http://site.add/ 薄明ブレス




■ 微温湯(前) ■


戦場で浴びるように鮮血に塗れると、人間に戻るのに時間が掛かってしまう。
陣内に戻って来たカカシ、他数名に、近付く味方は居なかった。
遠巻きに様子を窺うその視線さえも煩わしい。
暗部なんて、所詮一番汚くてキツイ仕事をやらされるだけの駒だ。
ここぞという時に最前線に駆り出され、無事に戻って来ても暖かな言葉一つ掛けられる事は無い。
現役暗部の若い男が、忌々しげに血の混じった唾を吐き捨てた。
カカシは諌めるように手を上げ、そのまま解散を言い渡した。



着替えも無限に有る訳ではないから、寒空の下水を浴びる羽目に陥る。
川の深い所は水流も厳しい。
疲れた身体は鉛を抱いているようで、流されぬように気を配らねばならぬ程だ。
暗部が川流れなど、滑稽なだけだろう。
凍えた水に身体を震わせながら、血を洗い流した。
全ての装備を解くのは安全な場所で、が常識のカカシは着衣のままの行水を終え、岸に上がった。
体温が奪われ、吐く息は最早白くは無い。
適当に手拭いで身体を拭いていると、枯れ枝を踏み折る音がした。
見知った気配だ。
顔を上げると、髭の手入れを明らかにサボっているアスマと目が合った。
「よお」
「ドーモ」
口元には、煙草は無い。
奇妙な話だが、その違和感にカカシはここが戦場なんだと思い知る。
急に遠ざかり、二度と手に入らないような気がしていた日常を思い出した。
七班が未だ三人だった頃。
ナルトとサスケは反目し合ってはいたが、ちゃんと互いを助け合う事が出来る仲間だった。
サクラを入れて、幼い恋愛話なんかも有った。
もう、随分と触れていない、泣きたくなる程優しい空気に満たされた所。
手を止め、戦場にあるまじきぼんやりとした様子のカカシを、痛ましい目で見たアスマは、強引に腕を引いて歩き出した。
拭い切れずに滴り落ちる冷たい水に気付き、アスマが身震いした。
「見てる方が寒ぃよ」
「悪いね」
寒いと知覚出来ても、人間的な感情には結び付かない。
形ばかりの謝罪が気に入らないのか、アスマの手に力が加えられた。
痛みに、カカシは反応しない。
人目を避けてカカシに与えられた天幕に二人で入り込む。
カカシは淡々と濡れた忍服を脱ぎ始めた。
動作は機械的だ。
アンダーとズボンを脱ぐと、水をきつく絞って張り巡らされた縄に引っ掛ける。
鎖帷子は着たまま肌を拭い、下着を替え、新しい忍服を身に纏った。
傷も多く、何より痩せた。
アスマの眉間に皺が深く寄った。
簡易ベッドに腰掛け、水を飲むカカシを見下ろす。
腕組みしたアスマの立ち姿は、威圧感が有った。



「オメー、イルカと寝てるんだってな」
ピタリと動きが止まり、剣呑な視線がアスマに突き刺さった。
色を違える双眸に、殺意が渦巻いている。
上忍をも戦意喪失させそうだ。
「安心しろ。本人から聞いた。別に秘密は洩れちゃいねーよ」
「……そう。なら良い」
瞳から感情を消し、クナイを研ぎ始めるカカシ。
アスマの存在が気になっている癖に知らん振りだ。
『イルカ』の名前一つで、態度がこんなにも違う。
馬鹿な男だと、アスマは憐れんだ。
何とか救い出してやりたいと思うのは、只のエゴだろうか?
「何故素直に付き合わねーんだ」
「何寝惚けてんの。イルカ先生から聞いたんなら知ってんでしょ。俺がイルカ先生に伽の任務を依頼してるだけ」
「破格の金額じゃねーか。常軌を逸してる」
「常識人の男が、好きでも無い男に任務で股開くんだ。高くないよ」
「高ぇよ」
アスマは一歩も引かない。
砥石が金属を滑らせる音だけが、天幕内に響いた。