歴史・文明・進歩:近代相対主義批判の概略


本論分は、元々、Green Perspectives(現在はLeft Green Perspectivesという名前になっている)の29号(1994年3月)で発表され、現在はPhisolophy of Social Ecology(第二版、Black Rose Books, 1996)に収録されている。原文はHistory, Civilization, and Progress: Outline for a Criticism of Modern Relativism で読むことができる。
原文では、歴史・文明・進歩は、大文字で書かれている。訳出の際には、<歴史>・<文明>・<進歩>とすべて<>を付けておくことにした。内容は、現代に蔓延するポストモダニズムなどの相対主義の皮相性を批判し、アリストテレスからヘーゲルに至る発展的哲学の系譜をさらに押し進めることの必要性を強調したものである。本論分も、哲学的自然主義と同様に、哲学の基礎知識が必要であるため、訳出にも苦労をした。誤訳などがあるかと思われるが、気がついた方はお知らせいただきたい。

今日ほど、西洋文化の最良のものを文字通り定義する諸概念−−有意味な<歴史>・普遍的<文明>・<進歩>の可能性という諸概念−−が、徹底的なまでに疑問視されている時代はない。ここ数十年で、合州国と諸外国双方において、学術学会と自称ポストモダニスト知識人たちのサブカルチャーが、腐食性を持った社会的・政治的・道徳的相対主義から派生している全く新しい文化会議の大合唱を育成している。この大合唱は、粗雑な唯名論・多元論・懐疑主義・極端な主観主義を包含しており、様々な組み合わせと順列の中で全くのニヒリズムや反人道主義さえをも含んでおり、時として徹底的に反人間的性質を持つこともある。この相対主義的大合唱は一貫した思想それ自体と、「希望の原理」(エルンスト=ブロッホの表現を使えば)に敵対している。こうした諸概念は、いわゆる急進派の学者から一般の民衆へと浸透し、そこでは、私事本意主義・無道徳主義・「ネオ原始人主義」の形態をとっている。

この蔓延した「パラダイム」(よくこのように呼ばれるものだが)では、折衷主義が歴史的意味の探求に置き換わり、我が侭な絶望が希望に置き換わり、暗黒郷が理性社会の見込みに置き換わっていることが余りにも多い。そして、この大合唱の中でもさらに洗練されたものは、曖昧に定義された「相互主観性」(intersubjectivity)−−もしくは、そのもっと粗雑なものでは、原始人主義的な神話作成過程(mythopoesis)−−が全形態の理性、特に弁証法理性に置き換わっているのである。事実、正に理性それ自体の概念が、我が侭な反理性主義によって挑戦されているのだ。西洋思想の偉大なる伝統から輪郭・ニュアンス・段階的変化を剥ぎ取ることで、こうした我々の時代の相対主義的「ポスト−歴史主義者」・「ポストモダニスト」・(そして新しい言葉を造れば)「ポスト−人道主義者」は、良くて、近代思想を暗いペシミズムだと非難しているのであり、最悪の場合は、近代思想の意味全てを転覆させているのである。

<歴史>・<文明>・<進歩>に対する現在の批判は、これら基本的西洋諸概念の一貫性を破壊した断片化と還元主義の傾向と共に、あまりにも莫大なため、現在の世代と将来の世代がこれらの概念を明晰にしようとすれば、文字通り再度定義し直さねばければならないであろう。さらにやっかいないことに、こうした批評家は、自分たちが痛罵しているその正に諸概念を定義しようという試みをほぼ放棄してきたのである。結局、<歴史>とは何だろうか?相対主義的批評家たちは、この概念を、数多くの分断されたエピソード群からなる折衷的に組み立てられた「過去の物語」(histories)へと−−さらに悪いことに、「別な」性・民族・国民集団に属し、イデオロギー的に公平だと批評家が見なしている神話へと−−解消するものである。唯名論的批評家たちが過去を大部分一連の「偶発事」だとして見なしている一方、主観主義的批評家たちは、本質的に互いに不連続な「諸想念」から成り立ち、歴史的諸現実を決定する思想を強調しすぎているのである。では、結局、<文明>とは何なのだろうか?「ネオ原始人主義者」などの文化的還元主義者がこの言葉を余りにも誹りすぎているため、今では、その理性的諸要素は、過去と現在の不合理性と慎重に区別しなければならない。そして、最後に、<進歩>とは何だろうか?相対主義者は、自由の複雑さ全てに対する情熱を拒絶し、個人的諸性癖へと還元できることが多い「自律」というファッショナブルな主張を望ましいとしている。一方、反人道主義者は、現代のムードを特徴づけている人間の自己中傷の寄せ集めの中で、<進歩>という正にその概念から全ての関連性と意味を剥奪してきたのである。

<歴史>が持つあらゆる意味・理性・一貫性・連続性を否定している懐疑論は、諸前提を探求する必要性は言うまでもなく、諸前提のその正なる存在をも蝕んでおり、対話それ自体を実質的に不可能にしている。事実、諸前提それ自体があまりにも疑わしくなっているため、新しい相対主義者は諸前提を確立しようといういかなる試みをも文化的病理の証拠だと見なすのである。丁度、フロイト派分析家が患者の治療抵抗を、心理的病理の兆候だと見なすようなものだ。議論のこうした心理学化は、さらなる議論全てを遮断してしまう。自身の言葉で真剣に挑戦することもなく、真剣な反応が返ってくることもない。むしろ、それらは私的・社会的不安の兆候だとして却下されてしまうのだ。

これまでのところ、こうした諸傾向が押し進めることができたことは、例えば、ある人が支離滅裂さを批判しようとすれば、今日では必ず、自分自身が「一貫性」に対する「素因」−−つまり「欧州中心的」偏見−−を持っているという嫌疑に身を晒さねばならない、ということである。明晰さの擁護も同様に受け入れられず、それは「理性の暴政」を強化するとして非難される。理性の妥当性を是認しようとする試みは理性の存在の「抑圧的」前提だとして却下される。定義するという正にその試みは、知的「威圧」だとして拒絶される。理性的議論は、儀式・怒号・ダンスのような文字を持たない「表象」諸形態を抑圧するものだとして攻撃されるか、さもなくば表向き哲学的な尺度を使って、直感・予知・心理的動機・性別や民族性に依存した「立場的」洞察・全くの神秘主義を育むことの多い様々な天啓を抑圧するものだとして攻撃されるのである。

こうした一連の相対主義的諸観点は、粗雑なものから知的に風変わりなものまであり、理性的には批判できないものである。なぜなら、それらの諸観点は理性的に独立した概念的諸公式それ自体−−多分、理性の要求によって「締め付けられている」のだろう−−の妥当性を否定しているからである。新種の相対主義者たちにとって、「自由」は理性の主張が始まる所で終わってしまうのだ−−暴力は理性的議論が終わったときに始まるとしていた古代アテネ人とは全く逆である。多元論、意味の脱中心化(the decentering of meanings)、基礎付け(foundations)の否定、特異的なもの・倫理的にも社会的にも偶発的なもの・心理的なものの実体化−−これら全ては、我々の時代の客観的腐敗に対応した莫大な文化的腐敗の一部のように思われる。米国の大学では、今日、相対主義の全ての突然変異は、フーコーのハンセン病的「限界体験」へと退却し、<歴史>を分断された「集団的表象」(デュルケーム)・「文化パターン」(ベネディクト)・「想念」(カストリアディス)だとする諸観点へと退却したり、ポストモダニズムのニヒリズム的利己性(asociality)へと退却したりしていることが余りにも多すぎるのだ。

今日の相対主義者は、自分が反対している諸概念の定義を示すときに、その定義を大げさに語り、誇張するものである。相対主義者は、基礎付け(foundations)の追求−−相対主義者が典型的に「主義」や「基礎付け主義」(foundationalism)へと変質させている努力−−を、基本諸原理の明白な必要性に関心を払わずに、「全体主義的」だとして非難している。基礎付けの存在は、その存在が妥当で認識可能である現実の領域に限定されている、ということは、こうした反基礎付け論者には思いもよらないようだ。反基礎付け主義者にとって、基礎付けは天地万物を包含しているか、さもなくば全く存在していないかのどちらかでなければならないわけだ。いくつかの原理や基礎付けが、存在しているもの全てを包含できているのなら、実際、粒子の領域から無機的物質へ、最も単純な生命から最も複雑な生命へ、究極的には、宇宙物理学の領域までも開花している諸革新全てを包含できているのなら、現実は全く持ってミステリーであろう。

歴史的相対主義者たちの中には、歴史における物質性を犠牲にして、主観性を強調しすぎている者がいる。主観的諸要因は、確かに、明白に客観的な発展に影響を与えている。例えば、古代ギリシャの時代に、世評によればヘロンはスチームエンジンをデザインしていたそうだが、我々が知る限り、その二千年後にされたように、それが人的労働に置き換わる目的で使われたことなどなかった。主観的歴史家は、確かに、この事実について主観的諸要因を強調するだろう。だが、イデオロギー的要因と物質的要因とのどのような相互作用が、ある社会−−資本主義−−がスチームエンジンを莫大な規模で商品の製造目的のために使っており、別な社会−−古代ギリシャ社会−−がスチームエンジンを大衆を煙にまこうと僧院の扉を開けるためにだけ使われていたのかという理由を説明してくれるのだろうか?過度に主観主義的な歴史家は、どのようにして様々な伝統と感受性がこうした機械の本質的に異なる使用方法を産み出したのかを探求するだけでなく、幅広い社会的諸要因と同じように、どのような物質的諸要因が機械の使用を促したり、創り出したのかをも探求してもよいのではないだろうか(原注1)。

歴史的相対主義者の中には唯名論的で、<歴史>における特異性を過剰に強調し、特異性を探求する必要があるのだとして基本的疑問を回避する人々もいる。こうした人々は次のように述べる。古代ユダヤにおける少数の人々が地域的で民族的基盤を持った一神教的信念体系を形成し、年代学的に後年になって、ユダヤ−キリスト教的(Judeo-Christian)世界宗教の基盤になった。ならば、これら二つの出来事は無関係なのだろうか?その結合は単なる偶然だったのだろうか?何故ローマ帝国がユダヤ−キリスト教的統合を採用したのか−−この帝国は全く異なる文化と言語から成り立ち、その完全な崩壊を防ぐためにイデオロギー的統一を至急必要としていたのだが−−を吟味せずに、唯名論的やり方でこの莫大な発展を認識することは、明晰さではなくむしろ混乱を産み出すことになるだろう。

多分、相対主義の最も問題ある側面は、その道徳的恣意性であろう。陳腐な格言「私に良いことは私にとって良い、君に良いことは君にとって良いだけだ」という道徳相対主義は解明を要しないのである(原注2)。一見して最も無定形なこの時代に、相対主義は我々を唯我論的道徳に託し、ある種のサブカルチャーにおいては、政治は文字通りカオスを前提にしている。多くのアナキストが近年、真面目で実際責任ある社会的コミットメントと社会的行動を犠牲にして、非常に私事本意主義的で、多分「自律した」サブカルチャーを志向していることは、私の観点では、政治的・革命的領域に真面目に関与することの悲劇的放棄を示しているのである。<歴史>に関する知識もなく、資本主義を自然で永遠な社会システムだと受け止めている人々が増加している今日、このことは根拠のない問題ではない。個人の「願望」から大きく生じている私的「自律」の主張の中で純粋に相対主義的好みに根差している政治見解は、粗雑で自己奉仕的な日和見主義を、それも、その蔓延が社会病理の多くを説明するタイプの日和見主義を産み出す可能性があるのだ。事実、アナトール=フランスがその昔、全ての人々が夜にセーヌ川の同じ橋の下で眠る「自由」として悪戯っぽく述べていたように、資本主義それ自体は、その主たるイデオロギーを個人の私的自律と自由との同一視に基づいて形成していたのである。個性は地域社会と不可分なのであり、自律性は協働的地域社会に埋め込まれない限り意味がない(原注3)。自由に向かう人間性の潜在的可能性と比較すれば、相対主義的・私事本意主義的「自律性」など、心理療法が肥大化し、社会理論へと拡大された程度でしかないのだ。

<歴史>・<文明>・<進歩>の相対主義的批評家のあまりにも多くは、左翼や近年の「既存社会主義」の失敗を充分に受け入れていない臆病な昔の急進的イデオローグほども真面目な社会理論家ではないように見える。現代の理論で賞賛されている支離滅裂さは、1968年の5月−6月の出来事に対するフランスの大学「左翼主義者」の一方的で大げさな反応とフランス共産党の行動に少なからず負っており、その大部分を、皇帝至上主義からスターリン主義からエリツィン主義までの聖母ロシアの様々な突然変異に負っているのである。この脱魔術化は、昔の「革命家たち」が、学術学会に身を落ち着けたり、社会民主主義を受け入れたり、既存社会に対するいかなる脅威をも組織しない単なる無意味なニヒリズムに転向したりする逃避ルートを提供していることが余りにも多い。彼らは、相対主義から、自分自身と社会の残留者との間に懐疑的障害物を造り出してきたのだ。だが、この障害物は、旧左翼がヘーゲル・マルクス・レーニンから導き出そうとしていた一方的な絶対主義同様に知的に壊れやすいものなのである。

公正さが私に次のことを強調するよう要求している。今日の左翼に関する一般通念とは逆に、東欧の指導者が以前確立したと主張していたような「既存社会主義」など存在したことはないのだ。ヘーゲルが単なる目的論者であったこともない。マルクスも単なる「生産至上主義者」ではなかった。レーニンも残酷な日和見主義で反革命的スターリンのイデオロギー上の「父」ではなかったのだ(原注4)。「ソヴィエト」システムの悪夢に対する反応として、今日の相対主義者はヘーゲル・マルクス・レーニンの欠点に過剰反応し、それを誇張しているだけではない。相対主義者は、社会と思想の全レベルにおいて今日直面している諸問題を取り扱うことができる信頼に足る哲学を作り上げずに、悲劇的に失敗した過去の未だ追い払われていない悪魔から自分自身を守るために、イデオロギー的予防法をでっち上げてきたのだ。

「ネオ−マルクス主義者」と「ポスト−マルクス主義者」が矛盾語法の「市場社会主義」と「最少国家主義」を現在陳列していることこそ、政治的相対主義と「自律性」の主張が我々をどこに導く可能性があるのかを示しているのである(原注5)。事実、今日のファッショナブルな政治的相対主義それ自体が、全体主義に対して紙切れ一枚の厚さほどの障害物以上のものを我々に提供してくれるかどうかを問うことは充分公正であろう。<歴史>の連続性・<文明>の一貫性・<進歩>の意味を引きだそうという試みを、全てを包含した基礎付けを求めた「全体化」メンタリティだとか「全体主義的」メンタリティの証拠だとして却下することは、直接的にせよ間接的にせよ、理性、特に啓蒙運動時代の理性を、全体主義と重ね合わせているのであり、荒々しい現実と全体主義それ自体の系図を顕著に平凡化しさえもしているのだ。事実、現代最悪の全体主義、スターリンとヒットラーは、ある種の相対主義的もしくは状況的倫理によってほどにも、自分たちが公で皮肉に述べていた客観的に基盤を持った諸原理や「基礎的」思想によっては導かれていなかったのである。スターリンは「アナキスト」でも「自由主義者」でもないのと同様に「社会主義者」でも「共産主義者」でもなく、彼にとって、理論とは、権力を集中するための単なるイデオロギー的口実でしかなかった。スターリンの単なる日和見主義を見落とすことは、良くて近視眼、悪くて皮肉なのである。彼の政権下で、「党の方針」に関するスターリンの様々な変化を何とか切り抜け生き延びてきた絶望的なまでにドグマ的な「共産党員」だけが、スターリンを「マルクス−レーニン主義者」だと真面目に受け取ることができたのだった。そして、ヒットラーは、厳密に現実的な諸目的のためにイデオロギーを回避するという驚くべき柔軟性を示していた。権力の座について最初の数ヶ月で、ヒットラーは、ナチの暴徒を恐れ憎悪していたプロシア将校階級の命令を使って、自身の突撃隊の中にいる国家社会主義の「真の信奉者」全てを大量虐殺したのだった。

客観的基盤−−特に、人間種の自然発達・社会発達・道徳的発達・知的発達によって形成されてきた正に真の人間的潜在可能性−−が欠如することで、自由・創造性・理性といった諸概念は、「相互主観的」諸関係へと還元される。その諸関係は、私的好みと個人主義的好みを土台にし(そんな程度なのだ!)、別種の暴政−−特にコンセンサスの暴政−−を使って「解決される」というわけだ。いかなる種類の基礎付けもなく、いかなる現実の形態も内実もないため、「相互主観性」に関わる諸概念は、恐るべきほどに均質化しうる。なぜなら、それら諸概念は、一見して、コンセンサス性−−革新を刺激するために全く必要な意見の不一致とイデオロギー的不調和を排斥する論理−−を持った「民主的」論理のように見えるからだ。ユルゲン=ハバーマスが1970年代の社会主義ヴィジョンを煙に巻くために展開したコンセンサスによって成立する「理想的演説状況」において突然変異したルソー主義的「一般意志」のように、この「相互主観性」・超越的「主体」・「エゴ」は、理性の芳醇な推敲に置き換わってしまっているのだ。今日、この主観主義もしくは「相互主観性」−−それがハバーマスの新カント主義にせよ、ボードリヤールのエゴイズムにせよ−−は、個人的嗜好の問題としての「社会理論」の概念に荷担しているのである。「社会的に条件づけられた」人間精神という単なる構図が、相対主義と非歴史主義の海を漂っており、「全体主義的全体性」(totalitarian Totalities)と「絶対」(Absolute)の「暴政」を回避するために、自由の潜在的な客観的基盤を拒絶しているのである。事実、理性それ自体が本質的に「相互主観性」に還元されているのだ。私事本意主義の「主観的理性」、その北米的後遺症である神秘主義・個人の救済・従順性、1968年後のフランスの後遺症であるポストモダニズム的・精神分析的・相対主義的・ネオ=シチュアシオニズム的気紛れの文語的賞賛を並列してみれば、徹底的思索に対するマルクスのコミットメントは魅力的なものになるだろう。

客観的基盤を持った思想は、相対主義的に主張される思想とは異なり、我々が真剣に格闘できる定義可能な諸原理の一群を提供できる。基礎付けを持った一貫性と、最高の場合には、客観的基盤を持った見解の合理性は、少なくとも、諸原理を目に見えるものにし、今日あまりにも曖昧になりすぎている迷宮のように入り組んだ私事本意主義の気まぐれから諸原理を解放するのである。「自律」というお題目の下に個人的嗜好に還元されることの多い基礎付けを持たない主観主義とは異なり、客観的基盤は、少なくとも、自由社会において挑戦を受けやすいものである。理性的批判を排斥するのでは全くなく、逆にそれを求めるのである。異議が不可能な唯名論的な茫漠さに避難するのではなく、逆に一貫性のテストに対して開かれているのだ。ポール=ファイヤーベントの辛辣な(私の観点では、皮肉な)相対主義とは逆に、過去三世紀の自然科学は思想史の中でも最も解放的な人間的努力の一つであった−−その理由の一部は、自然科学が現実の統一的、もしくは基礎付けある説明を追求していたからだった(原注6)。結局、我々がいつでも気に掛けておかねばならないことは、科学にせよ、社会理論にせよ、倫理にせよ、客観的諸原理の内容なのであって、一貫性と客観性それ自体の主張を軽率に非難することではないのだ。

実際、様々な主張とは逆に、相対主義はそれ自体で隠れた「基礎付け」と形而上学を持っている。それ自体で、その諸前提が隠されているため、相対主義は、客観主義と明確に理性的に考えられた「基礎付け主義」とのためだとされている「全体主義」よりも、さらに麻痺させるイデオロギー的暴政を産み出して当然なのである。我々の関心は自由の基盤と理性の性質を中心としていなければならないのに、近代相対主義者はこれらの重要な問題を、一般的懐疑主義の雰囲気に関する個人的信条の弱々しい表明へと「脱中心化」(decenter)している。我々は、ヴォルムス国会に対するルターの反逆的言葉、Hier stehe ich, ich kann nicht anders(我ここに立つ。我かくあらざるを得ず。)を繰り返すことで、自分の厳密に個人的信条を是認している相対主義者を賞賛することを選ぶかもしれない。だが、ざっくばらんに言って、この立場を妥当なものとする理性的議論を、主観的好み以上のことに基づいている議論を耳にしていないのに、この決心を気にかける人がいるのだろうか?

II

このことが再び、<歴史>・<文明>・<進歩>とは実際に何なのかという問題を提起するのである。

私は主張したい。<歴史>とは、次第にリバータリアン的になっていくコンソシエーション諸形態という自己形成的発展おいて、自由・自己意識・協働に向かう人間性の潜在可能性に基づいている(質的「飛躍」に対する然るべき考慮を持った)諸出来事の理性的内容と連続性である。解放的社会と解放されたの方向性について、過去と現在にわたり、人間の行為と諸制度に一貫性を与えているのは、理性的な、いわゆる、「インフラストラクチャー」である。つまり、<歴史>は、正確に、人間発達において理性的なことなのである。それ以上に、自由・自己意識・協働に向かう人間性の正に本物の潜在可能性を実現するために、増大する分化を通じて、様々な程度で、開花・拡充・開始する内在という弁証法的意味で、理性的なものなのである(原注7)。

このアクチュアル化とは無関係に、非理性的出来事は、いつでも、あらゆる時代と文化において、我々の上で激発している、と即座に反論されるであろう。だが、理性的解釈を拒む限り、他の出来事の推移に対するその効果がどれほど重大であろうと、それらはまさしく出来事のままなのであり、<歴史>ではない。確かに、そのインパクトは非常に強力なのかも知れないが、自由・自己意識・協働に向かう人間性の潜在可能性に弁証法的に根ざしてはいないのである(原注8)。そうした出来事は、クロニクルへと集めることができるだろう。この代物を使ってフッサールは自分の非常に逸話的な「過去の物語」(histories)を作り上げたのだが、クロニクルは私がここで述べている意味での<歴史>ではない。出来事は、いわゆる「<歴史>を乗っ取る」ことさえあるかもしれないが、究極的には、非理性と悪の中に身を沈めてしまうのである。だが、現代相対主義が消滅させるぞと脅かしている、次第に内省的になる<歴史>なくしては、我々は、消滅したことさえも分からないであろう。

もし、我々が、人間性は自由・自己意識・協働−−一つのアンサンブルとして認められる−−に向かう潜在可能性を持っていることを否定するのならば、当然、多くの自称「社会主義者」とダニエル=コーン−バンディのような元アナキストさえとも一緒になって、「資本主義が勝ったのだ」と結論づけることになろう。ある幻滅した友人は、「<歴史>」は「ブルジョア民主主義」においてその終着点に達した、と述べていた(その「終着点」が実際にどれほどあやふやなものであろうとも)。そして、我々は、理性と自由の領域を拡大しようとせずに、資本主義の膝の上に落ち着き、自分で墓場をなるべく快適なものにしようとベストを尽くしているのだろう。

現在存在するもの、「そうあるもの」に対する単なる適応として、そうした行動は人間獣性説的なものでしかない。社会生物学者たちは、遺伝的に回避できないと見なしさえするかも知れない。だが、歴史的記録が数多くの適応とさらに悪いこと−−非合理性と暴力、自身と他者の破壊を楽しむこと−−を示していると述べ、最終的に<歴史>は自由・自己意識・協働に向かう人間の潜在可能性の開花であるという私の主張に疑問を呈するためには、社会生物学者である必要はない。事実、人間は、お互いに破壊行為を行ったり、現実の残虐性や想像上の残虐性を楽しんだりしてきた。このことが地上に地獄を産み出してきたのである。人間は、ヒットラーのデス=キャンプやスターリンの強制収容所という怪物を産み出してきた。ユーラシア大陸のモンゴルとタタールの侵入者が何百年もの昔に置き忘れた骸骨の山は言うまでもない。だが、この記録は、社会発展における潜在可能性の開花と成熟の弁証法に取って代わりはしないし、お互いに対する残虐行為を加えるという人間の能力を、自由・自己意識・協働に向かう潜在可能性と等価に扱うこともできないのである。

ここで、人間の能力と潜在可能性は、それぞれ区別されねばならない。傷害を与えるという人間の能力は、自然史の領域に属している。それは、人間が生物学的世界、つまり「第一自然」において動物と分かち合っているものである。第一自然はサバイバルの領域であり、苦痛と恐怖という中核感情の領域であり、我々の行動が動物的なままであるという意味において、社会、つまり「第二自然」が出現しても決して変わることなどないものである。無知な(unknowing)動物は、単に生存しようとし、それが存在している世界に対して様々な程度で適応しようとする。逆に、人間は非常に特殊な種類の動物である。人間は認識する(knowing)動物であり、人間以外の生物と分かち合っている欲望のためにさえも、計画し案出する知性を持っているのである。人間理性と知識は、便宜主義という形式的論理を使って、自己保存と自己最大化(self-maximization)の目的のために使われることが多い。この論理は、支配者が社会統制と社会操作のために行使してきた。こうした方法は、生存するための単純な「目的−手段」の選択という動物的領域にその根源を持っているのである。

だが、人間は、苦痛と恐怖を意図的に与える能力、他者を強制したり、単に残虐行為のための残虐行為を行う目的で、邪悪な情熱のために理性を行使する能力も持っている。知性を持った動物だけが、皮肉なことに知的革新が可能な動物だけが、他者の苦悩を想像して楽しむ他人の不幸は密の味と共に、冷徹に計画されたやり方で、また、激情に駆られたやり方でさえも、恐怖と苦痛を与えることができるのである。身体はサド−マゾヒズム的な快楽の「地帯」だというフーコー主義的実体化は、特別な悪事を行っているエゴを「楽しませる」ことに確かに依存しながら、暴力の形而上学的正当化へとたやすく敷衍できる(原注9)。この意味で、人間は余りにも知性的すぎて、理性社会に生きることもできないし、理性と倫理によって作られた諸制度内、非合理性と暴力の能力を制限する諸制度内で生きることもできないわけだ(原注10)。人間がそうしたところで生きていない以上、人間は、創造と同様破壊の莫大な力を持っている、不安定で無定型な生物のままなのである。

私の同僚が論じていたように、人間性は「悪に向かう潜在可能性」を持っているかもしれない。だが、社会発展の中で、人々は、最も恐ろしい悪事を働く爆発的な能力があるからといって、人間の潜在可能性は邪悪なものや虚無的破壊性を産み出すように構成されていることを意味してはいない、ということを示してきた。アウシュビッツ、実際、恐るべき工業的なやり方で人々をまるごと根絶するための手段と目的を作り出したドイツ人の能力は、ドイツの発展にも、産業的合理性それ自体の発展にも内在しているものではなかった。多くのドイツ人がそれ以前の二世紀でどれほど反ユダヤ的だったとしても、東欧人は同様にもしくはもっと反ユダヤ的であった。一方、皮肉なことに、西欧の産業発展は、19世紀と20世紀のユダヤ人の司法的解放を確立するために、中世時代の前産業社会的生活を特徴づけていたキリスト教的敬虔心全てよりも、もっと多くのことを成し遂げた可能性があるのだ。事実、悪は「論理」を持っているかも知れない−−つまり、それは説明できるのかもしれないのだ。だが、大部分の一般的説明では、偶然の悪しき行為と出来事という点で、悪の進化を説明するものだ。もっともこれが説明として見なされるのならの話だが。ヒットラーのドイツ乗っ取りは、ヒットラーが取り上げた多くの急進的諸見解よりも、経済的・政治的混乱で説明できる正に酷い出来事だったのであり、悪に向かう人間の潜在可能性という点で説明できはしない。アウシュビッツの恐怖は、ナチが欧州のユダヤ人一般に加えた怪物的行為同様、その不可解性に大きく存しているのである。この意味で、アウシュビッツは人々の心につきまとう非人間であり続け、<文明>と<進歩>に対する多くの人々の永続的不信を悲劇的に生みだしたのである。

悪が単なる諸出来事の叙述で説明されない場合には、道具的・慣例的論理で説明されるものである。認識する動物、人間は、邪悪なほどに有害で、弁証法という発展的理性、倫理的反省の理性も使用せず、<歴史>と<文明>の知識に基盤を持つ一貫した反省的理性も使用せず、曖昧で恣意的で自己創出的な「想念」の認識や個人的思考と快楽からなる道徳性をも使用せず、むしろ、認識する動物は、道具的計算を使い、苦痛の行使を含めた悪しき目的を達成しようとするというのである。

今日、多くの社会現象において反理性主義と悪が存在しているという正にそのことが、他に対する一方を判断するために使う「理性的」と「善い」ことの明確な基準を我々に擁護させている。主観主義と主観的理性の多くの批判者が示してきたように、純粋に私事本意主義的・相対主義的・機能主義的アプローチが、倫理基準を確立するために何かをしてくれることなどないだろう。主観主義と相対主義はその倫理基準を個人的好みから導き出しているが、個人的好みはムードと同様に一時的でつかの間のものである。唯名論的アプローチも満足いくものではない。<歴史>を不可解に分類された諸パターンや、理解不可能な想像力の産物へと還元することは、社会発展に全く内在する倫理的一貫性を否定することなのである(原注11)。実際、無分類で無選別で無媒介のアプローチは、<歴史>に関する我々の理解を、洞察ある一貫性ではなく粗雑な折衷主義へと、有意味で普遍的なものではなく相違点(この精神のない時代には余りにも簡単なのだ!)と特異性へと還元し、常識的個人が左翼リバータリアン社会運動を再構築できるようにせずに、精神分析のカウチを魅惑的に見せているのだ。

もし、社会発展に関する我々の見解が、ある文化や時代を別なものと区別している違いを中心に構成されるのならば、我々は根底にある諸傾向を見過ごすことになろう。その諸傾向が、異常なほどの普遍性を持って、様々なレベルの個人と社会の自己認識において自由に向けて物質的・文化的諸条件を大幅に拡充してきたのである。分裂・社会的孤立・独自の構成(unique configrations)・偶然の出来事を莫大に強調することで、共有的で明らかに共通の社会発展は、それぞれが先行するものと後続するものとは本質的に無関係な、諸文化の多島海へと還元されるであろう。だが、しばしばその行く手に立ちふさがっているように見える手に負えない障害物にも関わらず、多くの歴史的諸力が出現し、没落し、再び出現してきたのだ。数千年もの間抑圧された民衆を苦しめてきた欠乏・搾取・階級支配・優越的支配・ヒエラルキーといった永続的諸問題の存在を認識するために、「基礎付けされた」言葉で「全て」を説明する必要などはない(原注12)。もし、批評家が、いくつかの理路整然とした公式で全ての現象を包含できると主張するのだから弁証法はミステリーだと呼ぶことが正しいのであれば、彼らは人間社会の発展を、それが連続性も統一性も−−つまり、<歴史>哲学の基盤を−−持っていないと主張する以上、ミステリーだと見なさねばならないだろう。<歴史>における連続性という概念抜きで、Homo sapiens sapiensが二万年前〜三万年前のマグダレニアン期に産み出した文化と技術の法外な開花をどのように説明できるというのだろうか?少なくとも世界の三つのバラバラな場所−−中東・東南アジア・中央アメリカ−−は、明らかに互いに接していたわけでもなく、全く異なる穀物、特に小麦・米・トウモロコシの耕作に基づいていたのだが、これらの場所において複雑な農業システムが明らかにお互いに無関係に進化したことをどのように説明できるのだろうか?勃興・停滞・消滅という一万年もの歳月を経て、都市は、お互いに何の接触も有り得なかった世界の様々な地域において、V=ゴードン=チャイルドのが呼んだような「都会革命」を産み出しながら、都会の発展を妨げていた農業世界に対する統制力をついに獲得したのだが、どのようにして、こうした社会的諸力の大規模な集合を説明できるのだろうか?

最もはっきりしていることだが、中米とメソポタミアは、旧石器時代からずっと、互いに何の接触も持ち得なかった。だが、その農業・街・都市・識字能力・数学は、非常に似通った形で発展したのだ。当初は旧石器時代の食料探索者だったが、どちらも、最も強烈な類似点だけをあげれば、穀物耕作・絵文字・正確なcalendrics・非常に入念に作られた陶器に基づいた高度に都会化された文化を産み出したのだった。ユーラシア社会とはいかなるコミュニケーションも持っていなかったにも関わらず、数字のゼロだけでなく車輪すらも中米人には知られていた。多分、車輪は、特定の牽引動物がいなかったから、使われてはいなかったのだろうが。服・日常習慣のいくつか・神話といったちょっとした違いを強調し、二つの文化が二つの異なる大陸で、数千年にもわたり完全にお互いに孤立していた後に示した意識と社会発展の驚くべき統一性を犠牲にするためには、歴史的相対主義者たちは<文明>の統一性を驚くほど軽視しなければならないのである。

社会進化の統一は「何故、レーニンは、1917年〜1918年のロシアに現れ、ドイツに現れなかったのか?」などという唯名論的混乱によって無効にされはしない。<歴史>の大いなる満ち引き運動に照らし合わせて、伝統的プロレタリア階級が、労働者が自分の生活の大部分を、社会的事柄の管理に参加せずに、勤勉な労働に捧げなければならない時に、「労働者の国家」、事実、国権主義的概念が本当に意味していたことをかつて作り出すことができたのかどうかを−−レーニンの強靭な意志とケレンスキーの心理的無気力はさておいて−−探求することの方がもっと適切だろう。気まぐれ・偶然・非合理・「想念」は、良かれ悪しかれ、確かに社会発展に参入している。だが、それらは、我々の基準で前提としている「他」を定義するために使う倫理基準がなければ、文字通り何ら意味を持っていないのである(原注13)。一見して、偶発的だったり、風変わりだったりする要因は、我々がそれらを理解しようとするのならば、唯名論的些細な事柄のレベルにしなびさせられるのではなく、社会理論のレベルにまで引き上げられねばならないのである。

偶然・失敗・その他の逸脱も理性的社会発展と個人発達の方向を変化させるかもしれないが、拙著自由の生態学の重要な一章にその名を付けたような「自由の遺産」、つまり、思想・道徳的価値観・社会生活の全領域において人間性が自由と自己意識に向けて次第に接近するという伝統もあるのだ。事実、一貫した開花としての<歴史>の存在は、<歴史>の潜在可能性が具体化し部分的にアクチュアル化した<文明>の存在によってはっきりと証明されているのである。人間性がこれまで、理性それ自体と同様に、さらに大きな自由・自己意識・協働に向かって来ていたということが、文化的・心理的と同様に、物質的な具体的前進で成り立っているのである。血縁関係の絆が持つ制限を超越し、単なる食料探索から農業と工業へと進み、偏狭な集団や部族を次第に普遍的になる都市と置き換え、書き言葉を作り出し、文学を産み出し、文字を持たない人々には想像できないほどの芳醇な表現形態を発達させた−−これらは全て、そしてもっと多くの前進は、次第に洗練されていく個性の諸概念を進化させ、正に今日まで気絶するほどの達成であり続けている理性の諸概念を拡充させる諸条件を提供してきたのである。

この伝統の発展を把握しているのは、道具的理性ではなく、弁証法的理性である。事実、弁証法の論理を、それがどれほど計画されていようとも、獣性の噴出と同等に扱うことなどできはしない。エピソード的能力開花しつつある潜在可能性と同じだとする事など決してできないからだ。<歴史>の弁証法的理解は、質における相違点・論理的連続性・歴史的発展の成熟を、単なる変化の力学だとか「社会力動」の単純な指令とは別個のものとして把握している。人間解放に向けたプロジェクトを、人間経験全体の諸現実と思弁的理性の洞察とは無関係の、ほとんど主観的「想念」であるとされる点まで希薄にすることは、こうした発展の実存的インパクトと永続的に拡大する自由・自己意識・協働に向けてそれらの発展が持っている約束事を見過ごすことになりかねない。風変わりな要因ではなくもっと根元的な要因である歴史的・文化的運動の結果としてこれらが生じていなかったとすればどのような種類の人間種になっていたのだろうかと問うこともなく、我々は、こうした達成を全く余りにも簡単に考えているのである。はっきり認めておこう、こうした達成が、<文明>なのだ。実際、酷く野蛮で動物主義的な諸特徴が注ぎ込まれてはいるが、文明化の連続体(civilizing continuum)なのである。文明化のプロセスは、私が「自由の多義性」(原注14)の中で強調していたように、多義的であった。だが、文明化のプロセスが歴史的に民族を市民に変える一方、人間が動物と共有している環境への適応プロセスは、明確に変更可能な環境における革新という幅広く厳密に人間的なプロセスへと変換されてきたのである(原注15)。どれほど世界の他の場所がこの経験で養われていようとも、文明化のプロセスがその最大限の普遍性に到達したのは、主として欧州に置いてであった。<文明>とカオスとの間にある障壁がもろいものであるということをはっきりと恐れている人々は、実際には、単にカオスの存在ではなく、<文明>の存在を、そして、単に非理性的な支離滅裂性ではなく、理性的な一貫性の存在前提にしているのだ。

それ以上に、自由の弁証法は、イデオロギー的にも物理的にも、自由を求めた闘争が繰り返される中で何度も出現してきたのだった。それが、自由・自己意識・協働という全般にわたる目標を永続的に拡充したのである−−特定時期の社会進化同様に全体としての社会進化でも。過去は、大多数の人々が、どれほど自分の文化に絶望していようとも、千年にもわたる同じ諸問題を、非常によく似たやり方で、非常によく似た見解を持って解決しようとしてきた実例で溢れている。1381年に勃発した英国農民暴動で平等を求めた有名な叫び−−「アダムが土を掘り、イヴが糸を紡ぐ。そんなときにどこに紳士などいるのか?」−−は、現代とは全く異なる「想念」を持っていたであろう600年前の世界と同様に、現代の暴動にも同じぐらい意味があるのだ。理性的で普遍的な<歴史>・<文明>・<進歩>・社会的連続性の否定は、あらゆる歴史的見解を不可能にし、その結果、革命的プラクシスを、個人的な好み、実際、非常に個人的な好みの問題を除けば、意味のないものにしてしまう。

社会運動が、自由・自己意識・協働に向かう人間性の潜在可能性を発展させる中で、理性的社会と呼んでいるものを獲得しようとするときでさえ、<歴史>は永久に発展する「全体」として自身を組織するだろう。強調しておかねばならないが、この全体は、ヘーゲル派の最終的な「絶対」とは異なるものでなければならない。丁度、観点の実質に一貫性を求めることは、そのような「絶対」を賛美することとは異なるものでなければならないように。そして、丁度、弁証法的に論理的なやり方で推論する思弁的理性の能力として、自由に向かう人間性の正に真の潜在可能性は、「全体主義」ではないのと同様に目的論的でも絶対主義的でもないように(原注16)。<歴史>に関しては、目的論的なものも、神秘主義的なものも、絶対主義的なものもない。「全体調和性」(wholeness)は、その進化する諸要素が前もって決定された「絶対」の単なる一部である、というような目的論的指示対象ではない。人間の潜在可能性の理性的開花も、永遠に与えられた「全体性」(Totality)におけるそのアクチュアル化も、前もって定められてはいないのだ。

我々の潜在可能性を達成することは、超人的活動といった類の曖昧なものでもない。人間は、その完全で最終的な自己実現・自己意識を達成している精神(ガイスト)の受動的道具でもない。むしろ、人間は、能動的行為者なのである。<歴史>の本物の「構成要素」なのである。社会進化の中で自分の潜在可能性を敷衍するかも知れないし、しないかも知れないのだ。革命的伝統はこちらでは早産され、あちらでは中断されている−−そして結局、我々は究極的には人間性それ自体を流産してしまうかもしれないことを知っているのである。「究極的な」理性社会が、解放的な「<歴史>の終わり」として実際に存在するのかどうかは、誰にも予想できない。理性的で、自由で、協働的な社会の領域がどのようなものになるかなど、誰にもわかり得ない。ましてや、その「限界」に関する知識をあえて主張することなど出来はしないのだ。事実、生き生きとした人間行為者によってもたらされる歴史的プロセスが、理性・民主主義・自由・協働の概念を拡充する可能性が高い限り、これら諸概念が最終性を持っているなどとドグマ的に主張することは望ましくないのである。<歴史>は、様々な時代でこうした諸概念に関するそれ自体の理想を形成し、そのことが<歴史>を拡充させ、芳醇にしてきたのだ。全ての社会は、物質的・文化的・知的諸条件がそれを可能にすれば、少なくとも、それらが社会にとって利用できるものであれば、顕著なまでの理性の程度を獲得する可能性を持っているのである。奴隷・家父長制度・戦士・都会的世界といった制限の中で、古代アテネのポリスは、スパルタなどのギリシアのポリス群よりも遙かに理性的に機能していた。ある特定時期に何が存在すべきかを推論するのは、こうした諸概念を拡充する正に真の潜在可能性に基づいた、正に思弁的理性の仕事である。「<歴史>の終焉」が自由主義的資本主義において達成されたと結論づけることは、自由社会を創造するという壮大な努力−−過去の偉大なる諸革命で無数の生命を奪った努力−−の歴史的遺産を放り投げてしまわねばならないであろう。私としては、多分今日の多くの革命家もそうだろうが、そうした「<歴史>の終焉」の余地など欲していない。また、私は何年にもわたり生じてきた、数多くの形態全てにおける民衆的自由を求めた偉大なる解放運動を忘れてしまいたいとも思わないのである。

<歴史>・<文明>・<進歩>は、弁証法的に理性的な社会配分(dispensations)である。それらが直面している障害物全てがあったとしても、自由の弁証法的遺産を形成するのである。この自由の遺産の存在は、「支配の遺産」の存在を否定しない(原注17)。支配の遺産は、非理性の領域内にあり続けるのだ。実際、こうした「遺産」は、お互いに絡まり合い、お互いの条件となっているのである。自由に向かう人間の理想・闘争・様々な接近の達成は、数世紀にわたる社会発展を特徴づけてきた残虐行為と獣性と切り離すことなどできはしない。こうした残虐行為と獣性が、その発展を非常に予想しにくい新しい社会構成(social configurations)を生じさせることが多いのだ。だが、一つの重要な歴史的問題状況が、理性が一定の発展を予見できるほどにまで、残っている:育成されているのは、自由になるのか、それとも支配になるのだろうか?私は断言する。<進歩>とは、支配よりも自由が促される−−そして多分誰もが望んでいるのだろうが、それが優勢になる−−ことである。それは、希望と抑圧の意識が共に増大しているのは近年の数世代だけだということを考えれば、明らかに、非歴史的実体の中に概念的に凍りづけられることなどできないのだ。<進歩>は、また、それがどれほど多義的なものであっても、人間の物質的生活諸条件の全般的改善・無反省な習慣や有神論的道徳のない感性と行為に関する啓蒙された基準を持った理性的倫理の出現・継続的な自己発展と協働を促す社会諸制度に現れる。だが、社会的実践に関連した倫理的要求の欠如がいかなるものであろうとも、現代の野蛮さ全てを考えれば、我々は、獣性を以前よりも遙かに粗雑な判断にさらしているのである。

理性的倫理−−十戒のような思慮のない習慣と単なる道徳命令とは別なものとしての−−を、思弁的理性が所与の現実を越えて推論可能な自由に向かう真の潜在可能性に基づいた善と悪という理性的に考えられた基準抜きにして、理解することは難しい。倫理に対する「充分条件」は理性的に明示されねばならないのであって、世論調査・国民投票・何が「主観性」と「自律性」を構成しているのかを明確にしていない「主観内」コンセンサスで簡単に認められてはならない。明らかに、このことは、蒸気のように空虚な言葉を褒め称えている世界においては行い難い。だが、現代の慣例的「知恵」から派生した諸概念を使って活動することよりも、真実を発見することの方が必要なのである。ヘーゲルが主張していたように、「自分自身のように汝の隣人を愛せ」といった平凡な道徳格言でさえ、「愛」によって我々は本当に何を意味しているのか、といった多くの問題を引き起こすのである(原注18)。

III

私は、古典的ヘーゲル主義・マルクス主義・アナキズム・社会民主主義・自由主義が提起している理論的諸問題に対する適切な左翼的批判が欠けており、その結果、こうした「主義」の批判的探求には重大な欠陥がある、と信じている。包括的で批判的な探求には、議論の焦点となっている主題の誤謬の分析だけでなく、批評家が持つ隠れた前提の分析も必要となろう。批評家は、自分が使っている諸概念で何を意味しているのかを明確に定義しなければならないであろう。この内省的義務は、徹底的な分析の替わりに「想像力」・「自由」・「自律性」といった理論化されていない言葉を使うことで、回避することなど出来はしない。こうした思想、その広がり、それらをお互いに支持し区別している伝統の複雑さ、そして、生の生き生きとした物質的・社会的諸条件から切り離してそれらを軽薄に論じている学問的環境での乱用され易さ−−これら全てが考慮すべき探求を必要としているのである。

説明が必要な重要諸概念・諸関係には、物理科学の「自然法則」に客観性を還元してしまう傾向がある(原注19)。慣例的な科学の語彙では、「自然法則」はお互いに対立している物体の力学的将来を予言する。個々の植物がその成長に必要な通常の諸条件下で何になるのかさえをも予言できるかも知れない。だが、客観性は、多重の意味を持っており、自然科学が公式化しようと求めている「法則」とは必ずしも一致しない。客観性には、非常に広い意味での世界の物質性だけでなく、その潜在可能性、物質性と同じぐらい非常に現実的だが、推敲を受けるように構成されている未だ現実化していないもの、も含まれるのである。永続的に増大する主観性・選択・行動的柔軟性−−真の潜在可能性とそのアクチュアル化の度合い−−に向かい、人間的知性・言語・社会的制度化に向かう鍵となる生命諸形態の進化は透き通るほど明白なのだ。客観的潜在可能性は、それが出現する諸条件に依存してそれがアクチュアルになっていようがいまいが、内在的なのである。人間の中では、潜在可能性のアクチュアル化は、無意識的に開花するほど自由ではないものの、加齢と死以外の何かによって必ずしも制限されてはいない。だが、最小限でも、人間の潜在可能性のアクチュアル化は理性的社会の獲得に存しているのだ。もちろん、こうした社会は、ab novoとして現れはしないだろう。正にその性質によって、理性的社会には発展・成熟・もっと正確に言えば<歴史>−−社会が潜在的に理性的になるように構成されているという正にその事実によって達成する可能性を持った理性的発展−−を必要とするであろう。非人間的世界における生の自己実現が生存や安定だとすれば、人間性の自己実現とは、社会における合理性だけでなく、自由・自己意識・協働の度合いなのである。単に、もしくは主として、科学的「自然法則」に還元されているため、客観性は非常に弱められている。客観性は、潜在可能性も、実存的現実における弁証法の働きも包含していないのである。もちろん、人間的現象の開花におけるアクチュアリティに対して現実を評価するための基準としての、いわゆる、その存在はもちろんである。(原注20

「資本主義的生産の自然法則」を発見したというマルクスの主張は馬鹿げている。だが、それに対する代案として相対主義を押し進めることも同じぐらい馬鹿げているのだ。若く、もっと柔軟な時代には、マルクスは、「思想はそのアクチュアル化を探し求めるべきだというのだけでは十分ではない。アクチュアリティそれ自体が思想に向けて努力しなければならない」と洞察を持って主張していたのだった(原注21)。弁証法的理性としての思想は、人間の理性的プラクシスが内在を客観的にアクチュアル化する限りにおいて、現在と未来を形成する上で変換的(transformative)になるのである。今日、主観主義が至高のものだとして蔓延し、重要な出来事に対する一般的反応でさえもが<歴史>・<文明>・<進歩>から意味と一貫性を消滅させているときに、一方では自然科学と「自然法則」よりも、他方では特異的で・「想念的」で・偶発的なことの強調よりも、莫大に広範な客観性が桁外れに必要なのだ。卑俗なマルクス主義者が「科学」を使って「社会主義は必要だ」という倫理的主張を「社会主義は必然だ」という目的論的主張へと変えているとすれば、今日の「ポスト−マルクス主義」の批評家たちは社会理論の領域における支離滅裂性を皮肉にも賞賛することで同様の俗悪さを繰り返しているのだ。社会主義の必然性という主張は粗雑なまでに決定論的だったが、その必要性の主張は、理性的で倫理的な解明だったのである。

「相互主観性」と「相互主観的諸関係」について言えば、それらは、人間性はどのように生物学的進化に根ざしているのか、もしくは、我々が「自然」と幅広く呼んでいるものは何か、について、いかなる有意味なやり方でも説明出来はしない。特に、「自然」が内包している正に客観的進化的な現実性を回避するために「社会の建設」というフレーズを器用に使ったとしても、である。丁度、「相互主観的諸関係」の主観化された結びつきが、社会現象の客観性を解消するように、「社会の建設」という主観化された結びつきが自然進化の客観性を解消する。あたかも社会現象も自然進化も、それらがあまりにも単純化された認識論カテゴリーの一対であることはおいておくとしても、全くアクチュアリティを持っていないかのようである。ここで、カントが徹底的に再登場しているのだ。カントとの違いがあるとすれば、ここではカントの実体ある実存的現実や不可知の実存的現実さえもが消滅しているという点なのである。

強調されねばならないが、弁証法は、アリストテレス・ヨハネス=スコトゥス=エリウゲナ・ヘーゲル・マルクスのような本質的に異なる弁証法思想家が、様々なやり方で、それぞれの時代に知識と現実の異なる領域を理解していたからといって、単なる「方法」に還元できるようなものではない。弁証法に関する人間性の知識は、それ自体でプロセスなのであり、弁証法的思考は、それ自体で発展−−いわゆる「パラダイム=シフト」ではなく、累積的発展−−を経験しているのである。丁度、科学者が、様々な考えを互譲したり否定したりする中で、現実とその生成の性質に対する一方的な洞察を解決しなければならなかったのと同じである(原注22)。

弁証法的理性が推論する幅広い客観性は、理性が今後蔓延するだろうということを示していないのだが、それは、蔓延しなければならないということを暗示している。それによって、人間活動と倫理が融合し、真に客観的な倫理的社会主義、つまりアナキズムの基盤を作り出すのである。それ自体で、弁証法は単に存在論的因果だというだけではない。これまで充分に強調されたことはなかったが、それは倫理でもあるのだ。弁証法的理性は、「現在そうあるもの」に対するものとして「そうあるべきもの」の倫理的影響力を是認することで、歴史における倫理を可能にする。弁証法的理性としての<歴史>は、いわゆる火急の要求を、我々の行動規範と出来事の解釈に対して行使するのである。この解放的遺産とその開花を促す人間的実践抜きにしては、我々は、私的好み以外には、一連の文化的現象において、何が創造的で何が沈滞しているのか、何が理性的で何が非理性的なのか、何が善くて何が悪いのかを判断することさえについても、いかなる基盤をも絶対的に持たないのだ。科学の限定された客観性とは異なり、弁証法的自然主義の客観性は、その正なる性質によって、それが理性的だと特定している種類の社会、つまり人間性の潜在可能性のアクチュアル化である社会という点で、倫理的なのである(原注23)。それは、科学の狭い客観性を否定し、人間の潜在可能性が持つ客観的性質から導き出される理性的結論、そうした潜在可能性を次第にアクチュアルにする社会によって前進するのである。そして、それは理性の達成としてのあるべきもの、つまり、「善」に関する理性的知識と善と自由な諸制度に具象化可能な社会的理性との概念的調和を基盤にして、そのようになされるのである。

伝統的ヘーゲル主義者はそう仮定していたのかも知れないが、社会発展は、必然的に理性的だから、弁証法的なのではない。むしろ、社会発展が理性的であるところでは、社会発展は弁証法的であり、歴史的なのである。つまり、我々は、唯一無二の人間的潜在可能性から、自由で自己意識的で協働的な社会において人間的自己実現を前進させる理性的発展を推論できる、と主張するのだ。ここで思弁的理性は、そうあるべきものとしての社会の理性的発展(非理性的変遷に影響されないわけではない)を認める権利を主張する−−我々が現実生活で知っているような人間の潜在可能性を考えれば、部族民から民主的市民へと、神話作成過程から理性へと、民族的集団性における人性の服従から理性的地域社会における個人性へと進化していること、これら全ては、実存的現実であると同時に理性的結末なのである。こうした諸問題を抱えた状態について何が起こってきたのかだけでなく、何故それらが様々な程度で繰り返し、どのようにして解決しうるのかをも理解し、説明するためには、いつでも思弁的理性に頼らねばならないのである。

非常に現実的な意味で、ここ過去15年以上は、理性的社会に向かう長期的前進で特徴づけられてはこなかったという限りにおいて、非常に多事的ではあるが、明らかに非歴史的だった。実際、何かあったとするなら、テクノロジーと科学のめざましい進歩−−その成果は予測できないが−−にも関わらず、イデオロギー的・構造的に野蛮主義へ回帰する傾向だと思われる。だが、非理性・野蛮主義への回帰を「弁証法的に」取り扱う弁証法−−つまり、厳密な否定弁証法−−など有り得ない。この名を冠したアドルノの本も、(ヘーゲル的な意味での)理性の「弁証法的」系譜を道具主義へと辿っていたホルクハイマーとアドルノの「啓蒙の弁証法」も、渦巻き状のニーチェ主義的言葉遣いのごたまぜと同じだったのだ。それは、光り輝き、色鮮やかで、刺激的なほど情報を提供してくれることが多いが、混乱していることも多く、どちらかといえば非人間的で、乱暴にいってしまえば、非理性的であったのだ(原注24)。超越(アウフヘーベン)の精神を全く持たず、「否定の否定」を無視している「弁証法」は、その正なる中核において偽物なのだ(原注25)。社会的逆行を「弁証法的に」扱おうとした最も早い時期の試みの一つには、ドイツのトロツキスト理論家ジョセフ=ヴェーバーが企てた余り知られていない「退歩テーゼ」があった。彼は、Internationale Kommunisten Deutschlands(IKD)の亡命指導者だった。ヴェーバーは、IKDのプログラム「資本主義の野蛮と社会主義」を書いた。これは、第二次世界大戦の最も苦々しい日々の最中、1944年11月にマックス=シャヒトマンの新しいインターナショナルの中で公刊され、将来の時代にいる多くの思索する革命家たちが直面する問題−−もしプロレタリア階級が第二次世界大戦後に社会主義革命を起こすことができなかったら、資本主義はいかなる形態をとるであろうか?−−を示していたのだった(原注26)。IKD文書のタイトルが示しているように、マルクス主義者全員が、社会主義は「必然である」と見なしていたり、「戦後」に社会主義的「歴史の終焉」が必ずやってくるだろうと考えていたわけではない。そう考えていたのは多分我々が思っているよりも少数だったのであろう。事実、私が50年前に反主流の(dissident)トロツキストとして知っていた多くの人たちは、社会主義が将来最大の希望であるのと同じぐらい、野蛮主義は未来に対する重大な危険である、と確信していた(原注27)。今日我々が直面している野蛮主義の見込みは、二世代前に革命的マルクス主義者が直面していたものとは形式において異なっている。だが、本質的には何ら変わりはない。<文明>の未来は未だにどっちつかずの状態にあり、資本主義に対する代替的解放ヴィジョンの正なる記憶は世代を経る毎に闇に薄れてきているのだ。

「想念」と主観は社会発展における確たる要素ではあるものの、近代資本主義は、以前のもっと多様な文化が持つ「想念」の特異性を一貫して分解している。事実、資本主義は次第に、社会を文化的にも経済的にも水平にし同質化している。それは、同じ商品・産業技術・社会諸制度・価値観・願望でさえもが、人間性の長い進展において先例のないほどの規模で「普遍化」されているほどまでにである。古代の諸文化で「想像」された古風な物神崇拝よりも大量生産された商品がもっと強力な物神崇拝になっている時代に、贅沢なネクタイとスリーピースのスーツが伝統的な腰布・マント・ケープに取って代わっている時代に、「ビジネス」という言葉が世界の多様なボキャブラリーで次第に翻訳を必要としなくなっている時代に、英語がいわゆる「教育を受けた階級」だけでなく普通の暮らしをしている人々のリンガフランカ(共通語)になっている時代に(この莫大に長いリストにさらに多くを付け加える必要があろうか?)、多様な文化の特異性が、現在、学問的対話の中で、過去には獲得することのなかった重要性を獲得しているなど奇妙なことだ。この対話は、近年の資本主義の発展が提示している挑戦の検討がもっと必要なのにそれを脇に逸らし、その代わり、密度が濃く学問的な大著を埋め尽くしている込み入った議論でそうした挑戦を神秘化し、特にフーコーとポストモダニズムの実例のように、自己中心的な個々人の「想念」を満足させる一つの方法なのだろう。自己中心的な個人にとって、資本主義システムを攻撃するための武器の選択は、ペイントスプレーであり、髪の毛を雄鶏の鶏冠よろしく剃り上げることが在来のプチブルと対決する最良の方法だというわけだ。

乱暴に述べてみよう。その理論家が、未来に対するインスピレーションを与えられた信念にとって非常に必要なブロッホの「希望の原理」を実質的に無視している限り、人間性を長年にわたって悩ませてきた広範囲にわたる共通諸問題を証言している普遍的<歴史>を否定している限り、私事本意主義的(もしくは「相互主観的」、「コンセンサス的」な)基盤以上のものに基づいた成長する善の思想とプロセス的理性を否定する限り、社会発展の強力な文明的諸次元(皮肉なことに、これらの諸次元は、実際には人間性の誤謬を批判する近代ニヒリストにとって非常に有効なものである)を否定する限り、そして、歴史的進歩を否定する限り、いかなる革命的運動も育つことはないのだ。だが、今日の理論においては、一連の出来事が<歴史>に置き換わり、文化的相対主義が<文明>に置き換わり、根本的悲観主義が<進歩>の可能性に対する信念に置き換わっている。さらに邪悪なことに、神話作成過程が理性に置き換わり、暗黒郷が理性的社会の見通しに置き換わっているのである。こうした置き換え全てで問題なのは、恐ろしいほどの割合での知的・実践的退歩である−−これは、特に、理論的明晰さが最も必要とされている今日において、驚くべき発展なのだ。現代に必要なことは、革命的運動、そして究極には民衆運動のための社会分析なのであって、私的美徳のマントをイデオロギー的に身にまとい、「美しき魂」に対する独善的否認を発している精神分析ではないのだ。

理性的にそうあるべきことと、現在存在することとの相違を考えれば、理性は必ずしも自由社会に具象化されはしないかも知れない。自由の領域が、我々が心に描くことができるほどに、その最も拡充的な形態にいつか達するとすれば、また、達しているときには、そして、ヒエラルキー・階級・支配・搾取がいつか廃絶されるなら、我々は、自由な存在として、真に理性的で倫理的で共感的な「認識する動物」として、最高の知性的洞察と倫理的誠実さを持って、その領域に入らねばならないだろう。厳しい物質欠乏と恐怖によって無理矢理その領域に入れられた畜生としてではないだろう。現代の謎は、今日の相対主義者は、この最も拡充した自由の領域に突入する準備を我々に知的・倫理的にさせているのだろうか、である。我々が、マルクス主義者が暗示していたような理解不可能な隠れた諸力によってより大きな自由に追いやられてしまうことなど有り得ない。ましてや「想念」・「本能」・リビドー的「欲望」程度のものにしか基盤を持っていない単なる好みが我々を追い立てることなど有り得ないのだ(原注28)。現代の相対主義者が、客観的世界との我々の接触をバラバラにする「想念的なもの」を許しているのなら、彼らは実際には邪悪な役割を演じていることになろう。理性的で客観的な行動基準が欠如しているために、想像力は、そうした基準が存在しているときに解放的になるのと同じぐらい悪魔的になる可能性がある。だからこそ、知識ある自発性−−そして知識ある想像力−−が必要なのだ。「権力を想像力に!」という叫びを伴った1968年5月〜6月の活気ある出来事の数年後には、学術学会におけるニヒリズム的なポストモダニズムとポスト構造主義の人気の沸騰、「欲望」に関する無味乾燥の形而上学、「自己実現」のあこがれによって促された政治とは無関係な「想像力」の要求が生じたのである。私は主張したい。これまで以上に、我々はニーチェの格言、「全ての事実は解釈である」を逆転させ、全ての解釈は「事実」に、すなわち、客観性に根ざしていなければならない、と要求しなければならない。我々は、社会主義の諸理想を科学として鋳造しその運動を権威主義的諸制度に窒息させている解釈よりも、もっと広い社会主義の諸解釈を探し出さねばならない。我々が<文明>と野蛮との間をシーソーのように揺り動いている時代に、現代のありとあらゆる諸形態の非合理性の主唱者たちは、人間の諸問題を説明するためではなく、<歴史>と人事における理性の役割の落胆するほどの拒絶をもたらすために生まれてきた暗黒世界の冥界の悪魔なのだ。今日、私の不安は、リバータリアン社会主義社会が出現するという科学的「保証」がないことにあるのではなく−−私の年齢では、それを見る恩恵は与えられてはいないだろう−−、非常に退廃的で絶望的な時代に、そうした社会を求めて戦うことさえもがあるのかどうかということに存しているのである。

−−February 15, 1994

Notes

原注1. さらに、客観性と主観性を二股に分けるというこの傾向にも関わらず、この二つはお互いに排斥しあうものではない。客観性に対する主観的次元があり、説明が必要なのは正確にはこれら二つの関係なのである。

原注2. 道徳相対主義は、近年、純粋な機能的・道具的合理性の繁殖地になってきている。このことが、私の見解では、真剣な社会分析と意味ある倫理に対する最大の障害物の一つなのである。相対主義的アプローチが依拠しているマックス=ホルクハイマーの理性の失墜からのフレーズを使えば、「主観的理性」が、単に学術学会内部だけでなく、一般大衆内でも、英国系米国思想の主要諸苦悩の一つとなってきているのである。

原注3. その自己実現は自身の潜在可能性に存すると予測されているが、私的解放と完全独立の「自律性」という巣の中で生きている「美しき魂」(ヘーゲルのフレーズを使えば)の主張にもかかわらず、人間は、それでもなお、自分がしたいと思うようには行うことはできないのである。ここで、マルクスは、スプレー缶を手に持ち、「自由を今!」(Freedom now!)と叫びながら、組織と理論的探究の真面目な試みを混乱させるという悪しき習慣を有している今日の個人主義的アナキストの数段先にいたのだった。

原注4. 今日、ヘーゲル・マルクス・レーニンのような人物について大ざっぱな非歴史的一般化を押し進めることほど簡単で、誤魔化しで、独りよがりのことはない。もっと分別があるはずの民衆がそうした人物を非常に軽薄に扱っていることこそ、現代の醜い知性的堕落の証拠なのだ。スターリンの全体主義の根元は、マキァヴェリのいわゆる「大西洋共和国の伝統」だ、なぜならマキァヴェリは君主論の著者だからだと主張することもできるだろうし、カール=ポパーが非常に悪名高く行ったように、それはプラトンだと主張することもできるだろう。だが、疑いもなく、ヘーゲルはマルクスの弁証法観点には断固として反対していたであろう。マルクス主義者ローザ=ルクセンブルグと評議会共産主義者ゲルテルとパンネクックがしたように、マルクスも至極当然にレーニンを否認するあろう。トロツキーがスターリンを遅まきながらも攻撃し始めた後の1925年にレーニンの未亡人がこの前赤軍司令官を酷く非難していたように、スターリンは確実にレーニンを投獄していたはずである。

原注5. こうした前マルクス主義者たち(特に「新左翼」の学生や大学教授たち)の多くは、そのお気に入りのドグマを使って60年代を汚染し、自分たちが「楽しんだ」後に「大人になった」(1968年のパリ老兵の多くが述べていた皮肉な表現を言い換えれば)だけだった。そして現在、懐疑主義・ニヒリズム・主観主義が90年代を汚染しているのである。今日の本物の新左翼の発展に対する最も重大な障害はAlain Touraines・アンドレ=ゴルツ・マイケル=ウォルツァーといった、近代資本主義と完全にうまくやっていける「市場社会主義」・「最少国家主義」・正義と自由に関する多元化された諸概念へと様々に集まっている人々なのである。ある思想が到達しうる最悪の運命は、その思想が歴史的に死滅してだいぶ経ってから、ニューヨーク市の New School for Social Research の大学院コースで、人工的に生き長らえさせられることなのだ。

原注6. 科学主義をイデオロギーだと批判するときに、自然科学それ自体が魔法と迷信に対する信念を転覆し、現実に対する現世的・自然主義的アプローチを促しているときに果たしていた役割を忘れてしまうことは容易い。我々はもはやドラキュラを信じてもいなければ、ヴァンパイアをかわすための十字架の力を信じてもいないし、悪魔とコミュニケーションを取るための女性が持つオカルトの力など信じてもいないと、私は思いたい。それとも、信じているのだろうか?

原注7. 社会生態学の哲学:弁証法的自然主義に関するエッセイ集(Montreal: Black Rose Books, 1990)の「イントロダクション:哲学的自然主義」を参照してほしい。改訂版が1994年にBlack Roseより出版されることになっている(訳注:改訂版は既に出版されており、本論分が収録されている)。

原注8. 実際、「諸出来事に対する論理」(logic to events)は存在するかも知れないが、それは、因果関係と、AはAであるという同一性原理に基づいた慣例的理性の論理なのであって、弁証法的理性の論理ではない。

原注9. ジェームズ=ミラー著、ミシェル=フーコーの情熱(New York: Simon & Schuster, 1993)を参照。

原注10. こうした諸問題に関するもっと詳細な議論については、近く出版される(訳注:既に出版されている)拙著、人間性の再魔術化(London: Cassell, 1995)を参照。

原注11. 皮肉なことに、これが倫理的社会主義としての社会的アナキズムの意味を腐敗させてさえいるのである。

原注12. マーシャル=サーリンスならば持っているであろう、文字文化を持たない人々が「裕福な社会」を「享受していた」という考えに私は何の慰めももたらしてくれはしない。その主だった苦難だけを引用してみれば、彼らの一生は全く余りにも短いことが多く、その文化は明瞭な文章システム(syllabic system of writing)の剥奪と迷信によって重荷を負わされ、お互いに戦争状態にあることが多かったのだった。彼らの生活に関する田園生活風のニューエイジ的イメージとは逆だったのである。

原注13. 実際、一連の偶発事として<歴史>を見ている唯名論的歴史家たちでさえ、社会発展における「偶然ではない」(多分理性的でさえある)ものの存在を暗黙の内に前提としている場合が多い。

原注14. 拙著自由の生態学の第11章を参照(1982年:再版は、Montreal: Black Rose Books, 1992)。

原注15. テオドール=アドルノの格言、「いかなる普遍的<歴史>も野蛮から人道主義を導くことはないが、投石器からメガトン爆弾を導くものはある」ほど一方的で有害なものはないと思われる。この思い上がった、考え抜いていない宣言は、否定や社会的・イデオロギー的前進を拒絶した否定性(アウフヘーベン)に対するアドルノのコミットメントと共に、自分の理性の肯定が偽りであったことを示しているニヒリズムに、実際、人間性の醜い悪魔化に向かう一ステップだったのだ。E=B=アシュトン訳、否定弁証法(New York: Seabury Press, 1973)、320ページを参照。

原注16. 私は、そうした示唆ができないようにするために、全体性(Totality)と精神(Spirit)という言葉を意図的に避けている。

原注17. 自由の生態学の一章の名前である。

原注18. G=W=F=ヘーゲル著、「理性による掟の制定」、精神現象学、長谷川宏訳(作品社、1998年)、282ページ〜287ページ。

原注19. ヘーゲルは、ガイストつまり「精神」(Spirit)という考えでがんじがらめになっていたし、前もって決定された「絶対」という概念を持っていたが、少なくとも非人間的生命形態の自己発展を、例えば、人間性の自己発展、もしくはこのことに関していえば、社会の自己発展とは区別するという優れた感覚を持っていた。G=W=F=ヘーゲル著、E. S. Haldane and Frances H. Simson訳、哲学史講義第一巻の「イントロダクション」(London: Routledge and Kegan Paul, 1955, 1968; New York: The Humanities Press)、22ページ〜23ページを参照。

原注20. だが、今日の宇宙論と生物物理学は、弁証法的自然主義が押し進めている発展に関する柔軟な諸概念を必要とする現象に直面しているのである。

原注21. カール=マルクス著、Lloyd D. Easton and Kurt H. Guddat訳、「ヘーゲル法哲学批判序論」、哲学と社会に関する青年マルクスの著作集、(Garden City, N.Y.: Doubleday and Co., 1967)、259ページ

原注22. 例えば、W=T=ステイス著、批判的ギリシア哲学史は、一連の古代ギリシア思想家がどのようにして、一方的ではあるが十全な諸観点を次第に完成させ、当時の最も進歩した弁証法哲学、特にアリストテレスの弁証法哲学を産み出したのかを示している。確かに、現実が持つ弁証法的性質に対する洞察の発達は、ギリシア人で終わってはいなかったし、現代の思索者で終わることもないだろう。丁度、19世紀には、非常に多くの物理学者がニュートン的物理学を完成させるためにはほとんど付け加えることなどないと考えていたが、当時で科学が終わらなかったのと同じである。その哲学史において、ヘーゲルは、真実の様々な度合いに近づく、弁証法理性の様々な度合い(だからといって、彼が「相対主義者」だったことなど決して意味していない)だけでなく、合理性の様々な種類−−常識的種類の「理解」つまり、Verstandと弁証法的種類の「理性」Vernunft−−をも指摘していたのだった。

原注23. 近年、弁証法的自然主義は「認識論的誤謬」を犯していると批判されている。アプリオリな諸概念が、それら自身の諸条件の妥当性となり、弁証法それ自体を自己妥当的なシステムにしている、というのである。このことは、あたかも弁証法的自然主義が潜在可能性の現実を中心として構築されていなかったかのようであり、純粋にアプリオリな思弁理性形態であるかのようだ。だが、こうした批判それ自身が、全ての概念の内で最もアプリオリで、実際に同義反復的なもの、同一性原理AはAであるを、弁証法理性よりも望ましいとして用いている類の論理を使用していることが多いのである。

原注24. この観点は私には目新しいものではない。1980年に完成し、1982年に出版された自由の生態学で、私は、啓蒙の弁証法は実際には全く弁証法ではない−−少なくとも、「それ自身の自己発展を通じた理性の否定を説明する試み」(382ページ)に関して−−ということを示そうと骨を折っていたのだ。フランクフルト学派に対する私の尊敬は、1940年代と1950年代に米国の大学と社会理論(いわゆる、「社会学」)で主要な哲学的流行だった実証主義に対する洞察深い批判と、ヘーゲル派哲学に注ぎ込まれた様々な洞察に大きく存していた。今日、こうした価値ある諸貢献よりも、フランクフルト学派の活動が合州国とドイツでポストモダンの観点を容易に促したこと、フランクフルト学派の産物、特にアドルノの著作がどの程度学問的商品になっているのかということの方が重要だとされているのである。

原注25. 一見して関連しているが対立する考えや、変形性(alterity)の色鮮やかな諸表現を比較するという言語的パラドックスも、どれほどそれがヘーゲルの諸公式やマルクスの最良の部分に似ているように思われようとも、私がここで議論してきた意味での弁証法ではない。この種のアドルノの挑発的な努力は、それ−−挑発−−と大した違いはないことが判明することが多い。

原注26. IKD の Auslands Kommitee(海外委員会)によって提出された、この莫大な文書は社会主義か野蛮かにだいぶ先んじていた。だが、それが押し進めていた思想は今日考慮する価値はない。1940年代初頭にヒットラーがでたらめに世界に対して示した見せかけの戦争目的−−工業化された西欧諸国をドイツ資本の単なる衛星にし、東欧を農業化して人口を減らす−−を世界規模に外挿しながら、この帝国主義(野蛮主義)理論は、古いマルクス主義的帝国主義理論が戦前に想定していたような資本ではなく、脱工業化が発展途上諸国に輸出されると主張していたのだった。

原注27. 1940年代後半には、労働者の運動−−実際、「労働者評議会」や「産業の労働者管理」−−は、特に、1940年代後半の大規模ストライキ運動の後遺症(これが労働者としての私の人生に直接影響を与えたのだ)と共に、革命的だと見なされてはいなかった。

原注28. 多くの急進主義理論家がうるさく勧誘している「自由の本能」という概念は、単なる矛盾語法である。本能が持つ抗しがたい、実際に必然論的特徴こそが、本能を正に自由のアンチテーゼにしているのだ。自由の解放的次元は選択と自己意識に基づいているのである。