復刻版「非暴力直接行動」刊行によせて
水田ふう

今年の元旦からひたすら公民館に印刷に通って、いまようやっと100セット分の丁合が終了。茶色く古びたザラ紙から、真っ白の紙に印刷しなおした「非暴力直接行動」を手にとると、中味もまるで新品や!
「非暴力直接行動」は、ウリ‐ジャパン/戦争抵抗者インター日本部が出していた機関紙。1974年に準備号を発行(11号から100号まで「Wri News Letter」に改題)、94年の192号まで続いて、廃刊の挨拶なしのままそれきりになってしもたわけやから、ちょうど20年続いたんやった。
今回復刻したのは後半の10年分、1984年〜94年に出したNO.140から192まで。その時々のウリの具体的な行動記録や。
なんでも気軽く、軽薄にやったらええ。でもやった後では、そのやったことの意味、結果をきちんと記録し、あとづけをちゃんとせんかったら、やったことにならん。向井さんはいつもこういうてたけど、まあ、そんな日々のいろいろの記録。書いてるのはやっぱりわたしや向井さんが多いんやけど、その時々いっしょに動く数人から数十人の仲間が、そのときウリやった。
WRIは、古く(第1次大戦後から)からある反戦団体やから、日本部はいったいどうなってるの? いうことはよく聞かれた。ウリ‐ジャパンいうのは宣言はあっても規約はない。やってることはといえば、反戦はもちろんやけど、反核、反原発、反天皇制、死刑制度反対、東アジア反日武装戦線の救援・支援などなどなんでもかんでもや。まして、宇里乃奈加万乃安以古止波喫天爾乃里越なんて、わけわからんやろ。
というわけで、もっときちんとした組織にして、反戦運動を押し進めるべきだ……なんてことをWRL(アメリカのWRI)からいわれたくらい。今回の復刻の最初の号(140号)でも、WRLのマック・レイノルズさんとのそんなやりとりが載ってる。でも、ウリ‐ジャパンは最初から組織やない、運動体や。そして、なによりも戦争いうのは武器や軍や基地だけを問題にすればいいことではない。戦争を支えさせられてるわたしらの日常を奪い返そういうことなんやから。問題はみんな通底してる。いろんなことをやることでそれがようみえてきたんや。
あらためて号数を数えてみると、はじめの10年間では139号まで出してるのに、あとの10年間ではおよそ3分の1の53号しかつくってない。たとえば140号は84年8月発行で、141号は86年12月。2年も間があいてる。
でも、このときはつくる暇がないくらいにメチャメチャに忙しかった。東アジア反日武装戦線の最高裁の判決がせまって、「大阪名物反日タコヤキ団」で各地を巡業してまわったり、1986年の9月14日反日大博覧会(野次馬千人集会)で千人集めるためにもう連日連夜シャカリキに動きまわってたからやった。
けど、その後の動き方はやっぱりそれまでとはだんだん変ってきた。まず、88年、わたしは胃癌の手術をした。それで翌年には向井さんと犬山に住居を移して……。それ以来、大阪でのような、人の出入りがたくさんある動き方とちごて、もっぱら向井さんとふたりでの動きにかわったんや。93年には向井さんが脳梗塞で倒れて入院……。それでついに発行も止まってしもた。
つまり、今回復刻したのは、だんだんくたびれかけてきた頃からの記録や。でも、ひとが来るのが減り、外に出かけていくのが減った分、書いたり話したりする時間もようけとれて、初めの10年に出したものと比べると厚さが違う。分厚くなってる。ひとつのテーマについて、次第に長く書くようになった。対話形式で書くのが定着したのも、実はこの頃のこと。向井さんが、詩の仲間やこよないアナキストたちについて、書き遺しておきたいことを載せるのも増えていった。
いま、くたびれかけてきた頃、と書いたけど、歳とったら誰でもくたびれる。それは当たり前やけど、わたしなんかはこの30年、いつもしんどい、しんどいいうとったなあ。しんどいといいながら、向井さんといっしょにいろいろやってきて、けっこうおもろかった。そやからくたびれるのはいまさらはじまったことやない。しんどいとおもろいはくっついたもんやもんな。
非暴力直接行動いうのは、そういう日々の営みそのもの、その日々の営みのなかで自分たちが必要とするものを「創りだす」行為のことや。それが、その30年で、わたしにもだんだんわかってきた。そやから、この具体的な行動記録としての「非暴力直接行動」は、それが非暴力直接行動であることで、決して古びてない。
各地でがんばってる仲間たち、そしてこのごろ向井孝の「暴力論ノート」を買ってくれる若い人たち、何かやりたいけど、どうしたらいいか、と思ってる若者たちに、是非手にとって読んで欲しい!
2005.2.3
【告!】
- 復刻版
非暴力直接行動 No.140-192 - 1984.8.10〜1994.2.10 52号分セット
- ◎2005年2月14日発売
*100部限定。予約優先 - 定価 3,200円(送料500円)
- 発行 WRI-Japan出版部
- 予約はこちらまで。
lanigreco@yahoo.co.jp
140 | 1984.08.10 | 爆弾と非暴力――ウリの立場 WRL・マック・レイノルズ様 |
141 | 1986.12.01 | 白バラとヤジ馬――ヤジ馬運動論ノート |
142 | 1986.12.31 | なんで死刑廃止か | 143 | 1987.01.30 | 天皇制さわってみればよく判る |
144 | 1987.02.28 | 2.3最高裁“口頭弁論”東京行動報告/踏み絵ビラ御名御璽国賠訴訟控訴審判決 |
145 | 1987.03.20 | 急告 |
146 | 1987.05.20 | 「こだわり」からの出発――「問い」と「立場」 |
147 | 1987.06.15 | 疑心暗鬼 |
148 | 1987.07.25 | 降ろされた日の丸への走り書き的覚書き 吉田智弥 | 149 | 1987.08.30 | “白バラ行動”に20年の刑が…/アメリカの手紙 |
150 | 1987.10.25 | おきなわ珍道中 ゆきゆきて私服のむれ/“降ろされた日の丸への走り書き的覚書き”をめぐって |
151 | 1987.11.30 | 無力ですこしも勝目がない“市民運動”論 |
152 | 1987.12.31 | 明日は?ない 最近のガサの性質をめぐる状況論的考察 |
153 | 1988.02.02 | ガサを気楽にやり過ごすために |
154 | 1988.03.15 | 四国で何が起こったか!! ――現地主義を越えたという意味 ふう&こう |
155 | 1988.05.15 | 4/23・24 東京・二万人の意味 |
156 | 1988.06.01 | 「能登アウト原発」へ! |
157 | 1988.07.01 | “富山・金沢行動”から“島根”へ引継ぐこと |
158 | 欠番 | |
159 | 1988.07.25 | 松江から集中電話作戦・その他 |
160 | 1988.09.11 | 非暴力――ガントレーニング 入院記 F&K |
161 | 1988.11.10 | 「建造物侵入」という名の“不敬罪ガサ”来訪――あの号外新聞! これでやっと箔がついた! |
162 | 1989.01.20 | Xデー華の乱――毎日がチャンス |
163 | 1989.02.20 | 原発と天皇と ふう&こう |
164 | 1989.04.10 | 集会万奏講 劇団BATANKOの実験 予告編 ふう&こう |
165 | 1989.05.20 | “エエジャナイカ 花のゲリラ戦記”――擬似非暴力とのたたかい |
166 | 1989.07.20 | '89 島の内拘置所残暑 劇団・BATANKOの実験 吉田智弥 |
167 | 1989.10.15 | 劇団BATANKO「絞められて殺されて」もうひとつのドラマ |
168 | 1989.11.15 | 猿たちの脱走――いまどきアナボル談議 ふう&こう |
169 | 1989.12.04 | 号外 六ヶ所村から ふう&こう | 169 | 1989.12.15 | 特別号 鵜飼町から *169号はダブリ |
170 | 1990.01.15 | 否定評価と積極的評価の岐れ道――六ヶ所村核燃選挙のこと。Nさんへの手紙 ふう&こう |
171 | 1990.03.5 | でも…デモ考――沖野さんの投書をめぐって |
172 | 1990.04.20 | まずひとりひとりが“宣言”すること――3.24「それぞれの反日」 |
173 | 1990.05.20 | 陀羅尼としての“反日” |
174 | 1990.06.30 | フニャフニャ…ウリの非暴力直接行動 ふう&こう |
175 | 1990.09.05 | 壁 ふう&こう |
176 | 1990.10.15 | いまこそ女たちの声よ起これ! F&K |
177 | 1990.12.15 | ゲリラシアター 街頭即興寸劇「大冗祭」 ふう |
178 | 1991.02.20 | 「自分のために」――戦争と運動についての“ふたりごと” ふう&こう |
179 | 1991.03.13 | 勉次の「転向」――中野重治「村の家」について ふう |
180 | 1991.05.20 | しつこい“いじわるばあさん”――死刑と非暴力直接行動 ふう |
181 | 1991.08.08 | “ばらばら”のゆくへ 上 ――3.28関電行動とテント村始終 F&K |
182 | 1991.08.25 | ばらばらのゆくへ 下 ――テント村で発見したこと F&K |
183 | 1991.12.15 | 運動論 漂白と定住 ふう&こう |
184 | 1992.01.31 | アナボルの哀しみ |
185 | 1992.04.25 | 死刑とカクメイの陀羅尼的関係――私の死刑廃止考 水田ふう |
186 | 1992.08.30 | 野次馬のすすめ ふう&こう |
187 | 1992.09.15 | わが忘れなば… 孝 |
188 | 1993.01.30 | これやこの ゆくもかえるも運動の ゆくへもしらぬ 恋のみちかな(上) |
189 | 1993.02.14 | これやこの ゆくもかえるも運動の ゆくへもしらぬ 恋のみちかな(下) |
190 | 1993.06.13 | 「運動」というもの「文学」というもの――向井孝に戦後をきく ふう&こう |
191 | 1993.09.01 | 文学というもの運動というもの――柳井秀詩集と“IOM”に即して |
192 | 1994.02.10 | 阿那加奈志――アナキズム運動史のなかの“掠” ふう&こう |
(05-02-04up)