カカシは自分の発言に自分で驚いていた。
今まで恋人が居なかった訳では無いが、全て女性で、しかも長続きはしなかった。
そういうモノだと諦めていたのに、イルカならば上手くいくんじゃないかと、ツルリと言葉が喉から滑り落ちたのだ。
カカシが驚く位だから、言われたイルカは何倍も驚いたに違いない。
控え目に開けた口は、はくはくと震えに見間違う開閉を繰り返し、密着した身体が伝える鼓動は発作を起こしているんじゃないかと、不安になるレベルだ。
落ち着かせようと、背中の中程を擦る。
反応の鈍いイルカは、瞳を見開いただけだ。
「ねぇ、良いデショ」
戯れに身体を揺すれば、神経が漸く繋がったみたいに、急に火が点いたように暴れ出した。
鳩尾に一発喰らったカカシは、意外にイルカの力が強いのだと感心する。
内勤でも鍛練を怠らない真面目な性格が垣間見れた。
「かっ、からかわないで下さい!」
「暴れなーいの」
「二度と貴方の前に現れません!こんな辱しめを受けて、普通になんかしてられませんからっ!」
強張った表情で、激情を堪えた低い声。
カカシを引き剥がそうと躍起になっているが、頭に血が昇った状態では冷静なカカシに勝算は無い。
じゃれて遊んでいる気分になって、カカシは愉しい。
「離せっ!今までの言動は謝罪しますから!もう、見ないし、話し掛けもしない!」
「違う違う。今まで通りで良いんです。憎まれ口叩いて、ツンケンしてて良いから、恋人にしてよ」
「おかしいだろ!?貴方は、男は駄目な筈だ!」
「おかしくないよ。貴方なら大丈夫だと思ったんだ。俺の記憶に嫌われてでも残りたいとまで思ってくれたんデショ。子供みたいに不器用で拙い遣り方だけど、俺は確かに意識したんだから、結果オーライじゃない」
「そんなつもり無かったんだ……」
カカシの我儘で自分勝手な考えを突き付けられ、イルカはとうとう観念したのか身体の力を抜いた。
カカシとどうこうなりたかった訳じゃないのは、本心だろう。
恋愛対象として好かれる筈は無い、同僚にはなれない知人止まりは苦しい、だったら嫌われてでも何か『特別』が欲しい。
そんな思考がイルカの中に有ったのだと分かると、カカシはフワフワと甘い優越感を覚えてしまうのだ。
そこまで想われたんだと、初めて『健気でいじましい可愛らしさ』を知る。
腕の中のイルカは未だ未だ不信感と意固地さが同居して、カカシの提案にうんとは言わなさそうだった。
のんびり行こう、とカカシは決心した。
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「あの……ちょっと良いですか?」
「ドーゾ」
見覚えの無い若いくの一に話し掛けられ、イチャパラに落としていた視線をカカシは上げた。
上忍待機所で所在無げにしていない所を見ると、成り立ての上忍といった所か。
「受付に座っているうみの中忍に交際を持ち掛けているって、本当ですか?」
私は信じないわ、と強い意志が燃える鳶色の双眸に、あわよくばカカシの恋人の座を狙う魂胆が透ける態度。
カカシは内心、また来たな、と呆れを滲ませた。
「本当。あの人頑固だからねぇ。落ちるまでもうちょっと掛かりそう」
「うみの中忍、ゲイじゃないですよ。火影様もお気に入りですし。勝算は殆んど無いと思います」
ハッキリと物を言う態度から推察すると、才能有る上忍のようだ。
自分に自信が有る忍は、堂々としていて嫌いじゃない。
……ただ、今は煩わしい、とカカシは苦笑を溢した。
「勝算は有るよ。ただ、じっくり楽しみたいから追い詰めないだけ。……放っておいてくれないかなぁ?」
やんわりと君の出番は無いと告げれば、悔しそうな顔で俯く。
握る拳が震えるのを、カカシは無感慨で眺めた。
「でも……人目の有る場所で、はたけ上忍は何度も誘いを断られているじゃないですか。ああいう失礼な態度を取られて、未だ諦めないだなんておかしいです」
確かに、イルカは未だ頑張って抵抗している。
他人には分からないかも知れないが、カカシの夕飯の誘いを無下に断る態度が、ますます色を帯びて艶やになってきている。
唇を噛んで紅く染まる瑞々しさや、戸惑いに揺れる爪先の幼さが、堪らなくカカシの劣情を誘うのだ。
頑ななイルカの心を抉じ開けて、甘やかし可愛がるその時を、カカシは大きな期待を持って待ち望んでいる。
恋愛経験が豊富な人間が見れば分かる。
イルカはもう、半分以上カカシに落ちているのだと。
「若いねぇ。大人の恋愛は一筋縄じゃいかないの。悪いけど俺は諦めて」
一応営業スマイルを浮かべ、カカシは脇に伏せて置いたイチャパラを再び手に取って、ページを捲り始めた。
カカシがこれ以上彼女の相手をするつもりが無いのを悟ったのだろう。
未練を残しつつ、くのいちは立ち去って行った。
「あと何日かねぇ……」
カカシは淡々と夕飯に誘ったり、鍛練に誘ったり、繰り返すだけだ。
見掛けたら必ず話し掛け、雑談に持ち込もうとするし、疲れたイルカには気遣いを見せる。
あからさまな愛の言葉を囁く事は無いが、口調が、態度がソレを感じさせるだろう。
イルカは混乱期を終え、懊悩期を終え、最後の悪足掻き期に入っている。
自分自身、分かっている筈だ。
負けるのは確実だと。
「早く素直になれば良いのに」
始まるのは、二人に取って未知なる世界で、展望は明るい幸せな関係が築ける筈だ。
カカシは薄く笑って、今夜はどんな風に夕飯に誘おうかと考えながら、目蓋の下に紺碧の瞳を隠した。