帰国後ネットで調べたら、朝陽雙塔の金銀塔群というのがそれかもしれない(未確認)。そういうことにしておこう。…岡ちゃん曰く、中は海鮮レストランになっているらしい。その金銀タワーを見ながら語らうのが今日びの桂林loversのトレンドらしい。
公園の横に目指すレストランはあった。テーブルセッティングを待っているあいだ、併設された土産物店をまたも物色。探していた梅干しに近いものを見つけ、跳びあがらんばかりに驚喜しつつ購入。ここではお釣りを100円玉と500円玉で渡された。コインまで流通しているとは。
夕食が終わり、通りで待っているバスに乗り込もうとしたところ、6、7歳とおぼしき少女が花を手に近づいてきて「ヒャクエン、ヒャクエン」と訴えかけてきた。誰も買ってくれないと知ると、泣きじゃくりだしながらすがりつく。こんな遅い時間に子どもひとりで。みな一様にやるせなさを押しとどめながらバスに乗り込む。
「いや〜、かわいそうだった」あねもね夫婦の少し後ろのほうから、脳天から上に突き抜けるような、あの聞き慣れた声がした。オーク金子だ!
「おりゃ〜泣いちゃったよ。いや〜、かわいそうだよォ。100円持ってたら、おりゃ買っちゃった〜ハァ」
突き抜けた口調に皆思わず笑いを誘われつつ、心根のやさしいオーク金子のコトバの裏にひそむふかあ〜いアイロニーに共感をおぼえる一同なのであった。
その後はバスの大半が参加するオプショナルツアー(少数民族舞踊ショー)にも参加せずホテルに戻ったあねもね夫婦。ホテル前の池のほとりをおっかなびっくり散策したり、ホテル内の売店で掘り出しものを手に入れたりと、動かないカラダにむち打ってせいぜい最後の夜を蠢きつづけたのであった。
長いように感じつつあった大陸の旅もついに4日目、最終日となった。
桂林から広州へはまた国内便(中国南方航空 CZ3302便)にて移動。朝9:35発なので、朝食を取ったら即出発、という感じだ。
両江空港に着いてしばらくは時間があったので、ダメオシとばかりに売店をうろつく。桂林みやげを買えるのはここが最後。滞在中に体得した交渉術を巧みに行使し、まあまあ気に入った山水の掛け軸を、1万円から4000円に値切って獲得したあねもねダンナも、とりあえずは満足したようすである。
岡ちゃんこと董さんとも、ここでお別れ。いくつか“?”なことはあったが、彼のおかげで終始楽しいバスの旅だったことを感謝。
座席につくと、ほどなくして離陸。機は水に恵まれた大地を離れ、ぐんぐん上昇していく。
さらば、桂林…。
なごり惜しげに眼下に奇峰を見やりつつ、それぞれ隣席になった同じツアー客どうし、桂林の思い出話に花を咲かせていたわれわれを、この旅最大の戦慄の瞬間が待ち受けていた。
ぷしゅ〜〜〜〜
ん?
なんの音? ……まっ、まさか…(冷や汗)。
キャビンにざわめきがひろがる。たしかに、気密が漏れているような、音がしている。
それは、われわれ夫婦の3、4列ほど前方の、ドアのあたりから聞こえてきていた。脳裏に、以前見た、ドアが外れて人間が吸い出され、機体の上部が吹き飛んでしまったハワイの某航空会社の大惨事の報道写真の記憶が鮮明によみがえる。
ここで死ぬのかな…。一瞬、最悪のシナリオがよぎった。
異変に気づいた現地係員のひとりがその席の乗客と席を替わり、乗務員に通報。やがてやってきた乗務員がドアの様子を点検し、コックを回すと、やっとその空気音が止まった。
ざわめきが安堵のため息に変わった。命がつながった〜。
正常な思考が戻ってきたためだろうか、唐突に斜め後方からの聞き慣れた声が耳に入ってきた。
「頭のうえのエアコンを調節しようとしてさ、イヤちょうどいいところに取っ手があるな〜と思ってつかまったんだよな。そしたら『ぷしゅ〜〜』って音がするもんで、イヤ〜、びっくりした〜ハァ」
それはまぎれもなく、オーク金子の声だった!!
一瞬、乗客乗員全員の命が、この人好きのするひとりのおっさんの手に握られていたのだ。なにかやってくれるとは信じていたが、まさかこれほど大それたことをやってのけるとは。怒りやら呆れやらを完全に通りこして、もう畏敬の念すらおぼえてしまったのだった。
つかの間の臨死体験をしたわれわれを乗せた機はそののち何ごともなく航行をつづけ、もときた広州白雲空港へ無事着陸。広州もあいかわらず、ピーカンなのだ。
1日目と同じ豪華バスに乗り、1日目と同じ朱嬢と再会。そのままバスは日程最後の観光ポイント「陳氏書院
Chenshi shuyuan」へ。陳氏、つまり陳さん一族の宗祠兼学校ということらしい。今は民間工芸博物館としても機能しているようだ。期待しないで訪れたら、建物に施された彫り物などの装飾に思わず目を見はらされた。清の時代のものだからそれほど古くはないのだが、彫刻だけでも一見の価値あり。行ったときにはちょうど、修復中ではあったが。
屋根の細工物を眺めていると、突如として轟音があたりに鳴りひびき、信じられないほどの低空飛行で旅客機が上空をかすめていくのに遭遇。市街地にほど近いところに空港があるため、ときどき飛行機が視界を横切ってそのたびにびっくり。ちょうど、昔の香港のようだ(行ったことないので、あくまでも想像ですが)。広州も近々新白雲空港という新しい空港が郊外にできるとのことで、この光景もそろそろ見納めなのかもしれぬ。
朱嬢に案内されて工芸品を見てまわっているうちに早くも飽きてきたあねもね夫婦、書院のひとつで茶葉や茶道具を販売しているのを見つけるとつい、禁断の単独行動に出、蓋椀と聞香杯を買いもとめてしまうのであった。
大陸最後の食事をということで、初日にも書いた広州三大酒家のもうひとつ「北園(ホクエン)酒家」に到着。ここでは、広東名物の飲茶食べ放題を楽しませてくれるという趣向なのだ。
じつはこの店を、あねもね夫婦は見知っていた。某国営局の「味わいパスポート」という旅グルメ番組で、益子直美氏が広州の飲茶を初体験していた店がここだったからである。ガイドブックによると「十代名菜」を創りだした店として名高いそうだ。庭をぐるりから見ながら優雅に美味しいお茶と点心を楽しむということらしいが、案内された2階の大広間は満席で、まさに食はここにあり!といった賑々しさであった。
円卓につくと、エビ蒸し餃子や小籠包、焼き餃子などの点心がつぎつぎに運ばれてきた。各テーブルにレシートが配られていて、あとは気に入った点心を注文してくださいというシステムになっているらしい。甘いお菓子とかもいろいろ食べたけど、結局最初のエビ蒸し餃子と焼き餃子がおいしかったかも。
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皆がほぼ満腹していたころ、ひとりの日本人客がなにやらわめき散らしているのが目に入った。あれは赤(バッジ)チームのテーブル。その小柄なおじさんは、以前から何かというと難癖をつけてはどなりちらしていたのだった。ああいう輩がわが青(バッジ)チームにいなくて、ほんとによかったよ。
そろそろ空港に戻るときが来た。バスに乗りこむと、斜め後方からまたしても慣れ親しんだ、あの声が聞こえてきた。
「…あれェ? なんだァ。タマネギ売ってんのかとおもったら、ちがうのかァ」
道ばたでザクロを山と積んで売っているのをオーク金子が、窓から覗いて、思ったままを素直に口にしていたのだった。
なんであれがタマネギに見えるんだっ……。
つづいてオーク金子は、こうも言う。
「イヤなに? あのオヤジは前から怒ってんのかァ」先ほど北園酒家でどなりちらしていた、小柄なおじさんのことだ。オーク金子ともあろうひとがうっかりしたことに、いまのいままでその怒りんぼおじさんの存在に気づかなかったらしい。
「そうかァ。前から怒ってんのかァ。あいつはバカオヤジだな。正真正銘のバカだ」
大声でバッサリと切って捨てたかとおもうと、つぎの瞬間には意外なコトバが彼の口をついて出た。
「イヤ〜そんならオィも、あっちの青組の仲間に入れてもらやよかったなァ」
お湯につかってでもいるようなのほほ〜んとした口調に、バス後列席一帯は笑いの渦に飲み込まれ、それを聞いてますますおじさんは調子に乗りまくり、外野は笑って、笑って、笑いつづけ…。
ついに、バスは大陸の旅の出発点、広州白雲国際空港に到着したのだった。
とうとう大陸ともさよなら、である。
出国手続きの入口からは、この地で世話になった朱嬢とも別れ、とうとうわれら赤・青(バッジ)チームニホンジンの真価が問われるときがきてしまった。
この旅最大の緊張を強いられるときである。
(1) 係員に空港税の半券を切られる、(2)荷物をX線に通す、(3)パスポートのチェックを受ける、(4)チェックインカウンタへ進み、JAS係員に航空券を渡しチェックイン、(5)2階へ移動、(6)パスポート、搭乗券を用意し、団体ビザの順に整列して出国審査を受ける、(7)手荷物検査とボディチェックを受ける…という、合計7つもの関門が待ちかまえているのだ。それが済めば、晴れて自由の身だ。搭乗ゲート前で、最後の免税店を見るもよし、軽食を取るもよし、だ。
数名の顔は完全にこわばってる。「添乗員なしってのはあんまりよねぇ〜」自分で添乗員ナシの格安ツアーを選択したはずであるのに、なにを血迷っているのか、こんな泣き言まで吐きはじめる始末。かたやこちとら、添乗員つきのツアーの経験のほうが少ないくらいのあねもね夫婦。慣れたもんだ。どうにかなるさといった余裕のぶっこきようである。
そんなワタシをあざ笑うかのごとく、悲劇は足音もなくやってきた。
関門(3)までは苦もなく通過し、(4)でのチェックインを終えれば残り半分。楽勝っ。
「航空券を出すんだってさ」周りの小母様の声にうながされ、パスポートといっしょにして右手に持っていた航空券を…あれ?航空券を…あれっ?! ない、無いよ〜???
瞬間、頭のなかでなにかをつなぎ止めていたものが「ぷっち〜〜ん」と切れた。
手荷物のリュックをひっくり返して、さがす、さがす、さがす。周囲のオークたちも、異変に気づいてざわつきはじめる。
「え? ないの??」「来るときにどっかで落っことしたんじゃないかしら」「オオ〜イ、みんなで手分けして探そう!!」ひとりが音頭を取ると、それからはすばやいもの。全員で手分けしてスーツケースをひとつひとつずらし、床をさらいはじめた。4日間のバス旅行で結ばれた結束はとてつもなく固かった。皆がただひとつの目的のために協力しあって何かを為すすがたは、神々しくすら見えた。感動している場合じゃないって。
(絶対に右手に持っていたんだ。まちがいない。空港に入ったときに、必要なものをまとめて手に持ったんだもん)
かたくなに信じつづけるワタシ。日本語が堪能なJASの係員にも頼んで、(1)〜(2)のあたりを探してきてもらったが、影も形もないというむなしい返事。さっきここに来るあいだにぶつかった人物のことが頭を離れない。
(スリだ。絶対そうに違いない。最後の最後でこんな目に遭うなんて。よりによってワタシがぁ)
(航空券がないかぎり、日本には帰れないだろう。少なくとも数日は。なんとかして、団体ビザの残りのみなさんだけでも無事に帰れないだろうか)…もう先々のことまで考えていた。
「もう1回、リュックのなかを見てみろよ」あねもねダンナがうながすが、そこはさっきから何回も見てるんだもの。それにワタシは確かに、手に持って…叫び出したくなるのをこらえつつ、じゃもう1回だけ…リュックの奥を、手で左右に探った。ビニール製の青い袋が、手に触れた。
(?)
それは初日の成田で旅行会社から渡された、渡航に必要な書類・備品一式を納めるための袋だった。ほんの少し、イヤな予感がした。
予感は的中した。その袋を開けると、見まごうはずもない、航空券が…、見えていた。節穴であるワタシの目にもはっきりと。
(あ……っ……た……)
その場によろよろとへたり込みたくなるのを必死で耐えながら、「ありました〜〜」と気の抜けた声を出した。
「あったの?」「よかったわねぇ」「よかったよかった。これで帰れるねぇ」
みんな、集まってきた。そしてワタシが手に持って見せた航空券を値踏みするように見て安堵したのか、口々に温かいことばをかけてくれた。責める人はだれもなく、皆が笑っていた。
「すみませんでしたっ、ご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさいっ」
全員に向かってぺこぺこ頭を下げながら、そんなつもりはないのに涙があふれてきた。張りつめていた気持ちがいっぺんにゆるんでしまった。それを見てびっくりした小母様がたがまた「あれあれ、泣かなくていいのよ〜。かわいそうにねえ。びっくりしたよねえ」と慰めてくれた。
「あのひとたちのこと、さんざん“オーク”とか言って馬鹿にしてたから、最後にバチが当たったんだね」ダンナも、ワタシの罪を追及するでもなく、小声で言った。
本当にそうだなあ。今回は、オークに教えられたよ。←だから〜だめだっつーの〜
なんだかすっかりへこみきってしまったワタシを含めた一行がその後、数々の関門を勇敢にクリアし、無事搭乗ゲートに到達したことは今さら語るまでもないことである。
くったくた〜に疲れたし、最後まで予期せぬことは起こりっぱなしだったけれど、過ぎてみれば楽しいことばかり思い出すゲンキンさ。桂林の山水よありがとう。そして、愛すべきわが青(バッジ)チームよ、ありがとうよっっ! よしっつぎは北京への逆襲だな、待ってろよ大陸ぅぅぅ……。
平均年齢60歳以上、若干例外あり…の、端から見ればまことに奇妙奇天烈なご一行を乗せ、30分以上遅れでゲートを離れたJD828便はおもむろに帰国の途についたのであった。もちろん、今度は臨死体験もナシ、であった。…めでたしめでたしか?
※オマケ※ そんな桂林みやげの数々。見てみるぅ?