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トンポーロー(豚の角煮のようなもの)などは醤油系の、甘辛な味つけでおいしくいただけたのだが、期待していた上海ガニもむむむむーという味わいで(あの、現地のひとがナンでもカンでもひたして食べる、スッパショッパイつけ汁がどうもイタダケナイ)、魚介があまり得意でないあねもねダンナはもとより、シーフードに目のないあねもねですら、これ(=リバーフードとでもいうのだろうか)はナカナカ手ごわい敵だぞ〜と、オビをひきしめた上海初日の夜なのであった。
(いやしかし、まだ到着日だというのにこんなに語ってしまった。この先が心配だ)
明けて2日目、きょうは大晦日だ。
本来ならばけさはワタシひとり黄浦公園にて太極拳を習い、ダンナと弟らは市内のたのちそう〜なスポットの観光へ…というサミシイ予定だった(→詳しくはここ)のだが、寸前でからくもその事態は避けられたようだ。ホテル前で記念撮影などすませると、無事に4人そろって、最初の目的地、「豫園
Yuyuan」エリアへと出発。
思いっきりディープな中国に触れたいと考えていたわれらあねもね夫婦は、上海の浅草ともたとえられる小吃(シャオチー)と土産物屋のワンダーランド、豫園エリアを訪れるのをそれはそれは楽しみにしていたのだった。
豫園とは16世紀に四川省の高級役人、藩さん(フルネームは漢字が表示できないのでパス)という人が老父を喜ばせるために私財を投じて造った庭園なのだという。敷地の中心地の池のほとりに位置する「湖心亭」という建物は、現在ではシャオチーの食べられる茶店となっているが、上海租界時代(租界については歴史教科書をひっくりかえしてみておくれやす)にはイギリス軍の司令部がおかれていた。そのためか、太平天国の乱や日中戦争時には破壊されつくしたというが、現在は完全に修復されている。
その庭園内をぐるりと見てまわるのも楽しそうだが、なんといっても、その豫園の西側に広がる巨大な商店街「豫園商場」が今回最大の目的地といえよう。
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タクシーを降り、歩行者天国に一歩足を踏み入れたとたん、朱色と黄色と金色と…の極彩色にいろどられた、胸おどるまさにワンダーランドが姿をあらわした!
春節を迎えるとあって、いつもよりよけいに飾りたてられたに違いない(どこを見回しても、ランタンと爆竹の飾りの群れ!)が、聞きしにまさるハデさである。これは期待できそう。
ふと道ばたをみると、見なれた赤いカンバン…マクドナルドだ。ん?違う??
カンバンには「麦当(くさかんむり+わかんむり+力)」の文字が。←漢字出ないのでわかりにくくてごめん
ここ中国では、マックも「麦当(くさかんむり+わかんむり+力)」、ケンタは「肯徳基」なのだ。
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まずは朝ごはんだ。イーちゃんがおすすめだというシャオチー(=点心といったほうがわかりやすい?)、肉まんじゅうの食べられる店をもとめ、歩きまわるが、どこも今は純粋な肉まんでなく、カニ味噌入り肉まんしかおいてないらしい。どうやらこれも、今のハヤリらしいのだ。あくまでもピュアな肉まんにこだわるイーちゃんにゾロゾロとついていくだけのわれわれ。
やがて見切りをつけ、大衆食堂のような、学食のようなだだっぴろい店に入る。屋台村に屋根がついたようなものだろうか。テープルの周りにカウンターが取り囲み、さまざまなメニューを選べるようになっている。カウンターで選んだものはセルフサービスでテーブルに運ぶが、ワゴンで飲みものなどを売りまわるおねいさんも何人かいる。
ここでは、「焼きまんじゅう」のようなものと、春巻き状の具が浮かんだ「春雨スープ」を食す。これこれ、こーゆーものが食べたかったのだよ、ウン。
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さて今度こそは、豫園めぐりかはたまた土産物色か…と思いきや、アマ〜い。
上海といえば言わずとしれた「小籠包子(ショーロンポウ)」、小籠包といえばここ、豫園ではないかっ。とゆーわけで次は行列のできる専門店、「南翔饅頭店」へ。
並んでみるとやはりこの待ち時間はハンパなもんではないと思い知る。弟夫婦の並んでてあげるよーということばに甘え、周囲の土産物店を下見にいくことに(まだ円→元への両替をしてなかったので、先立つものがなかったのよぅ)。
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とりあえず手近にあった一軒の店へとびこむ。ワタシもダンナも見てみたかった、チャイナ服をものほしげ〜に見ていると、来た来た、売り子さんが来たよ。日本語で、○○元ダヨ〜、安いヨ〜と攻撃開始。
モノがいまいちよくなかったので、ワタシはしらんぷりんこしてべつのコーナー(茶器セットなんかも、ほしかったんだよね)をいろいろと見たりしていると、ダンナが本日の有力ターゲットに定められたらしく、さらに強力な攻勢をかけられているようす。
カネもないし、このままじゃヤバイとそそくさ〜と店を出ようとすると、「ヤルネオ客サン、そっちがその気なら〜」となんと最初の言い値の半額まであっさり、下がってしまった。ホントに帰りたいだけで値切る作戦ってわけじゃないんですがー。もしもしー。
なんとか追いすがる妙齢の小姐たちをふりきり、小籠包まちの列へ生還。またも戦列をはずれつつ今度は、ガラス越しにシャオチーを作る職人さんたちの手元にしばし見とれる。
そしてやっとわれわれの番が来た。上海が世界に誇る味との邂逅である。
イーちゃんの教えどおりに、小さくひと口かじって、こぼさないうちに中のスープをずずーぃと吸ってから、ゆっくりと外側のプリプリモチモチした皮と具のお肉をかみしめるように味わう。
絶句! なんなのぅ、この味は〜っ!!!
(陳腐なことばしか出てこないのがなんかくやしい)
こんなにうまい小籠包にめぐりあったことがあっただろうか。否、今まで食べてたのはありゃ、まったくべつの食いモンじゃっ! あ゛ー思い出すだけでもハラが鳴るうぅ。
イーちゃん曰く、上海とかこの地方で食べる肉まん類はこのように、モチモチした皮を使っていて、中の具もきっちりま〜るくこねてあり、これがホンモノなんだと。日本で食べるフワフワした皮と具がまとまりのない肉まんは、肉まんじゃないんだって(ああいうのは香港とか、広東のものなんだって)。そこまできっぱり言いきらなくても…とすこしは思ったが、この小籠包を口にしたあとではもう、100%賛成してもいいや!と、ワタシをしてそこまで決心させるほどの、ぅんまい小吃であーりました!
興奮冷めやらぬまま、入り口で落ちあったウェイウェイをともなって豫園園内へ入場。銀行を見つけて軍資金も手に入れていた。
中国ならではのそりかえった屋根がみたい、というもっぱらダンナによる熱烈な要望ではあったが、いざ実際に見てみるとなかなかおもしろい。敷地の中には石・池・樹木・そして屋根のそりかえった建物がバランスよく配置されていて、そぞろ歩きもけっこう楽しめる。ものすごい岩山の上に立てた楼閣など、よく思いつくもんだなと感心したり、塀の上のかわらがヘンなかたちだなぁ…とよく見れば、ぐるりと龍が乗っかっていたんだとわかったり。
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しかしいいかげん、ふだんの運動不足がたたったワタシはすっかり足にきていて、ここらでひと休み…と思っていたらおあつらえ向きにお休み処発見。ぬわんとぬわんと、無料でお茶をふるまってくれるとゆうじゃあありませんかっ!
正式なお作法でいれてくれるらしい。石のお盆の真ん中に急須があり、まわりにお猪口くらいにちっさい湯のみが取り囲んでおいてある。まずは、茶葉を入れずに急須にお湯を入れ、湯のみに回しかける。それから茶葉を急須に入れてお湯をそそぎ、またもやすぐにまわりの湯のみに回しかけ、捨ててしまった。しかるのちにまた湯をそそぎ、今度は急須にふたをした急須の上からさらに熱湯をかけて蒸らす。数分待ってから、いったんべつのマグカップ状の容器にお茶をあけ、それをこれもまたお猪口のような細い筒状の湯のみになみなみとなるまで均等についでいく。きれいな黄金色に輝くお茶の色である。
それをどうするのかと思ったら、筒状の湯のみ(あとで調べたら、これを聞香杯というらしい)の上に広口の湯のみを逆さまにかぶせ、ひょいと一気にひっくりかえしたではないか。その状態でわれわれの面前に差し出され、聞香杯を静かにあげてくださいという。2種の湯のみはピッタリ容積がいっしょのようで、広口湯のみの中でもお茶は表面張力をたもっていた。おおお、びゅーちふる、わんだふるっ!
聞香杯をどうするかというと、文字どおり鼻にあてて香りをかぐものらしい。かぐわしき茶葉のかほりに、鼻孔もよろこぶというものだ。気分も爽快となり、気のせいか体調もよくなるみたいだ。
イーちゃんが「こうするのよ」と目にあてたりしている。それもOKらしい。目の疲れがとれるぅ。
こうして中国茶を堪能させてもらったが、お察しのとおりここは中国、タダでは帰れないのであった(いやほんとは、帰ってもいいみたいだけど)。もとより茶器がほしいな〜と思って上海入りしたワタシは、ここで取り扱っている茶器のヨソではお目にかかれないほどのすばらしさ(紫砂陶器といって、保温性にすぐれてますしー、ぶつけたくらいでは割れないほど丈夫ですしー、宵越しの茶でもタンニンは出ないんですー、等々のウンチク)に魅入られてしまい、もはやここで茶器を買わずにおくものかー!と決意を固めていた。だってアータ、目の前で売りモノの急須をガンガンぶつけてみられてごらんなさいよ。これはホンモノだ、ここで買わなきゃイカンと、誰もが思うじゃないですか(偽物が多いと聞くし)。それに、両手にすっぽりとおさまるサイズの小ぶりなヤツで、注ぎ口が短くて愛らしい急須が「ワタシを貰って頂戴」と秋波を送りつづけているというのに、誰が無視できようか。←阿呆ですな
中国の物価からすると決して安くはない買いものだったが、フルセットに茶葉を2カン分つけてトータル1150元を820元(注:当時1元=15円くらい)にしてもらい、大・大満足のあねもねであった(ひとつ気がかりなのは、ワタシが買ったのがあのガンガンやられたやつだということくらいか)。
おもわぬ収穫を手に足取りも軽く豫園を出、あとは豫園商場を制覇するのみ。いろいろな店を見てまわったが、第2の目当てであるチャイナ服やアヤシゲな品はなかなか、これというものが見つからないのである。友人への土産はいろいろと手に入れたのであるが。
本当はもうすこし時間をかけてまわりたいところではあったが、まだ明日もあるし、今晩は大晦日の夕餉をイーちゃんの実家でごちそうになる約束があった。うしろ髪ひかれながら豫園商場を後にした。
このまま素直に帰宅するのはもったいないと、これまた上海を代表するスポットである「外灘(バンド)」エリアに向かった。
河口近くの長江(揚子江)に流れ込む黄浦江のある一角の両岸に、かたや「←和平飯店」に代表される租界時代のアールデコ調の建造物と、かたや「東方明珠塔→」に代表される現代的な建造物が向かいあう名所であり、昨夜われわれが機上から見下ろしたように、夜になるとライトアップの美しい、屈指のデェトスポットともなる。
夜景の評判ばかりを聞き知っていたが、明るいうちのながめも捨てたもんではない。特に、「東方明珠塔(通称パールタワー、テレビ塔である)」
は昼間見るほうが断然いい! あの造形の美しさ、タマ部分のメタリックピンクの色あい、それにふもとでみたときの迫力ってば。同じテレビ塔でも東京タワーって無骨ねえとつくづく。
それになんといっても歴史的建造物の数々である。これほどに個性的であり、惹きつけられるなんて。若い時分、夢中になって読んでいた『蘇州夜曲』『南京路に花吹雪』(注:漫画です)の世界がここにあった。もうそれだけでくわんげき、天にも昇るここちなのであった。
個性的といえば、上海の建造物は新旧問わず形も色もそれぞれに強烈に個性的。力いっぱい主張しあい、ともすれば足を引っ張りあい、すべてを台無しにしてしまいかねないほどの迫力だが、それも「しゃーねぇ、上海だから」で許せてしまう。これってまるで、上海に住むヒトビトみたいだ。「主張のないモノはここには要らないよ」って、言われてるみたいだった。
イーちゃんがどうしてもというので、パールタワーのある対岸の新興地区、「浦東 Pudong」エリアへ向かうことに。東京近郊でいうとお台場やみなとみらいに幕張を足したようなところであろうか。イーちゃんの目的は最近できたばかりのギネスブックにも載る超高層ホテル「上海金茂凱悦大酒店(グランド・ハイアット・シャンハイ)」にある喫茶室で珈琲を飲むこと。
対岸に渡る方法はいくつかあるが、行きにはこれもできたばかりで話題の「外灘観光隧道」に乗っていくことに。黄浦江の地下を通る地下鉄のような乗りものだが、乗ってみるとディズニーランドのアトラクションみたいなかんじ。トンネル内をいろいろなパターンの電飾が走り、ちょっと楽しめた。
地上に出るとそこはパールタワーのふもと。タワーのでかさに圧倒されつつ、昨年ASEAN会議が開催され(コイ○ミとか○ッシュとか各国首脳が似あわねえ唐装を着せられてたあのASEANだよぅ)注目された「中国国際会議中心(センター)」やこれまたできたてホヤホヤの「上海水族館」の脇をとおってハイアットをめざし、ひたすら歩きに歩きに歩く。もう腰がガックンガックンするよぉー。
もう果てるかという寸前でハイアットに着き、高層階の喫茶室へ。なんとティータイムは終わりとのことだったが、イーちゃんの交渉の結果、ラウンジで飲みものとケーキは出してくれることに。
迷わず全員、ケーキも注文。高そうな珈琲とケーキ…(日本のそういうところと相場は同じ)。
窓の外にはしっとりと夜のとばりがおりはじめ、霧に煙った外灘の景色がぽつりぽつりと明かりに照らされはじめた。写りこみを気にしながらもデジカメを構えるワタシ。
気がつくともうすでにイーちゃん家に向かうべき時は過ぎているではないか!
大晦日は家族でゆっくりすごすのが楽しみだというのに、申しわけないことを。一刻も早くタクシーで向かわなければいけないところだったが、迷惑ついでに今度は渡し船(1元くらいで行き来できる、小ぶりの体育館のようなフェリー。地元民の足で、もちろん車やチャリも乗るらしい。観光客相手の豪華な遊覧船もあるが)に乗って、のんきに夜景を眺めながらもと来た岸辺へ渡った、親不孝し放題なわれわれであった。
ようやく上海郊外のイーちゃん実家へと足を向けたわれわれ、しばらくタクシーを走らせると住宅街にさしかかった。と、まだ目的地の手前らしいのに、タクシーが進入できないのでここで降りろという。すでに年末の花火騒ぎがはじまっているらしい。道路の真ん中で点火していていつ爆発するかわからないので車両が通れないのだ。そー・ぐれいと。
イーちゃん家のアパートに到着すると、イーちゃん父母が歓迎してくれた。
ドアには春節の飾りつけがされ、もうとっくにごちそうを並べて待ちわびていたようで、たいへん申しわけない気持ち。なんでも、上海の人の多くは大晦日にはこうしてごちそうを作り、家族全員で早めに腹ごしらえをしてから、夜7時からはじまる年忘れ番組(紅白とかくし芸大会を足して3倍くらいにしたようなものらしい)をくつろいで観るのを1年間心待ちにしているのだという。テレビをゆっくり観てもらうことができなくてほんとうに悪いことをしたなぁ。
気を取りなおし、「干杯(カンペイ)〜!」をしたあと、おとうさんおかあさんが腕を振るったごちそうをいただく。そう、中国のひとびとは、夫婦が交互に台所に入り、同じように料理をつくるのがあたりまえの習慣なのだ。ウラウラ〜、うらやましいでしょお。
やはり肉料理が多いが、青菜の炒めたものや、烏骨鶏(ウコッケイ)や各種材料を素焼きのつぼに入れてコトコトと蒸したスープなど、五臓六腑にしみとおるてなかんじである。覚えたての「好吃(ホォチョ)」「好吃」をくりかえす(注:「ホォチョ」は上海語。普通話=北京語では「ハォチー」)。もち米とアンコでつくったデザートなどは、見た目は○△@?〜なものだが、食べてみるとおはぎのようでわりとおいしい。
まあとにかく、中国のかたは家庭料理でも十数品も作るのがふつうらしい。数品なら、ひとつひとつじっくり味わえるのに〜とおもうが、郷に入れば…でしょう。
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夕食もひととおりいただいたところで、おとうさんおかあさんへの土産の品などを渡したり(還暦祝いということで)、例の番組(→)を見ながらくつろいだり、お茶をいただいたりした。
この「お茶」というのが、最近日本でも静かなブームになりそうな中国緑茶の一種である「龍井茶 Longjing-cha(ロンジンチャ)」であり、上海周辺地域ではもっともポピュラーに飲まれるお茶なのだ。日本の緑茶とちがって蒸さずに作るそうで、色は黄色っぽいが香りが高い。彼らにいわせると、日本人が中国へ来て「烏龍茶、烏龍茶」とありがたがるのは至極奇妙なことに見えるらしい。イーちゃんの友だちは、「烏龍茶なんてゴミだよ」と言い捨てるらしい。
サン○リーのウーロン茶のペットボトルなどがはじめてこちらに入ってきた時は、誰も見向きもしなかったという(そのわりに最近は誰もが買ってるそうだが)。
そのようにしてだらりんこんとしていたところ、イーちゃん母がなんだかソワソワしてきた。どうやら外に出なきゃいけないらしい。もうだいぶ前から花火や爆竹の音がけたたましく聞こえていたが、そろそろ0時が近づいているのでわれわれも…というわけだ。
アパート前の道に出ると、もうもうと煙がたちのぼり、火薬のニオイが鼻をつく。やってるやってる〜という実感があった。花火といっても、日本でもよくある、家庭用打ち上げ花火のようなものが多い。ただし家庭用とはいっても規模がゼンゼンちがうが。あとは20連か30連くらいの爆竹だ。
前のアパートの4階あたりでは、住人がなんとベランダで花火をしかけ、すばやく屋内に入り窓を閉めて爆発するのを見てよろこんでる。あっちでは屋上でやってる。凄まじい国じゃ。
とうとうわれわれも点火するときがやってきた。ウェイウェイがお手本を見せる。道に花火の筒をじかに立て(そんなにすわりがいいもんじゃないんだけど…(ーー;))、つけ根のところの導火線にライターで点火し、足早にできるだけ遠くに離れて火薬が爆発するのを待つ。…筒のなかでまず「パーン」と音がして、次の瞬間ひゅーっと筒ごと空高く(5階建てアパートの屋根くらいは)飛んでいってそこで2発目が「どっか〜ん」
!! 危険なアソビだ。
しかしイーちゃん母おおよろこび。この2発が「パーン、パーン」ときれいに連発すれば、翌年はいい一年になるという縁起かつぎなんだって。
…それはわかったけどぅ……まさかこれをやれっての?? ……やるらしい。( ̄□ ̄;)
意を決してあねもねダンナが、長弟が、そしてワタシあねもねが挑戦。
…う〜、点火のときはちょっと(かなり)ドキドキするけれど、爆発の瞬間てばカイカン。たまに、筒がどこ飛んでったかわかんなくなっちゃって、2発目が不発…なんてこともあるけど、気にしない気にしない。
そのうち、いよいよ0時が近づいてきたのを確認して、ウェイウェイが爆竹を取りだして点火。「退却〜〜!」とばかり、アパート1階の入り口へ非難。するかしないかのうちに!
「ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱん!!!!」
音でかすぎ。ご近所の爆竹とモノがちがうらしく、アパートいちでかいよぅ。ますます濃厚に立ちのぼった煙で視界も悪化。
除夜の鐘もなく、いつ新年になったのかはわからないが、ひと段落したかというところでおもむろにみんなで「新年好(シンネンハォ)〜」をして、惜しまれつつホテルに向かうタクシーに乗り込み、これが、これが中国の年越しなのね〜と耳が遠くなるにつれ意識もなかば遠のくなかで、おぼろげながら悟った次第である。
思い出してみれば一晩中、街のどこかで爆発音がしていたな〜という新年の朝がやってきた。やっと3日目なのだ。なんか1日1日が濃いよ〜。
3日目は当初、郊外まで足をのばして、最近人気急上昇中の中国のヴェニス「周荘」に出かけようかという計画もあったのだが、2日目の店めぐりが思いのほか楽しかったので、もう一度上海のまちなかを歩いてみようということに。
どういった風のふきまわしか、あねもねダンナが中国服がどうしてもほしいというし、ワタシもほしいのは同じだったので、ヒルトンからほど近い、延安中路を少しはずれたところにある、服屋さん街をまわってみることになった。
まずは朝ごはんというわけで、イーちゃんが高校生のころ毎日のように食べていたという、おいしい肉まんを求めてタクシーに乗る。がしかし、目的地についたらすでにその店はなく、べつのレストラン(四川鍋だった…朝じゃなかったら)になっていた。しかたなく、これも最近はやっているという、香港飲茶のチェーン店「唐人街」に入ることになった。
菊花の甘いお茶をすすりつつ、肉まん・春巻き・大根餅・麺・粥などをつぎつぎ注文。どれも日本人の口にひじょうにあい、甲乙つけがたいウマサ。とくにイーちゃんもおすすめの、「鼓汁蒸排骨(鼓は実際には左が“豆”デス)」という、豚のあばらを煮込んだのがとにかく絶品で、肉汁の最後のひとすすりまでのがしてなるものかというくらいであった。
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かなりの満足度で店を出ると、そこでも爆竹のあとが。というか、今も子どもたちが往来をよそに、花火遊びを続行中。道のあちこちには爆竹を鳴らしたあとの真っ赤っかな粉状のあとが染みつき、花火の筒の残骸がそのままにころがりまくっている。掃除もしなくていいんかい〜とおもったが、朝になればちゃあんと花火専門の掃除係が街中をまわることになっているらしい。政府も公認のお祭りさわぎなのだ。
デパートやクラブ(しり上がりに読むナリね)のひしめく華やかな大通りから一歩裏通りに入れば、そこにはいまだ素朴な生活の場が。空を見上げれば、超高層ビルをバックに水もしたたる洗濯モノが干され、屋台では男たちがどんぶりをすすっている。
そんな裏通りをしばらくいくと、その昔のフランス租界のあたりに到達した。イーちゃんはこの近くで生まれたらしく、土地にたいする愛着も人一倍のようだ。
この一角には「新天地」という、フランス租界時代の有力者の屋敷などの建物を生かしてカフェやライブハウスなどに改装した、上海の若者御用達スポットがあった。
なぜかここの中庭で、音楽学校の生徒らしき10代前後の少年少女らが民族楽器を演奏していた。未熟なかれらとはいえ、二胡(Erhu)はもちろん、揚琴(Yangqin)や笛子(Dizi)を生演奏するようすが観察できるなんて運よかったな〜。
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つかのまの散歩をたのしんだあと、目的の服屋街へ移動。
春節で半分ほどの店が休業であったが、いくつか見ていくとよさそうなのが見つかる。ダンナは二胡を練習するときに自宅で着る服がほしいのらしい。要は雰囲気づくりである。
ワタシは全身ぱつぱつドレスはずぇったい着られないので、上着だけほしかった。でも、つやつやシルクの深紅に黒の紋がビシッと入ったブラウスなんかいいなァと思い手に取りながらも、じっさい日本のマチナカで着てはずかしくないか?と自問すると、だんだん不安が押し寄せてきた。こうなると、何を買っていいのかわからなくなっちまったーい。
そんなワタシを後目に、ダンナはコレ!という一着に出あえたようで、さっさと買いやがった。もうここではこれ以上見てもだめなようなので、次に中国物産品が多くそろうという「上海工芸美術商廈」へ。ここで、家族への土産や、目的の服もなんとか見つくろいほっとする。
ちょっとびっくりしたのは、店員が店の中で平気で食べたり飲んだりしていることだ。例の、「スッパショッパイ」ニオイが…とおもってそちらをみると、必ずなにやら食っている。豫園商場ではよく見かけたが、まさかこのようなリッパな店でもやっていようとは。たくましきかな上海人。
さて、今晩はイーちゃん母の還暦祝いパーティーなので早めに移動しなくてはならない。イーちゃんは上海に来たなら人民公園を見ないと…と主張するが、もう腰から下がいうことを聞かなくなっていたのでゴメンナサイ、公園入り口前をとおり、タクシーを拾いやすい通りまで歩くことになった。
やはり春節ということもあってか人が増えてきた。鮮やかな中国服を着た子どもも目につく。途中、リヤカーでジャンクフードを売る人がいたり、出所がアヤシげな笛を売る人もいたり、興味はつきないのだけれど体がついていかない。1時間ほどにも思える道のりを経てタクシーをつかまえ、ほうほうのていで人いきれの人民公園前を脱出した。
延安西路を虹橋空港方面に向かう途中、日本総領事館のあるあたりに、今晩の会場である「鷺鷺酒家
Lulu Restaurant」はあった。ここはイーちゃん一家が大のお気に入りの上海レストランで、もはやすべてのメニューをそらでいえるほど、何回もかよった店なのだ。長弟とイーちゃんが上海で披露宴を催したときに、ウチの両親もごちそうになったという店である。店内はテーブルがぎっしりめにならび、やや狭い気がするが(たぶん押し寄せる客をさばくためしかたないのだろう)、全体には洗練されている印象だ。値段もリーズナブルなのだそうだ。
イーちゃんがため息をついてる。
「あ〜、最初の店は失敗した」初日に訪れた、あの「苔聖園酒家」のことだ。友人に「鷺鷺なんてもう古くて、誰もいかないヨ〜」と強く勧められたあの店だったが、イーちゃん弁では「マズいし、店内はあか抜けないし、なにもいいとこなかった」のだそうで、私たちにはわからなかったが、店員にも聞こえるくらいの声で「マズいマズい」とののしっていたらしい。そして、初めて上海を、いや、初めて中国を訪れた私たちにあんな思いをさせてしまって悲しいという。
そうだったのか。どうりで、箸がすすまなかったワケだ(苦笑)。
で、本日の「鷺鷺(るる)」だが、掛け値なしにおいしかった!
初日のことで上海料理に不信感を抱きかけていたワタシだったが、こっちがホンモノなのか〜とわかってよかった。
品数豊富な野菜料理も、こちらではよく見る小麦粉のグルテンを使った料理(醤油ベースで煮込んであると肉のよう)もとてもおいしい。おとうさんおかあさんが大好物らしいタニシも、見た目グロなわりにはいい味してるし、なんだぁこんなんかぁとガッカリだった上海ガニも、たっぷりのったミソとこってりと濃厚な身があとを引く。トロケそうな東坡肉(トンポーロー)も、日本で話題の(ワタシは知らないけど)上海焼きそばもよかった。
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ただ、やっぱりなんでもかんでもつけて食うあのスッパショッパイ汁だけはどうにも…カンベンじゃ(ホントは上海ガニにも、これをつけて食べろといわれたが断固ことわった)。
この晩の欽ドン賞はなんといっても、茄子の炒めたの(名前わかんない)。脂っこそうにみえるが、甘辛と激辛のバランスがちょうどよくて、ビールにもごはんにもあう(そうなの、銀シャリが恋しかったことよ)。とにかく、上海で食べるものに迷ったら、ここを探して来ることをぜひオススメするものである(上海に2店、北京にも1店ある)。
イーちゃん母のお祝いなので、ゆっくりと歓談をたのしみ…といきたいところではあったが、なんといっても後に「上海雑技団」がお控えなすっていた。そそくさと平らげて店を出た。
今回の「雑技」
は上海商城という一大ショッピングモール+オフィスビル+ホテル(「ザ・ポートマン・リッツカールトン・シャンハイ」=超エグゼクティブなホテル)の中の劇場で催される。事前に、イーちゃん母が片道4時間かけて出向き、並んでチケットを取ってくれたのだ。多謝。前から10列目のどまんなかという最高の席だ。
なんとか開演前に席に着くと、間もなく出しものがスタート。…圧倒されっぱなし。ことばも出ない。ダンナ曰く、「次はこう来ると想像すると、その想像の3倍くらいのことを涼しい顔でやってしまう」という、鍛えぬかれたワザの数々、やはり上海に来たら一度は見ておくべき。
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驚愕のるつぼと化す劇場だったが、最高潮のうちに幕となり、劇場を出るとそこには観光客(ワタシたちみたいなヒトのことネ〜)をあてこんだ物売りのテーブルが並んでいた。ちょっと、いやかなりココロひかれる。で、物色していたら、ガイドブックで目にしていた「あのヒトの腕時計」発見! あのヒトの腕が小刻みにうごくスグレモノである。日本円で1000円でいいよと言う。1000円でも高いんじゃねえか…と思いつつ、誘惑にかてずひとつ購入。友人へのお土産の予定だったが、あとから見てるウチに惜しくなってきた。ジャンクでもいい、もうひとつ、色違いのもほしかった。
ところで最後の夜なのである。 このままホテルに帰るのは惜しい。
ワタシが日本にいるときから行きたい行きたいとわめいていた、「租界時代の外観を残した飲み処、しかも生演奏が聴ける店」に行こうということになり、ガイドブックを頼りに、リッツカールトンのロビーからイーちゃんがTEL。ところが、春節なのでライブはおろか、店すら開けていないところも多かった。リッツの上階のバーではごきげんなジャズライブをやっていたけれど。
ま、しかたないねということで、かろうじて店は開けているという、候補の中の一軒に行くことにした。
アメリカ大使館のすぐ横にその「GeorgeV(ファイブ)」という店はあった。これも租界時代の富豪の邸宅を改築したらしい。1階がステージになっていて、3階まで吹き抜けになっているためライブのある日には上階から聴くもヨシ。
ただし、きょうの客は常連(というか内輪っぽかった)1名を除くとわれわれのみ!という寂しさであった。
来たからには飲もう。メニューを広げると、某所で評判の「シメイビール」があるではないか。注文すると、広口のブランデーグラスのような個性的なグラスに、泡だつ褐色の液体が運ばれてきた。黒ビール系が好きということもあるが、すっきりしておいしかった。見つけたらまた飲んでみようっと。
あっという間に出立の朝が来た。
もう少し、いろいろ見たいところがあったな〜。南京路しかり、楽器屋しかり。
だが、肉体的にも精神的にも疲れはてたわれらに、もはや名残を惜しむ余裕はなかった。
帰りの便は11時発と、ホントにのんびりしている時間がなかったので、あわただしくチェックアウトを(イーちゃんが)すませ、タクシーで一路空港へ。驚くほど道がすいていて、30分で到着。
売店で買い残した土産を手早くあさると、4日間なにかと世話をやいてくれた、長弟とイーちゃんに感謝をしながら出発ゲートの中へ。かれらはこのまま1週間ほど、実家に泊まるのだ。だからここでお別れ。
そしてチェックインカウンターで最後のトラブル発生。
もう2人並びの席は空いてません、とは?! なんとかならない…みたいね。
どうやら、他の乗客はとっくにチェックインを済ませていて、われわれはシッポのほうだった。思えば、成田での出発の際もそうだった…。おそるべし、中国(ちがうだろが)。
ということでわれら夫婦はかなり離れた席にはなればなれ。
ワタシは前のほう、出発時刻も近いので自分の席に急いで向かうと、窓側の3席のまんなか、両側を個人客男性にはさまれている。
「個人客なら…交渉すれば席を替わってくれるかしら」とちらと頭をかすめたが、これだけ席がはなれていては交渉は難しいだろう。いいや、つかの間のひとり旅をきめこもう。
(あとで気づいたのだが、隣の若者は中国のおひとだった。あきらめて正解だった。)
いちど居直ってしまうと、意外に楽しいフライトであった。そのうち書くであろう上海レポのために、持参したスケジュール帳に旅の記録をつけつつ、ケバケバガヤガヤした大陸の喧噪とはうらはらに静かなる回想の世界に旅立つのであった。
〜 終 劇 〜
オマケ:帰りの武○○和駅近くの「餃子の王将」で、ジョッキを傾けつつ餃子とホイコーローなぞを食したわれわれでありました。やはし、日本の中華はんまい。